何度も何度でも
電話が鳴り止まない。
さっきからずっと、着信音に設定しているお気に入りの曲の1番のサビが、何度も何度も繰り返される。
どうしよう
私がそれに出られないのは、携帯のサブウインドウに表示されているのがぜんぜん知らない番号だから、とか、それが借金取りからの取立ての電話だから、とか、ましてやどこかのホラー映画みたいに自分の番号だから、という理由ではない。
でもそれと同じくらい、その電話に出るのは恐怖だ。
それが、喧嘩したばかりの阿部くんからの電話だから、だ。
どうしようどうしようと、依然として歌い続ける携帯のそばで私がぐるぐる悩み続けていると、不意に着歌が止まった。
あきらめてくれたのかなという期待が芽生えたけれど、さっきから途切れては鳴り、鳴っては途切れを3回くらい繰り返しているから、まだ油断はできない。
はらはらしながら携帯を見つめていたら、今度はオルゴールのぽろんぽろんという音がして飛び上がる。
阿部くんからのメールを知らせる着メロだ。
恐る恐る携帯を開いてみる。
「電話気づいてんだろ
早く出ろ」
いつもそうだけど、絵文字顔文字はもちろん、句読点もないメール。
ざあっと、全身から血の気が引く音を聞いた。
阿部くんめちゃくちゃ怒ってる……!
出ろと言われても、こんなメールを送ってくる人からの電話に出られるわけがない。
絶対ない!
私の心の叫びを無視して、再び着歌が流れ始めた。
だから出られないってば!
携帯を見つめる目に涙がにじみ始めて、もう電源切っちゃおうかなと思う。
そうすれば少なくとも明日までは逃げていられる。
歌声がまたついと消えた。
しばしの沈黙。
今がチャンスかもしれない、と思って電源のボタンに親指をかけた瞬間、メールの着信音が鳴り響く。
「早く出ろっての
ケータイの電源まちがっても切ったりすんなよ」
読まれてる。
私の行動ってそんなにわかりやすいの!?
ああもうどうしよう、と思っていると追い討ちをかけるみたいにまた着歌。
いつもは大好きなこの曲も、今はもう聞きたくない。
だって絶対阿部くん怒ってるもん。
それにどうせ電話に出たって、私は泣くばっかりで何も話せないに決まってる。
ごめんねって謝ることだってきっとできない。
そうしたら、きっと阿部くんにあきれられる。
嫌われてしまう。
もういいよって言って電話が切られて、それで終わりになってしまう。
そんなのやだ。
たとえこの鳴り続ける電話を無視したところで、時間稼ぎにしかならないってわかっていても。
そんなのやだよ
意気地のない私がぐしぐし泣いていると、また電話が鳴り止む。
静かになった部屋で聞こえるのは、私の鼻をすする情けない音だけだ。
もう鳴らないで。
お願いだから鳴らないでください。
自分の携帯に頭を下げるような気持ちで祈る。
でもそんな祈りも、3度目のメールの着信音で、神さまに聞き入れられなかったことがわかる。
もうやだ……
こんなことを繰り返していたら、電話で話す前にメールで「もういい」って言われるんじゃないだろうか。
そう書いてあったらどうしよう。
絶望的な気持ちで、受信したメールを開く。
怒りに満ちた言葉でいっぱいだったらどうしよう、と思っていた私は、びっくりした。
「電話出て
頼むから」
たったそれだけ。
でもなんだか、前の2通と比べるととても気弱な文面のような気がした。
何度も読み返してしまう。
阿部くん、怒ってないの……?
答えるように、また電話が鳴り始める。
着歌が1回、2回、3回と繰り返されていく。
頼むから
阿部くんはこのメールを、どんな顔をしながら打ったんだろう。
阿部くんはどんな声でそんなことを言うんだろう。
画面に表示されている「阿部 隆也」の4文字を見つめて考える。
親指をそろそろと動かして通話ボタンの上にのせて、電話を耳に当てる。
大きく息を吸ってから、指に力を込めた。
「……も、もしもし 」
『さっさと出ろよ!!』
大音量に、耳をぶたれたような衝撃を受ける。
思わず受話器を耳から離した。
『何十回電話かけさす気だお前は!なんで無視するんだよ!!』
だまされた……!
叫ぶ携帯電話に向かって、私は心のなかで叫び返した。
いやだまされたっていうか、私が勝手に勘違いしただけだけど!
やっぱり阿部くんめちゃくちゃ怒ってる……!
『おい!きーてんのか!?』
「っご、ごめんなさい!」
阿部くんの怒鳴り声に、私は反射的に謝っていた。
『はあ!?』
「ごめ、ごめんなさい……っ」
一言目にその言葉が飛び出してしまうと、なんだか止まらなくなってしまった。
泣けてきて声が震えても、私はしゃべっていた。
「ごめんね、今日、ほんとごめん」
『おい 』
「ごめんなさい、謝る、から、怒らないで」
あきれないで。
嫌わないで。
終わりにして、しまわないで。
「ごめ、ほんと、ごめん……」
泣き声でぐじゃぐじゃになって、何を言ってるのかも阿部くんにはわからないかもしれない。
ああもうだめだ。
そんなふうに思っていると、呆気に取られたように黙っていた阿部くんが、やっと返事をしてくれた。
『……なんでお前が謝るんだよ』
「だって、阿部くん、怒って 」
『怒ってねーよ!!』
そう言ってる声が怒ってるんだもん……!
とは言い返せず、私はまた電話を耳から遠ざけた。
『……あーもー、だから、そーじゃなくて』
ほんと怒ってねーから。
2回目にそう言った声は、確かに怒鳴り声ではなかった。
から、私は電話をそろそろと耳にくっつけ直す。
つーかお前が怒ってんじゃねーのかよ、と、阿部くんはそんなことを言った。
「え……?」
『今日のは俺が悪かっただろ。だから謝ろうと思って電話してんのに、お前出ねーし、メールも無視だし』
「だ……だって、阿部くん、怒ってると思ったから」
『だっから怒ってねー、ていうか、俺が悪ぃんだから、俺に怒る資格ねーだろ』
阿部くん怒ってない……?
確認するように繰り返す。
信じられない気持ちが通り過ぎて、それをどうにか飲み込めたら、どうしようもなくほっとして体から力が抜けた。
携帯を耳につけたまま、へたり込む。
『お前こそ怒ってねーの?』
「……怒ってなんか、ないよ」
『ホント?』
「ほんと……」
『ごめんな』
「……ううん」
まだ涙が滲み出てくる目をごしごしこすりながら答える。
阿部くんはちょっと黙ったあと、お前さ、と言った。
『今家?』
「え?あ、うん」
『今から会えねえ?』
「……え?」
『俺電話苦手なんだよ。声だけだとホントかどーかわかんねーし』
「あ、え、でも、私、ほんとに怒ってないよ 」
『いや、つか』
俺が会いてんだけど。
緊張と恐怖から解放されてぐったりしていた私の体が、またぴしりと固まる。
阿部くん、今、なんて。
『……無理?』
そんな、ちょっとだけ心配そうな声で聞くなんて、
さっきの雷みたいな怒鳴り声を出していたのと同じ人の声だって信じられないような声で聞くなんて、ずるい。
「……無理じゃない」
私はそう答えるしかなくなる。
阿部くんはずるい。
あんなに簡単に会いたいなんて言うなんて、ずるい。
そして私は、この泣き腫らしたみっともない顔をどうしようと思って、また悩まなければならない。
(阿部くんに「怒ってねーよ!!」って怒られたい人ー)(はーい……)
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