彼女と彼の誕生日
私には幼なじみがいる。
ごく近所に住んでいる同い年の女の子で、名前をと言う。
母親同士が仲良しで、うちは両親共働き、の家はお母さんが専業主婦ということもあって、小さいころからお世話になっている。
一人っ子の私にとって、はほとんど姉妹みたいなものだ。
「ちゃんお待たせ!」
12月のある日の放課後、その幼なじみは、意気揚々と教室へ帰ってきた。
ちょうど期末テストの最終日で、これが終われば2学期は終わったも同然、という雰囲気に、少なからず周囲の子たちもうきうきしている。
でもの締まりのない顔は、そのなかでもちょっと目を惹いた。
首尾は聞かなくてもわかったけれど、私はいじっていた携帯をポケットにしまって、幼なじみの情けで一応聞いてあげた。
「どーだった?」
「え?」
とぼけた声を出しながら、でもの頬はゆるっゆるだ。
「喜んでくれた?」
ちょっとめんどくさい、と思いながらも、幼なじみ兼姉妹代わりの情けで重ねて聞いてあげる。
はどうしようかな、どうしようかな、というようにちょっと表情を迷わせてもったいつけて、結局でれっと笑う。
そして、内緒話みたいな小さな声で、「おいしいって言ってくれた」と答えた。
――今年はチョコバナナパウンドケーキに挑戦します。
そろそろ冬物のコートを出さなきゃだなあと思い始めた11月の終わり。
の厳かな宣言を聞いて、私は、おお、と思った。
12月が始まるとすぐにやってくる、彼氏の誕生日に手作りのお菓子を作ろうとしている、のそういうけなげさに感心した、わけではない。
私の幼なじみは結構な恋愛体質だ。
というか、もっとはっきり言ってしまえば単なる乙女。
だから、好きな人の誕生日だのクリスマスだのバレンタインだの、乙女の一大イベントを前にすると、一人前の乙女らしく必ず張り切る。
そういうイベントの前のお菓子作りは、料理が好きなおばちゃん(のお母さんのことを、私は親愛を込めてこう呼ぶ)の指南のもと、小学生のころから恒例になっていた。
そんなが阿部くんの誕生日のためにお菓子を作ったところで、別に今更私は驚きやしない。
私が感心したのは、が阿部くんのために選んだ、そのメニューに対して、だ。
私の幼なじみは、結構な乙女のくせに、乙女に必要(だと思う)な度胸が、いまいち欠けている。
昔から、思い込みが激しいというか一途というのか、好きな人ができたと言っては騒ぎ、思い詰める。
そして、その人の誕生日だのクリスマスだのバレンタインだのの前には、おばちゃんや私を巻き込んで、プレゼントの計画を立てる。
でも悲しいかな、その、大騒ぎして思い詰めて入念に準備されたはずのプレゼントが、実際にその人のもとに届けられたことは、ほとんどなかった。
は決して悪い子ではないのだけれど、えいっという思い切りが足りない。
腹をくくる、ということが、なかなかできない子だ。
ネガティブというか、自分に自信がもてないのだろう。
昔っからそうだった。
小さいころから習っているピアノだって、人前で弾くのを極端に嫌がるし。
瞬発力はないけれど、一つのことを長く続けることができる、というのは、この幼なじみの長所だと思う。
でも本人はそうは思えないらしい。
二言目には「でも」とか「どうせ」とか、そういういじけたことを言う。
自信過剰なのもどうかと思うけど、自己評価が必要以上に低過ぎるのも考え物だ。
そんな小心者の幼なじみが、体のなかにあるすべての勇気を、かけらまでかき集めて振り絞って、一世一代の告白をしてできた彼氏が、阿部くんだ。
は中二のときから阿部くんに片思いをしていて、こっそり野球の試合を観に行ったりしていた。
(ストーカーっぽい、と私が言うと、自覚があるのか泣きそうな顔をして怒られたものだ。)
そのくせ学校ではちっとも話しかけられないし、中三のとき、阿部くんの誕生日にとせっかく焼いたクッキーだって結局渡せなかった。
きれいにデコレートした星の形のクッキーを、泣く泣く自分で食べていたの姿も、おばちゃんと「ホント根性なしだよねえ」とうなずき合ったことも、よく覚えている。
一本気というのか、気持ちの強さは一人前なのに、それを外側に表現することができない。
そういう性格のだから、高校生になって、奇跡の告白が見事成功して、阿部くんと付き合い始めてからも、「何かの間違いじゃ」とか「ドッキリなんじゃ」とか、半信半疑どころか二信八疑くらいの状態だった。
でも、なんだかんだありながら付き合って一年以上が経って、さすがに「阿部くんの彼女」という称号にも慣れてきたらしい。
最近はそういう卑屈なセリフもあまり聞かなくなった。
今年のプレゼントのお菓子のセレクトを考えてもそれはわかる。
失敗のリスクが低い作り慣れたクッキーとかカップケーキじゃなくて、ネットでレシピを探してきて、新しいものに挑戦できるようになった。
私はそこに感心した、というか、ちょっと感慨深い気持ちになったのだ。
石橋を叩かないと渡れないし、叩いたうえで怖気づいて渡らないかもしれない、私の幼なじみはそういう子だ。
多少は冒険できるくらいに、気持ちの余裕ができてきたのだろう。
いいことだと思う。
私が「よかったね」と言うと、は素直に「うん」とうなずいた。
こういう素直さも幼なじみの美点で、にこにこと晴れやかに笑っているところは普通にかわいいと私は思う。
たまにあんまりノロけられるとウザいけど、でも、「私なんかが……」とか何とか言ってたころよりはよっぽどいい。
「にしてもさー、今日ぐらいどーにかなんないの? 誕生日なのにさ」
「だって阿部くん、テスト終わったら部活だもん」
阿部くんは野球部に入っていて、甲子園出場を目指している高校球児だ。
(私がそんなふうに言うと、必ずは「ちがうよ、甲子園優勝だよ」といちいち訂正してくるけれど、まあ細かいことはさておき。)
高校球児の何割が甲子園(あるいは甲子園優勝)を目標にしているのか知らないけれど、阿部くんたちにとってそれは「とりあえず」の目標ではなく、本気の本気で目指しているものらしい。
休日も放課後もいつも部活部活で、だからともまともなデートひとつしたことがない。
せいぜい学校からいっしょに帰るとか(それだって毎日ではない)、阿部くんのおうちに夕飯のお呼ばれに行く、とかだ。
その代わりにまめにメールをくれるとか、休み時間に会っているとかがあるわけでもない。
阿部くんは部のなかでも随一の野球バカらしく、まあ簡単に言えば、「あの二人ホントに付き合ってんの?」という状態だ。
2年生になってクラスが離れて、これはいよいよ自然消滅か、とこっそり思ったけれど、その予想はとりあえず今も、裏切られ続けている。
あれだけ放置されていたら嫌になりそうなものなのに、片思いが長かったことが原因なのか、は阿部くんに関してとても燃費がいい。
今日はいっしょにお昼ごはん食べられた、とか、移動教室のときに廊下で偶然会えた、とか、そんなささいなことではすごく幸せそうだ。
それこそ片思いをしていたときと変わらない。
阿部くんの誕生日当日である今日も、慌ただしくプレゼントを渡せば、阿部くんは練習に行ってしまうらしい。
私としては「それでいいの?」って感じだけど、本人はいたって平静だ。
というか、つつがなくプレゼントを渡せてむしろご機嫌。
それに水を差したいわけではないけれど、私は「だったら昨日とかおとといとかさ」と言わずにいられない。
「せっかく学校昼までだったのにさ」
「だってテスト勉強しなきゃだもん」
野球部は練習だけではなくて、学校生活に関してもなかなか厳しいそうで、テストで赤点を取ったら試合に出られない。
それならいっしょに勉強すればいいのに、とも思うけど、野球部はテスト勉強するのも団体行動らしい。
それに第一、とは若干青ざめた顔で言った。
――阿部くんといっしょに勉強なんて、緊張して勉強どころじゃなくなる……!
初々しいと言えば聞こえはいいけど、ほんとに、いつまで経っても片思いみたいだ。
そんなふうに思いながら、私はリュックを背負って立ち上がった。
「まあ、のことですから。がいーなら私は別にいーけどね」
「いいんですいいんです」
は機嫌よく笑いながら、「さーじゃあテストお疲れさま記念カラオケだー」と片腕を軽く突き上げた。
苦心して用意したプレゼントを、好きな人に喜んでもらえたのがよっぽどうれしいのだろう。
「張り切るのはいいけど、阿部くんへ捧げる愛の歌メドレーはやめてよね?」
「しないよそんなの!」
とか否定するけど、ラブソングを聴いたり口ずさんだりしているとき、が誰を思い浮かべているかなんて、聞かなくたってわかる。
ろくにかまってもらえないくせに、よくまあそんなに好きでいられるよなあ、と私はこっそり思う。
―阿部くんって、ほんとに野球が恋人!って感じだよね。
いつだったか、委員会の集まりだか何だかで阿部くんと話す機会があったとき、そう言ったことがある。
顔見知りではあるから普通に話はするけれど、共通の話題って言ったらやっぱりのことでしょう、と思ったのに、何でだか、部活の話になってしまった。
水が高いところから低いところに流れ込むみたいな自然さで。
別にそれが悪いというのではなくて、むしろそこまで打ち込んでるのってすごいなとは思う。
でも私は、そういう客観的な立場ではなくて、姉妹みたいな幼なじみの気持ちに、寄り添ってみたのだ。
部活一筋の阿部くんに対して、自身は不平も不満もまったく言わないから、その代わりにというわけではないけれど、ほんの少しだけ、嫌味を込めて。
―は?
阿部くんはきょとんと目を見開いた。
思いもよらないことを言われた、というように、退屈そうだった顔がちょっと変わった。
いっしょのクラスになったことがないから言い切れないけど、阿部くんは、いつ見てもだいたい無気力な雰囲気だ。
だるそう、というか、眠そう、というか。
野球のときはそれが一変するらしく、に言わせるとそのギャップがかっこいいらしい。
(私にはよくわかんないけど。)
そういうだるそうで眠そうな雰囲気がちょっと抜けた顔で、幼なじみの彼氏は、眉一つ動かさずに、大真面目に言った。
―いや野球は部活だし、コイビトはだけど。
嫌味返しをされたわけではないらしい、ということを測るために、私は思わずその顔を真剣に見つめ返してしまった。
顔色一つ変えない阿部くんに対して、「……ああ、そう」と相槌を打つ以外、私に何ができただろう。
―うん、そう。
阿部くんは、やっぱり生真面目にそううなずいた。
どっか変わってんな、と前々から思ってはいたけど、やっぱ変なヒトだな、と改めて感じた。
っていうか真顔で恋人とか言うか? と思ったんだけど。
でもこの、ろくに嫌味も通じない変な男の子は、どうやら彼なりにちゃんと、私の幼なじみのことを、「恋人」だと思っているらしいことはわかった。
この阿部くんとのやりとりを、には教えていない。
ちらっと、報告してやろうかな、と考えなかったこともないけれど。
「阿部くんね、今日はコートじゃなくてダウン着てた。帰りは部活のカッコのまま帰るからって」
玄関に向かって歩きながら、そんな、私にとってはどうでもいい、マニアックな阿部くん情報を、はとても大切そうに楽しそうに話す。
そのでれでれしたの顔を見ると、私がわざわざ報告なんてしなくたって、わかっているんだろうなと思う。
はいつまでも片思いのころみたいに阿部くんのことが好きだけど、でも今は片思いではなくて、ちゃんと両思いなんだってこと。
だからデートひとつしてくれなくても、誕生日をいっしょに過ごせなくても、こんなふうに幸せいっぱいに笑っていられるんだろう。
それでも、いつもいつも安定しているわけじゃないだろうし、不安に思うこともあるだろう。
阿部くんが部活を引退するまで、まだまだ先は長い。
引退したら、今度は大学受験モードになるんだろうし、ただでさえ、片思い気分が抜けてないんだし。
そのときを元気づけるためのとっておきエピソードとして、阿部くんの「恋人」発言はまだ、お蔵入りさせておくことにする。
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