かわいい論
「まだ終わんない?」と阿部くんに声をかけられたのは、帰り道寄ったコンビニ、フランクフルトを買いに行った阿部くんを待つ間、雑誌棚のところで、最近好きな女優さんが表紙で笑っているファッション雑誌を見つけて、それを立ち読みしていたときだった。
巻頭インタビューで、普段の服装や先週公開された映画の話をしていて、ぱらぱら流し見るつもりが結構読み耽ってしまっていたらしい。
フランクフルトとほかにも何か買ったらしい阿部くんは、
ビニル袋をぶら下げて、ひょいと私の顔を覗き込んだのだった。
「え、あ、ごめん」
「まだ読むなら先外行ってっけど」
肉まん冷めるし、と言いながら阿部くんが首をかしげる。
肉まん買ったんだ、お腹すいてるんだな、でも我慢して待っててくれたんだな、と思う。
私は犬を飼ったことはないけれど、辛抱強く散歩を待ち続けていた犬に対する気持ちって、
こんな感じなんじゃないかなあと想像する。
待たせてごめんねって申し訳ない気持ちと、
待っててくれたんだなあ、えらいなあ、うれしいなあってくすぐったい気持ちと。
「ううん、もういいよ」
「何読んでたん、熱心に」
「え、そんな熱中してたかな」
あおいちゃんのインタビューだよ、と答えながら、雑誌をぱたんと閉じて棚に戻す。
「誰。あおいちゃん」
真顔でそんなことを聞かれても、相手が阿部くんだから今更びっくりもしない。
テレビも映画もほとんど見ない生活をしていた阿部くんが、最近の若手の女優さんを知らなくてもしょうがない。
主演映画が話題になったのをきっかけにCMや雑誌にも出るようになって、普通の高校生なら10人のうち8人は知っている(と思う)、大きなおめめがチャーミングな、とってもかわいい女優さんだとしても、だ。
「この表紙の人だよ」
かわいいでしょ、と言いながらさっきまで読んでいた雑誌の角を突いてみせる。
映画の役のためか、長かった髪がボブになっているけれど、愛らしい微笑みはいつも通りだ。
初めて見た映画で女の子らしい服装をしていたからそのイメージが強かったけど、この雑誌のグラビアではちょっとカジュアルめの服を着ていた。
どっちにしたって本当に愛くるしくて、同性の私でも惚れ惚れしてしまう。
こんなふうにかわいくにっこり笑われたら、こっちまで笑顔になるなあ、
と思っていたので、きっと私も(にっこりというかにやにや)笑っていたと思うのだけれど、阿部くんは無表情に「ふーん」と言っただけだった。
「見たことない?」
「見たことあるかないかがわかんない」
「……そうかあ」
その女優さんはどちらかといえば犬顔だから、犬好きな阿部くんも気に入るかもしれない、そうしたら新しい映画、いっしょに観に行けるかもしれない、
なんて淡ーく期待していた私はちょっと落胆した。
「でもかわいいよね。声もすっごくかわいいし、演技しててもかわいいんだよ」
「ふーん」
「……興味ない?」
私がそう聞くと、阿部くんは思案するように雑誌の表紙をじっくり見つめて、「あんまり」とにべもなく答えた。
私はそれを聞いて落胆し直す。
「腹減ったんだけど」
「……うん、そうだね」
お腹をすかせた阿部くんには先に出てもらって、ホットココアを買って私も店のドアを押し開けた。
お店の外に並んだゴミ箱たちと、少し離れたところで阿部くんは先にフランクフルトにかぶりついていた。
「雑誌買ったの?」
「ううん、飲み物だけ」
でもあおいちゃんかわいかったからちょっと欲しかったなあ、と独り言みたいに言いながら、ペットボトルのふたを開ける。
寒いときのココアは幸せだ。
温かくて甘い。
「そんな言うほどかわいかったか?」
「え!かわいいよ!」
阿部くんの言葉にびっくりして、思わず(私にしては)大きな声で答えてしまった。
だって、あんなにかわいいという言葉がぴったりな人、そうそういないと私は思っていたのに。
「阿部くんちゃんと見た?」
「見たよ」
「かわいいでしょ?」
「そーか?なんかふつーじゃね?」
「ええー……最近いちばん好きな女優さんなのに」
賛同を得られなくて私はがっかりしてしまう。
一方の阿部くんは涼しい顔でフランクフルトを食べている。
あのキュートさが「ふつう」なら、阿部くんの「かわいい」ってどれだけ高いハードルなんだろう。
そういえば、私が女優さんやモデルさんを指して、「あの人かわいいよね」とか「きれいだよね」って言っても、常に生返事のような気がする。
興味がないというよりも、実はモノスゴイ面食いなんじゃ
そんなことを思いながらココアをすすると、だって、と阿部くんが言った。
「お前のがかわいーし」
喉に流れていくはずのココアが、勢いよく道に迷った。
「え、ちょ、どした?」
私がげほ、ごほと激しく咳き込むと、阿部くんはちょっと驚いたような声を出した。
ココアが気管に入って、熱いやら苦しいやらで涙がにじんだ。
涙で歪む視界に阿部くんをとらえる。
「……今の、本気で言った?」
「は?」
「今の!心から言った?」
「え、そーだけど」
阿部くんがきょとんとしている。
確認しなくても本当はわかっていた。
阿部くんは冗談とか嘘とかは、基本的に言わない。
私を喜ばせるための言葉とかも、言わない。
阿部くんが言うのは、本当に阿部くんが思ったことだけだ。
下を向いて、大きく深呼吸をした。
「んだよ」
「阿部くん!」
「……なに」
そんな怖いカオして。
阿部くんのびっくりした顔からもわかる、きっと私はそれはそれはすさまじい形相をしているのだと思う。
でもそんなことを気にしている場合じゃない。
前からちょっとおかしいと思ってたけど、でもそれも阿部くんのいいところだなって思って目をつぶっていたけれど、
もうこれは放っておけないところまできている。
「ちゃんとあおいちゃんの映画観よう!」
「はあ?」
「ね、ちゃんと観ようね!」
「やだよ、どーせまた寝ちまうし」
「寝ないでちゃんと観るの!」
阿部くんは「かわいい」の意味がよくわかっていないに違いない。
というか、自分の好きな人への「かわいい」と世間一般の人にとっての「かわいい」を混同してしまっている。
しかも無意識に。
そりゃあ私だって、いちばん好きな俳優さんよりも阿部くんのほうがかっこいいって思ってるけど、でもそう思うのはたぶん私だけで、
何にも知らない人に向かって「私の彼氏、岡田くんよりかっこいいんですー」なんて言ったら、絶対にヒンシュクを買うってことはわかっている。
客観的に見て「かわいい」っていうのはどういう人のことをいうのかを、阿部くんにちゃんと教えてあげなきゃいけない。
阿部くんのお母さんは、阿部くんを立派にまっすぐにすてきな男の子に育て上げてくれたけど、たぶん、あんまりまっすぐ育て過ぎたのだと思う。
誰もがみんなしてくるような道草を、阿部くんはしてこなかったのだと思う。
だからそれはきっと、私の役目なのだ。
「そうだ、今年の誕生日にはDVD買うね!」
「は?俺の誕生日に?」
「うん」
「さっきのヒトの映画の?」
「そう」
「イヤだから俺いらねーし。買うのは自由だけど自分のにしろよ」
「それじゃ意味ないんだってば」
「意味わかんねーよ」
「だめ。それをわかって」
断固として言い切った。
うれしくないわけでは、決して、ないんだけれど、比較の対象が対象だから喜び切れない、そういう私の複雑な気持ちをちゃんと、わかって。
(三年生だなと思いながら。どっちにしてもバカップルっていう。)
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