私の好きな人





文才が欲しい、と心から思う。
お風呂から上がって、ベッドに寝転がって、扇風機のスイッチを「強」にして、携帯とにらめっこをしながら。

「うー」

変な唸り声を上げて寝返りを打って、さんざん考えて作ったメールを読み返してみた。

      試合お疲れさま。
3回戦突破おめでとう!

脳みそを振り絞った末にできあがったのがこの文面って、さすがに自分の文章能力を呪いたくなった。
ていうか、桐青に勝ったときにも同じようなのを送ったような気がする。
ひとまずそのメールを下書きに保存すると、送信済みボックスを開いてみた。
1週間前の日付、阿部くんに送ったメールを確認する。

悲しいことに、やっぱりさっき打ったコピーみたいな文章が画面に表示された。
違いはただひとつ、「3回戦」が「初戦」になっているだけだ。

なんだかどっと疲れを感じて、携帯を枕の上に投げ出した。



今日は野球部の試合だったけれど平日で、お昼までだったけれど、ちゃんと学校はあって(ホームルームとか大掃除しかしないんだし、応援に行かせてくれたらいいのに)、球場に行けなかった私は、空っぽの阿部くんの席を祈るような気持ちで何度も見つめてしまった。
放課後になってからも携帯のネットニュースはなかなか動かなくて、試合の結果が気になって何も手につかなかった。

あんまりそわそわじりじりして数分ごとに携帯を気にしていたからか、ちゃんにあきれられた。

「そんな気になるならメールしなよ」
「無理だよそんなの」
「なんでよ」
「だってなんて書けばいいの?」
「試合どうだった?でいいじゃん、ふつーに」

ちゃんは軽く言うけれど、もしものことを考えるとそんなこととても聞けない。
桐青には勝ったんだし、崎玉ってあんまり聞かない学校だし、大丈夫だと思っていたけど、何が起こるかわからないのが勝負の世界だし、と、いろいろぐるぐる考えていたから(別に勝負の世界を知っているわけでもないのに)、ネットニュースでやっと西浦の勝利を知ったときには安心し過ぎてぐったりしてしまった。
(大げさ過ぎる、ってやっぱりちゃんに白い目で見られた。)

だいたいさあ、と、ちゃんは白い目のまま言った。

「あんたがこんだけ必死で待ってんだから、阿部くんから知らせてくるべきじゃないの、試合の結果くらい」
「だ……だって、別に、ニュース見たらわかるでしょ、試合の結果くらい」

ちゃんの口真似をしてみせたけれど、言い返す声がどもってしまったことを、ちゃんはもちろん聞き逃したりしていなかったと思う。

「そーゆー問題じゃなくてさー」
「いーの、だって阿部くんは知らないもん」

携帯を開いて更新ボタンを押すたび私の指がどんなに震えたかも、8−0の結果を見たときに一気に吐き出した息が、やっぱり震えていたことも。
本当はちゃんの言うように、阿部くん自身から試合結果を知らせてもらえたらすごくうれしい、なんてことをほんのちょっとだけ思っている(ほんとにほんのちょっとだけ、だけど)ことも。

ちゃんは肩をすくめて、「そりゃが言わないなら知らないよね」と言った。



お祝いメールを送るだけのことでこんなに悩んでいる私を見たら、ちゃんはきっとまたあきれるんだろうな。
ちゃんの表情までありありと想像できたけど、だからといって気の利いた言葉が出てくるわけではない。
再び携帯を取り上げて、もう一度だけ作ったメールを読み返す。
最後に「コールド勝ちなんてすごいね」と付け足して、改行してから「次は応援に行きます」と打った。
画面の右上の時計を確認する。

9時過ぎ、この時間ならきっと大丈夫、と思い、ひとつ深呼吸をしてから送信ボタンを押した。
そして急いで携帯を閉じて手の届かないところに押しやる。
阿部くんにメールをするときはいつもそう。
送信中の画面を見ていると、もっとどこかを直したほうがいいメールになるような気がしてきて、慌ててキャンセルボタンを押しそうになってしまうからだ。
(もちろん、キャンセルしてもう一度打ち直したからといって、よりいいメールが書けたためしなんてない。)

1、2、3と数を数えてから、もういいかなと思って携帯に手を伸ばす。
案の定、液晶画面はそ知らぬ顔で普段の待ち受け画面に戻っている。
私の何の芸もないメールは、もう阿部くんのところに届いているはずだ。

あきらめの気持ちと一仕事終えた達成感がないまぜになった気分で胸がやけに重たく、乾きかけの髪も気にせずベッドに倒れ込んだ。



寝返りを打ってうつぶせになって、あさってから夏休みだなあ、と思う。
長い長いお休み。
学校が大好き!なんてキャラじゃあるまいし、私が夏休みなんて来なければいいと思う、あまり胸を張っては言えない理由はただひとつだ。
好きな人に会えない。
阿部くんに、会えない。

彼女、にしてもらったところで、ここは変わらないんだなあ、と、なんだかしみじみと去年とおととしのこの時季のことを思い出した。
やっぱり今みたいに、憂鬱な、ぐすぐすした気持ちだった。

それでも、と思ってまた寝返りを打つ。
天井に携帯をかざして、アドレス帳を開く。
1ページ目、ア行のページの、上から3番目の大好きな四文字。
じっとしていられなくなって携帯を抱きしめる。

      これだけでも大きな変化だし!

上半期重大事件ナンバー1だ、上半期というか人生?
それどうなの彼女なのに夏休み会えないってどーなのそもそも付き合う前とどう変わったのあんたら、と、微塵の容赦もないちゃんの声が頭に響いてきたとき、私の心を支えてくれるのがこれなのだ。

夏休みに会えないのは、阿部くんには野球があるんだからしかたないのだ。
それに、連絡先を知ってると知らないのとじゃあぜんぜん違う。
お祝いのメールを送っていいのとそうじゃないのとも、ぜんぜん違う。

      それなのに、彼女にしてもらう前と違う点はこんなにちゃんと思い浮かぶのに、頭のなかのちゃんの顔が依然として納得していないのはどうしてかしら



ぎゅうと抱きしめていた携帯が何の前触れもなく歌い出したのでびっくりした。
慌てて電話を持ち直して、画面を見て、目を疑った。
さっきまでにやにや眺めていたのと、まったく同じ四文字が表示されていたからだ。

わわわ、と思いながら飛び起きる。
意味もなく周りを、自分の部屋を見回して、もう一度着信の表示を見直した。
今までに何度も何度も見つめた番号。
でも実際にかけたこともかかってきたこともなかった。

切れてしまっては大変なので、そしてあれこれ迷い出すとキリがなくなるのはわかっていたので、思い切ってボタンを押した。
声が震えないようにと祈った。

「も、もしもし!」
『あー。俺。だけど』

携帯から聞こえてきたのは、どこか眠そうな、でも間違いなく阿部くんの声だった。
(当たり前だけど。)
思わずベッドの上で正座をしてしまう。

「あ……はい!」
『はいってなんだソレ』
「あ、え、ごめっ」
『別に謝んなくていーけど』

メール見た、と言う阿部くんの声が、普段よりも丸っこい気がして心臓がごとごとうるさかった。

「う、あ、うん、あの、ごめんね、阿部くん寝てた?」
『あー。うたた寝?』
「ごっ、ごめんね、疲れてるのに起こしちゃって……!」
『や、電気とかつけっぱだったし。ちょうどよかった』

そう言われてとりあえずほっとする。
でもひょっとしたら阿部くん、気を遣ってくれているのかも、とも思った。
気持ちが落ち着かない。
顔が熱い。
阿部くんと電話してる、そう思うとどうしても。

『結果、誰かに聞いた?』
「へ?」
『試合の結果』
「あ、あー、えっと、あの、ネットのニュースで。あと、夕方のニュースでも見たよ」
『あー。そっか』
「あの、おめでとう。すごいね、コールド勝ち!」
『おー。つか、メールとおんなじこと言ってんぞ』
「え!?あ、ご、ごめんっ」
『イヤいーけど。謝ってばっかだなあ、お前』
「そっ……うかな」

指摘されて、ますます頭に血が上った。
メールでも電話でも同じことしか言わないつまらないやつだな、って言われたような気がして。

でも、だって、どうしようもない。
電話と電話同士がつながっているこの状況。
面と向かって話すのと同じくらい緊張する。

普段なら少しくらいなら黙っていても、周りの人の話し声とか車の音とかがあって、完全な沈黙にはならなかったけれど、今は黙ったら完璧に静かになる。
それが、どうしようもなく居心地が悪い。
何か、何か言わなきゃって思うのに、何も思いつかない。
メールの文章を考えるのと同じだ。
どうしてこうおもしろみがないんだろう、私って。

電話を片手に自己嫌悪に陥っていると、阿部くんの声が聞こえて顔を上げた。

『お前、夏休みどっか行くの?』
「え?」
『家族旅行とか』
「あ、あー、ううん、特に、予定は……」
『ふうん』

せっかく阿部くんが話題を提供してくれたのに、なんてつまらない答え!
と思ったものだから、急き込むように付け足した。

「あーえっと!お盆におばあちゃんちに行くくらい、で」
『へー。ばあちゃんちどこ?』
「え、あ、山梨」
『やまなし……』

口のなかで転がすようにそう言って、阿部くんがちょっと黙る。
この沈黙は何なんだろう。
どうしよう、私が続けて何か言ったほうがいいのかな、と考えていると、「あ」という声が聞こえた。

「え?」
『ぶどう?』
「え……」
『ちがうっけ?」

一瞬何を言われているのかわからなくてぽかんとしてしまったけど、慌ててうなずいた。
(阿部くんには伝わらないけれど。)

「あ、うん、そう、ぶどうっ」
『へー』
「あ、あとね、桃とさくらんぼ!」

懸命に付け加えた。
なんでこんなに必死に山梨県をアピールしてるんだろう、と後から考えるとおかしかったけれど。

『いーな、うまそ』

そう言ってくれたのがうれしかった。
そしてせっかくつながった話をもっと広げなきゃ、と思った。

「あ、阿部くん果物好き?」
『あー。好き。桃とか』

しゃらっと告げられて、でも私は固まってしまった。

いやいやいやいや、と、阿部くんには見えないのをいいことに首を横に振った。
いやいやいやいや私じゃないし!
桃だし!

電話でよかった、と今は思った。
だって絶対顔赤い。
こんなことで赤くなる気持ち悪い私を、阿部くんに見られなくてよかった。

「じゃ、じゃあ、お土産に買ってくるね」
『おー』

声がひっくり返らないかと思ってひやひやしたけれど、阿部くんは普通に返事をしてくれたので大丈夫だったみたいだ。
胸をなでおろす。
でも次の瞬間にはっとした。

「あっ」
『あ?』
「でも、あの、甲子園行ったら甲子園行くよ!?応援!」

そしたらお土産買ってこれないけど、あ、でもお母さんに頼めば買ってきてくれる      
と、そこで、独り言みたいにしゃべらなくていいことまでしゃべっていることに気がついた。
語尾は小さく消えていった。

電話は黙っている。
いちばん長い沈黙の塊だった。
それは勢い込んでいた私を不安にさせた。

      私、何か、はずした……?

耐え切れなくなって、あの、と口を開きかけたとき、お前ってさ、という声が聞こえた。

「は」
『なんつーか……まあ、いいけど』
「え?な、なに?」
『いいよ』
「……は、あ」

何が「いい」のか、まったくわからなくてそんな中途半端な返事になる。
こんなこと、前にもなかったっけ。
でもともかく、怒らせたりあきれられたりしたわけではなさそうだから、そのことに安心した。

『じゃー切るわ』
「あ、う、うん」
『お前もしてきたらいーよ』
「え?」
『電話。じゃーな』
「え      

聞き返す暇もなく、電話は切れた。
阿部くんが何かにためらったり迷ったりすることってあるんだろうか、と思うくらい、あっさりと。



携帯を閉じて、思い切り長く息を吐き出した。
今日二度目の長い長い溜め息だった。
脱力して再びベッドになだれ込む。

たった今阿部くんと交わしたほんの数分間の会話を思い返す。
変なこと言わなかったかな。
失敗しなかったかな。
阿部くんの「いいよ」って、どういう意味だったんだろう。
それと、最後のあれ。

「ああー!」

奇声を上げながら足をばたつかせてるって私絶対変な人!
でも好きな人との初めての電話のあとなんだから、ちょっとくらい変になったって許されると思う。
(自分の部屋にひとりなんだし!)

      好きな人、だ

ぱたん、と足をおろした。
ごろりと仰向けになる。

やっぱり私にとって阿部くんは、彼氏、というか、好きな人、だ。
今も、どうしても。
問題は      問題であるとすれば、どっちにしたって、さっきみたいに電話をもらえることがとても、うれしいということだ。

      あー。好き。桃とか
耳元で響いた、阿部くんの無造作な声を思い出す。

「……うー」

うなりながらおでこをこする。
脳裏に浮かんだちゃんのあきれ顔をかき消すように。
きっと言われてしまうであろうつっこみを自分でいれた。

      桃をうらやましがってどうする、私






(ぶどうの前の沈黙は、甲子園の常連校を検索するための間でした。)
(思いつかなかった末のぶどう。)