ギフト





いつものように自転車を押しながら歩いているけれど、いつもより少し時間帯が遅い。
夜空の暗さも、空気の冷たさも、しんと深まっている気がした。
12月の夜だ。

今日はサンキュな、という阿部くんの声が聞こえた。
からからという自転車の音にのせて。

「え……いえいえそんな」

答えた拍子に片手を振ってしまった。
阿部くんといると、やたらオーバーアクションになってしまうか、まったく身動きができなくなるかのどっちかのような気がする。

「私こそ、いっぱいごちそうになっちゃったしっ」
「そーか?そんなゆーほど食ってたっけ?」
「ち、散らし寿司!おいしかったし、いっぱい食べた」
「そーだっけか」

阿部くんは思い出すように首をひねって、「まー確かに、うまかったな」と素直にうなずいた。
いつものことながら階段一段分くらいずれたところに着地する阿部くんが、なんだかかわいくて、私も素直に「うん」と言った。

「……でも、あの」

少ししてから言ってみる。
阿部くんは目線だけ私のほうによこして「ん?」という顔をした。

「ほんとに、これでよかった?」
「何が?」
「プレゼント」
「あー。だって俺そー言ったじゃん」

確かにそうだった。
私が、寒さがぐんと厳しくなっていく時季がめぐってくるたびに、ずっと、ずーっと、本人に直接聞けたらどんなにいいだろうと夢見ていたセリフを、ついに口にしたときだ。

      誕生日プレゼント、何が欲しい?
って。



12月の始まりとともに、あっという間にやってくる阿部くんのお誕生日を前に、私は例年11月の半ばを過ぎたころから慌て出すのだけれど、今年もそうだった。
何をあげたら阿部くんが喜んでくれるのか、というか、阿部くんが喜んでくれるもののなかで私があげられるのが何か、というのが、今年私が初めて抱えた大問題だった。

渡したくて渡そうとして渡せなかったおととしや去年とは違って、今年は堂々とプレゼントをあげていいのだ、ていうかあげなきゃいけないのだ。

そう思うとうれしかったけど、野球第一の阿部くんに、私があげられるものなんて思いつかなかった。
グラウンドの照明、とか、新しいバッティングマシーン、とか。
一晩で背が5センチ伸びる魔法の薬、とか、つけていればいくら投げても消耗しない不思議な肘のサポーター(三橋くん用)、とか。
阿部くんが喜んでくれるものならいくらでも思いつく(現実的なものから非現実的なものまで)。
でもそんなのもちろん手に入れられるわけがなかった(金銭的にも、もっと根本的にも)。

一応悩んでみたけれど、埒が明かないままどんどん12月が近づいてくるので、とうとう聞いたのだ。
ずっと言ってみたかったんだし、言ったっていいんだから、言っちゃえ、と思って。



「あ、阿部くん、もうすぐお誕生日だよね」

帰り道、コンビニの駐車場で、阿部くんは肉まんを頬張りながらまばたきをした。

「ああ。よく知ってんなー」

感心したような言い方をされてなんだか無性に申し訳なくなって(弟の大会のパンフレットで調べたのだ)、本当に言いたいことが言えなくなってしまいそうだったから、それを無視する形で聞いたのだ。

「あの、誕生日プレゼント、何が欲しい?」
「くれんの?」
「う、え」

変な切り返し方をされてあたふたしてしまい、「私に入手できるものなら」と小さく答えた。

「んー」

阿部くんは肉まんを咀嚼しながら、ちょっとのあいだ考えていた。
照明?
サポーター?
私はどきどきしながら阿部くんの返事を待っていた。
阿部くんは肉まんを完食して、包み紙をごみ箱にぽいと放ると、やけにきっぱりと、迷いのない口調で言った。

「花」
「……え?」

はな。
花、鼻、華。
ぱっとできた漢字変換はこの3つくらいで、もちろん私は混乱した。

「え?花?って、フラワーの、花?花屋さんで売ってる?」
「ほかに何があるんだよ」

阿部くんがあきれたような顔をした。
野球に関係のある言葉で「はな」があるのかと思ったのだ、一瞬。
でもそうではなくて、阿部くんの言った「花」は、フラワーで、花屋さんで売ってる「花」で、いいらしい。
それは理解した、でももっと混乱した。

「え?花?」
「おー」

なんの花?
なんで花?
頭のなかで花(バラ、ひまわり、コスモス、たんぽぽ、エトセトラ)と阿部くんの顔がぐるぐる迷走し始めたけれど、それはすぐにストップした。

阿部くんが言ったからだ。

「花買って、うち来て」
「……うち?」
「おー」

阿部くんは平然とうなずいた。
バッティングマシーンとか、魔法の薬とかをリクエストされたほうが驚かなかっただろうと思う。





阿部くんに言われたとおりに花を買いのこのこと家族団欒を邪魔しにきた小娘を、阿部くんのお母さんはやけにはしゃいで迎えてくれた。
緊張でがちがちになっていた私が呆気にとられて拍子抜けするくらいに。

「ごめんねー、ウチのが変なお願いしてびっくりしたでしょう?」

いらっしゃい初めまして寒かったでしょうー早く上がって!
とあたたかく慌ただしく歓迎してくれた阿部くんのお母さんは、立て続けにそう言った。

「変なってなに」

お母さんのセリフを聞きとがめるように、自分が言ったんじゃん、と阿部くんが顔をしかめた。

「そーだけどさ。
それでもねえ、華がないって言われたからって彼女に花買わせてくる人がありますか、しかも自分の誕生日に」
「じゃーいらないの?」

阿部くんは、私が抱えたまんまの花      ピンク色基調のフラワーアレンジメント      を指差した。

「そんなこと言ってないでしょ、ていうか、一応タカの誕生日プレゼントなんだから、あんたが受け取りなさい」

阿部くんのお母さんの言葉を受けて、阿部くんが私のほうを見て、私は慌てて花を差し出した。
何か言うべきだと思って出てきた言葉は、「お誕生日、おめでとう」というその日に最もふさわしいお祝いだったのに、なんだかやけに間が抜けて聞こえた。
でも阿部くんは大まじめに「どーも」と言って受け取ってくれて、
そんな花束贈呈を、阿部くんのお母さんは楽しそうに眺めていた。



阿部くんのお父さんは中学のとき、PTAの関係で体育祭や文化祭に必ず来ていたからよく見知っていた。
たくさん食べて大きな声でたくさんしゃべる、(気迫負けさえしなければ)おもしろいお父さんだった。

あと阿部くんの弟くんには感動した。
中学生のとき、つまり私が阿部くんを好きになったときの阿部くんそのまんま、だったからだ。
そして阿部くんよりもずっとおしゃべりで人なつっこい子だったから(すごくかわいかった)、きっともてるんだろうなあ、お母さん心配なんだろうなあ、と思った。



「今日は来てくれてありがとね」

帰り際、阿部くんのお母さんがこっそり言ってくれた。

「タカってばいくら言ってもなかなか会わせてくれないし、どんな子連れてくるのか心配してたんだけど、よかった、安心しちゃった」

とりあえず合格点をもらえたらしくて、私のほうこそ大いに安心した。

「あの子ちょっとずれてるけど、別にマザコンてわけじゃないから心配しないでね」

お母さんにもずれてるって言われちゃうんだなあ、とちょっとおかしく思いながら、お礼を言って阿部くんのおうちをあとにしてきた。



私が合格だったのかどうかはともかくとして、阿部くんのお母さんはきっとうれしかっただろうなあと思う。
うちの弟なんて、母の日だってお母さんの誕生日さえ忘れそうになる。
反抗期ってほど反抗期じゃないけれど、最近は生意気な口もよくきく。
お母さんの些細な(かわいい)希望を叶えてあげることなんて、きっと照れくさくてできやしないだろう。
しかも自分の誕生日に。

      阿部くんは、それをやっちゃうんだもんなあ

冗談混じりでもなく真剣に、てらいもなく、当たり前のような顔をして。
それを「ずれてる」というなら阿部くんは確かにずれている。

好きだなあ、と思った。

阿部くんが、大好きだなあと思った。
片思いをしていたころのように、きりきりと焼け焦げるような、切羽詰まった思いではなくて、ひたひた押し寄せて満ちていくような、深い深い実感だった。



「あ、あのね?」
「ん?」

思い切って口を開くと、阿部くんがふいと顔をこちらに向けた。
無造作ではあるけれど無関心ではない、そういう顔が大好きだった。

「今日、ほんとに、ありがとう」

お祝いされるべきなのは阿部くんなのに、私のほうがプレゼントをもらってしまったような気がしていた。
だって私はずっと、阿部くんのお誕生日をお祝いしたかったのだ。
去年もおととしも、意気地なしの私はおめでとうの一言も言えなかった。
こんな特別指定席でお祝いできる日が来るなんて、本当に、まさかの出来事だったのだ。

阿部くんはきょとんとして立ち止まった。

「なんでお前がありがとうなわけ?そんなにちらし寿司気に入ったか?」
「……うん、それも、あるんだけど」

変な気負いが笑いとともに抜け落ちていく。
やばいなあと感じるのは、こういうところも好きだなあ、と思ってしまうことだ。

「今日みたいにいっしょにお祝いできて、私はよかった、んだけど」

プレゼントらしいプレゼントはちゃんとあげられなかったから、これでよかったのかなあって、思って。

きっと私は、阿部くんにちゃんと言ってほしかったのだと思う。
俺もよかったよ、うれしかったよって。

けれどそんなもくろみは「まー確かに、花は俺よりもかーさんにって感じだったしな」という言葉に打ち砕かれる。
阿部くんはとても正直だ。

「ほ、ほんとに欲しいものは何だった?」
「欲しいモンなあ。挙げ出したらキリねーし、お前に頼むよーなモンでもねーし」

ミットの新しいの欲しいし、ボールはいくつあってもいいし、専用グラウンドは夢だし。



やっぱり、頼まれたところでとても入手できないものばっかりだった。
アルバイトでも始めようかなあ、と半分冗談半分本気で考えていると、「あ」と阿部くんが小さく声を上げた。
ゆるゆると歩いていた足を止める。

「なに?」
「あった。お前に頼むの」
「え、なに?」

お小遣いはもらったばっかりだったし、出費もなるべく抑えてきたから、CDや本くらいならプレゼントできる。
阿部くんの欲しいものって何だろう、純粋な好奇心と期待を込めて阿部くんを見上げた。

「握手して」
「……あく、しゅ」

ぽかんと復唱する私の前に、阿部くんの左手が差し出された。
その動作は間違いなく握手の準備、だ。

「へ?え?握手?」

なんで、と思わず感じたとおりのことを聞くと、阿部くんは軽く眉をひそめた。

「だって」

手ぇつないだことねえだろ。



びっくりした。
徹底的に驚いた。

学校の帰り道はお互いにいつも自転車を押していたから、確かに手をつないだことなんてなかった。
でも何となく、阿部くんにはそういうの      手をつなぎたいとか、ないんだと思っていた。

勝手な思い込みを指摘されたような気がして、私は慌てふためいた。

「え、あ、それで、握手?」
「そー。あ、手袋とって」

更なる注文がきて、私はもっとおろおろしてしまった。
厳密に言えば、阿部くんの手に触ったことは、ある。
触ったというか、手の大きさ比べっこをしたこと、なんだけど。

私と阿部くんの中間地点に差し出された、阿部くんの手を見つめる。

阿部くんの手は、野球のためにあるんだと思っていた。
そこに私の分なんて、ないんだと思っていた。

あのときよりも私は、少しでもいいからちゃんと、阿部くんに近づけただろうか。
それを、知りたかった。

手袋を取って、阿部くんの手を受け取った。



「冷て」
「あったかい」

驚いた声の、正反対の感想が重なった。
阿部くんが感心したように目を見開いている。

「すげー温度差。2℃どころじゃねーなコレ」
「ご、ごめんねっ」

私が感じるあたたかさは、イコール阿部くんの感じる冷たさだ。
夏ならともかく、この寒いのにそんな冷たいものに触っていたくなんてないだろう。
慌てて引っ込めようとした手は、けれど阿部くんに握り直された。

「なに謝ってんだよ」
「っだ、だって冷たい、でしょ?」
「おー。コレ手袋してもそんな変わんねーだろ」

阿部くんが親指の腹で、手の甲をそっと撫でた。
思いがけない繊細な触れ方だった。
三橋くんの手じゃないんだよ、私の手、なんだよ。
思わずそう、確認したくなるような。
私の手は、阿部くんにとって、そんな大事なものになったのだろうか。

「俺の手のほうがあったけえぞ、たぶん」

そうかもしれなかった。
じんわり伝わる体温。

でも、手袋より阿部くんの手のほうがあたたかいかもしれないけれど、手袋は私のもので、阿部くんの手は私のものじゃ、ないのだ。
当たり前だけど。

そんなことを考えてるって、まさか伝わったわけじゃないだろう。
それなのに阿部くんは「今度からあんま冷たかったら言えよな」と言った。

「……え?」
「貸してやるから」

手。

短く、阿部くんは言った。

うわ、と思った。
阿部くんにあっさりと言われて気がついた。

私はほんとはやきもちを妬いてたんだ。
野球や、それを代表する三橋くんに。
そんな資格ないって言い聞かせてきたけど、いつの間にか。

正しくは、いつの間にか、ではない。
阿部くんが、ほんとに私を好きでいてくれてるんだと知ったときから。

うわ、とまた思った。
自分の欲の深さとひねくれっぷりに赤面した。

阿部くんはきっといつだって、私が「言え」ば、「貸して」くれたにちがいないのに。
冗談混じりでもなく真剣に、てらいもなく、当たり前のような、私の大好きな顔をして。



「……じゃあ、今度から、お願いします」
「おう」

やっぱり結局、私のほうがプレゼントをもらってしまった気がする。
だからせめて、阿部くんの手が離れていく気配がなかったから、私もその手を放さずにいた。
大切に握っていた。






(お誕生日おめでとう!今年も阿部くん大好きな1年でした2009。)