How poor she is!





「花井ーぃ」

またかよ。
うんざりし過ぎて顔を上げる気にもならない。
毎日の朝練後、教室に入ってからホームルームが始まるまでの10分か15分の間の俺の安息は、たいがいこの声で破壊される。

「花井ーってば!」
「っんだよ今日はー」
「英語の宿題ー!」

やるの忘れてたー!
わめきながら水谷が、今にも泣き出しそうな情けない顔をする。
その顔を見慣れてしまった自分までなんか情けなくなってくるから、いー加減にしてくんねーかな。

「英語ぉ?アレ10問くらいしかねぇだろ、自分でやれ」
「ムリだよ!英語2時間目じゃん!」
「1時間目にコッソリやれよ」
「主将が部員にそんな悪知恵仕込んでいーの!?てゆーかやろうと思ったけどなんか難しーんだもん!」

水谷が俺の机の前にしゃがみ込んで、「お願い!」と拝むように手を合わせる。
このポーズをこの角度で何度見たことか。

「わかんないとこだけでいーから!」
「んなこと言ってわかんねーとこばっかなんだろ、お前」

斜め後ろの席から冷たい言葉が飛んでくる。
水谷が「阿部ひどい……!」と言いながら、ますます情けない顔をした。

「甘やかすなよ花井。そいつが泣きついてくんの、これで何回目だよ」

かばんから教科書やらノートやらを出して机の中にしまい込みながら阿部が言う。
そーいやこいつ、昨日は数学の宿題ができてねぇとか言って、阿部にすがりついてたっけ。

「まー確かに、ここんとこひど過ぎだなぁお前」
「お願い!明日っからは気をつけるからー!」

お願いお願いお願い!
必死の連呼を聞いて、俺は溜め息をついた。
溜め息をつくごとにひとつ幸せが逃げてくとか言うらしいけど、それがほんとなら俺の幸せは半分くらい野球部員に奪われてるぞ。

「わったよ。とりあえずできるとこだけやってこい。わかんねーとこは次の休み時間教えてやっから」
「ありがとお!花井大好き!」
「うれしかねーよ」

水谷の顔がぱあっと明るくなって、ゲンキンなやつ、と思わずにはいられない。

にこにこしながら立ち上がった水谷が、「あ、さんおはよー」と急に言った。
座り込んだ水谷のそばに立っていたは、びくっというかぎくっというか、そんな反応を返した。

「おは、おはよう」
「はよ」

俺が言うと律儀に「おはよう」と返してくる。
でもの目線はすぐに俺を通り越して、もちろん阿部のほうへと向かう。
阿部の「うす」というあいさつに「おはよう」と返すの声はなんかすごく必死な感じがして、阿部の声のそっけなさと比べると、俺はいつもちょっとがカワイソーなような気になる。

「あの、水谷くん、これCD。こないだ貸すねって言ったの」
「あ、ありがとー!スゲうれしい!」

が差し出した四角い袋を、水谷が大喜びで受け取った。
前に席が近かったせいか、水谷はやたらとと仲がいーみたいだ。
ときどきこんなふうにCDの貸し借りをしてる。

「すぐ返すかんね」
「あ、別にゆっくりでいいよ」
「イヤイヤ、てゆーか早く聴きたいし!今日早速聴いちゃう」
「んな時間があるなら宿題きちっとしてこいよ、お前は」

ゆるい笑顔の水谷につっこみを入れる阿部の顔は、いつもどおりの仏頂面だ。
だから、コレがいわゆるヤキモチなのかどーかは俺にはちょっとわからない。

そして阿部の無愛想にも冷たい言葉にもすっかり慣れっこの水谷は、「阿部ってばほんとヒドイよねぇ」といつもどおりの文句を言ってしまうと、またすぐに笑顔になる。

「阿部も借りれば?コレちょー評判いいんだよ?」
「別にいらねー」

あまりにも興味なさそうに阿部が言うもんだから、俺はますますが気の毒になってきた。
阿部お前、仮にも自分のカノジョの趣味だろ。
もうちょっとほかに言い様があるだろーに……。

「あ、じゃあ、私、行くね」

そう言うの顔が心なしかショックを受けてるように見える。
ていうか、がわざわざ俺らの席のほうに来たのって、水谷にCD渡すためってうか、阿部と話したかったんじゃねーのか?
俺でも予想できるようなことを、阿部は本気でわかってないらしい。
ほんと、読みが鋭いのはキャッチャーマスクかぶってるときかバット握ってるときだけだなコイツ。

      やっぱってカワイソ。
俺が改めて思ったときだ。



「あ、

呼ばれて、振り返ったが、目を真ん丸くして阿部のほうを見る。
今自分を呼び止めたのがほんとに阿部なのか、疑ってるみたいな顔だ。

「今日、部活ある日だっけ?」
「う、うん」
「8時まで待てる?」

阿部の言葉に、顔からこぼれるんじゃないかってくらいに丸くなっていたの目が、ゆっくりと輝き出す。
      あ、デジャヴ。
今さっきの水谷だ。

「ま、待ってるっ」
「ん。じゃーこっち終わったらメールする」
「うんっ」

笑ってうなずいたの声はわかりやすくはずんでいる。
足取りも軽く自分の席へ戻っていくを見送りながら、も結構ゲンキンなんだな、と思った。



「ねー阿部。さん、今日髪型いつもと違かったねー」

水谷が今度は阿部の机の前に陣取った。
そのポジションでそーゆー命知らずな発言ができるのは、ホント、お前か田島くらいだぞ水谷。
でも阿部は、水谷の言うことなんてどーでもよさそーに、「そか?」と言いながらかばんから野球雑誌を取り出した。
(1時間目の時間潰しに使うつもりなんだろう。)

「おだんごだったじゃん。かーいーね」
「そーか?」
「てゆーかさ、さん最近かわいくなったよね」

水谷がにへらと笑う。
阿部はページに視線を落としたまま、「そーかぁ?」と言っただけだ。
その反応では物足りないらしく、水谷は不満そうな顔になった。

「阿部さ、俺の話ちゃんと聞いてるー?」
「きーてるよ」
さんかわいくなったよねー、って、言ってんだよ?」
「だからそーか?って言ってんじゃん俺。なんか変わったか?あいつ」
「だからかわいくなったよねーって」
「お前ソレ、いつと比べて言ってんの」
「そりゃーもちろん阿部とらぶらぶになる前でしょー。オンナは彼氏ができるとかわいくなるんだよー」

阿部とらぶらぶだからかわいくなったんだよー。
ね、らぶらぶなんでしょー。
今日もいっしょに帰るんでしょ、いーなー。

ゆるみまくった顔で、水谷はそんな聞くに堪えないハズカシイことをぺらぺらしゃべった。
こいつがどういう目的でこういうこと言うのか、俺にはぜんぜん理解不能だ。
阿部を怒らせたいのか?
それともからかいてぇのか?

でも水谷は、そういうよからぬ目的を微塵も感じさせないうれしそうな笑顔で、また言った。

「ね、さんかわいくなったよねー」
「そーか?別に変わってねーだろ」

ページをめくりながら、阿部はさっきと同じ、生返事みたいな返事をする。
水谷はそれがどうしても気に入らないらしくてまたふくれっ面になった。

「阿部ひでぇ。そんなんじゃカレシ失格だよ?」
「は?」
「だって変わってねーとかひどいじゃん!髪型だってさ、阿部に気づいてほしかったに決まってるしー」

水谷が下からにらんでいるけど、阿部はやっぱり雑誌から目を離さずに、そしてしれっと言い放った。

「だってあいつ、前からかわいーじゃん。髪だって別に、ふつーになんでも似合うし」



      出た……
水谷の顔は豆鉄砲を食らった鳩になって、俺は耳をふさいでなかったことをめちゃめちゃ後悔した。

「おっまえそーゆー爆弾発言をフツーにすんな!」
「は?なんだよ爆弾発言って」

俺が怒鳴ると阿部はやっと顔を上げた。

きょとんとすんな!
俺がこんなハズカシイ思いをしてるときに!

水谷はというと、さっきの阿部の言葉でやっと満足したようで満面の笑みを浮かべた。

「阿部ってばちょーノロケー!」
「はあ?」
「どーする花井、俺たちスゲあてられちゃったー」
「知るか!つかなんでお前はそんなうれしそうなんだ!ワケわかんねぇ!」
「じゃーなんで花井はそんな怒ってんのー?それこそワケわかんねぇし」
「つーかお前ら2人ともワケわかんねー」
「わりぃのはお前だ!俺は単なる被害者だ!」
「はー?意味わかんねーし」

阿部が眉をひそめて「被害妄想かよ」とか言う。
ちげーよ妄想じゃねーよ純然たる被害者だよ俺は!

こんな歩く天然発言製造機にホレちまったは、
きっとさっきみたいに、毎日コイツの言動に一喜一憂させられてるんだろう。

      やっぱカワイソーだ、
確信をもってそう思った。