「あのさあ」

あきれた阿部くんの声が言う。

「俺は会いたいから早く治せたぁ言ったけど、風邪押して学校来いとは言ってねえぞ?」
「……はい」

そのとおりです。
保健室のベッドのふとんに顔を半分隠して、私はもごもご返事をした。
だってあんまり情けないものだから。

「はい、まだ結構熱ありますので。はい、お願いします」

カーテンの向こうで保健の先生が電話をしている。
担任の先生からうちに連絡が行く。
早退、なんて聞いたらお母さん怒るんだろうなと私は思った。
無理もない、もう一日休めという制止を振り切って登校してきたのは私なんだから。
勇ましく学校に来てみたものの、回復し切ってなかった私の体調は午前中の2時間しかもたなくて、
そのあと2時間は保健室でダウン、そして今、つまり昼休みであえなくノックアウト、早退、と。
先生が電話を切った電子音が私にはゴングの音に聞こえた。



昨日の阿部くんの電話で調子にのっちゃって、ほんとばかだなあ私は。
そう思ってそっと溜め息をつく。
それが熱の苦痛からくるものだと思わせてしまったのか、阿部くんは「しんどい?」と言ってくれた。

「う、え、平気」
「へーきだったら早退しねーだろーが」
「あ、そう、だね」

しかめ顔で指摘されてそう答えたけど、だって「しんどいか」って聞かれて「うん」なんて言えないと思う、普通は。
そんな反論が浮かんだけれど、阿部くんの手がすっと伸びてきて「そもそも熱ぃしお前」とおでこに触れたので、たちまち私はそれどころではなくなる。

「なんか朝より熱くなってねえ?」
「っ、き、気のせいだよ」

朝、というのは教室でのことで、1時間目が終わるなり今と同じようにされて、今よりもずっとびっくりした。

      お前まだ熱あんじゃねえか
そう言われてそのまま保健室に連行された。
阿部くんに手首を引っ張られて教室を出る寸前、「いってらっしゃーい」と言いながら見送ってくれる水谷くんの笑顔がちらりと見えた。

いつもは温かく感じる阿部くんの手だけど、今日は私の体温のほうが高いみたいだ。
それでも阿部くんの手のひらで額が包まれているのはどうしても照れくさくくすぐったくて、
早くどけてほしいようなずっとそうしていてほしいような葛藤で苦しくなるから、そんなに簡単に触れないでほしいのに。
(しかも朝は教室の真っ只中で!)

なんだかどんどん熱が上がってる気がする、と思っていると、カーテンの外から「あ、もしもし、保健室ですけどー」という先生の声がした。
何かほかの用事なのか、2件目の電話をかけてるみたいだ。
その先生の声にかぶさるように、今度は阿部くんのほうから溜め息が聞こえてきた。
どうしたんだろうと思って視線を上げる。
阿部くんはベッドの柵にもたれかかって、なんだかふてくされたように「早く治せよ」と昨日と同じことを言った。

「へ、あ、うん」
「でねーと会ったってキスもできねえじゃん」

今したらすげー気持ちよさそうなのに。

      え」
「三橋と約束したから風邪うつるとヤバイし」

つまらなそうに、もうひとつ深く息を吐き出した阿部くんの口調が、
まるで楽しみにしていた遊びの予定を急にキャンセルされた小さい子、みたいに率直だったから私は絶句する。

なんだか電話がはずんでいるらしい、先生の笑い声が一気に遠くなった。

おでこにのっていた阿部くんの手が、熱で      
風邪の熱なのか何なのか、もうわからない熱で赤くなっているに違いない頬に、耳元から首元にすべっていった。
ゆっくりと。
それはまるでキスのような触り方だったから、私はますます声を失う。

「ほっぺならいーかな、唾液感染しねーもんな」
「っえ!?」
「……でもしたら絶対口にしたくなるよな」

我慢すっか。

阿部くんが小さくそう言って、今度は手が頭のほうへ移った。
いい子いい子というよりも、まるで犬の頭を撫でるような無造作な手つきで私の髪をくしゃくしゃ撫でてから、離れていく。
同時に「はい、じゃあどうもー」と先生の声がした。
電話が終わったらしい。

「じゃー俺行くわ」
「っ、え、あ、うん」
「早く治せよ」

あっさりと丸椅子から立ち上がった阿部くんは、「あ、でも」とくるりとこっちを向いて私を見下ろした。

「今度は完治するまで来んなよ」
「……は、い」
「じゃーな」

そう言うと、阿部くんは仕切りのなかから出て行った。
しつれーしあすと先生にあいさつする声が聞こえて、そのあとに足音、ドアを開ける音と閉める音。
取り残された私の視界にカーテンの陰から先生の顔がひょいと表れたので、なんだか今更だけど慌てた。

「具合どう?電話しといたから、もうちょっと待っててね」
「っは、はい!」

不自然にいいお返事をしてしまったので、それをごまかすために寝返りを打った。



      阿部くんああいう自問自答は心のなかでしてほしい……!

私に相談されたって困る。
本当に困る。
いなくなってしまった阿部くんの代わりに保健室の壁に向かって私は思う。

加えて、今私が熱を出していることすら知らないだろう9組の三橋くんに向かって感謝する。
いつか聞いたことがある、キャッチャー皆勤賞のために怪我も病気もしない約束をしたこと。
阿部くんのなかで、風邪も病気のうちに入ってたみたいだ。

入ってくれててよかった。
      よかった、んだよね?

自分で念を押すように確認したら、これ以上熱くなるはずがないと思っていた顔がさらに熱くなった気がして、私は小さく頭を振った。

      とりあえず、完治、させよう
それからいろいろ考えよう、そうしよう。
そう決めて、私は目をつぶった。






(いろいろやり過ぎたのはどこぞの牡羊座の生徒会長のせいです)