その周り
屋上に向かう阿部と別れて、水谷と2人で9組の教室を覗き込んだとき、見つけた野球部メンツは泉だけだった。
教室の真ん中辺りに机を寄せて、浜田と2人でしゃべっていた泉は、俺たちに気づいて「オウ」と軽く手を挙げた。
「どーした?」
「イヤ。三橋と田島は?」
「購買」
体育のあと2人して早弁してたから、と泉が言う。
泉は今日は弁当で、弁当箱はすでに半分くらい空になっていた。
「逆にすればいいと思うんだよねー」
この椅子いい?いいよね、と無意味な自問自答をして、水谷が手近な椅子を引き寄せて座る。
「逆って?」
「合間に腹減るのわかってんじゃん。俺ちゃんとおやつ用にコンビニでパン買ってきてんもん。
で、弁当は昼にちゃんととっとくの」
その説明どおり、今日も水谷は4時間目が始まる前の休み時間、チョコチップのメロンパンを大口でほおばっていた。
それでも待ち切れないように、浜田のおにぎりが詰まったタッパーの横にさっさと弁当箱を広げる水谷に倣って、
俺もそばの椅子を指差して「この席いい?」と泉に聞いた。
「え、別にいーだろけど。つかお前らなんでウチの教室で昼飯食おうとしてんの?」
「田島の見張りー」
「見張り?」
「そ。メシ食い終わって、万が一にも7組に阿部のカノジョ見に行こー!とかならないよーに」
水谷が答えると、浜田がおにぎり片手に「あー」と納得したような声を上げる。
「じゃー阿部、今カノジョといんの?いねーなと思ったんだ」
「そ。らぶらぶランチタイム中ー」
「なんでお前がそんなうれしげなの?」
泉が、確かににまにま笑っている水谷の顔を、不審そうに、というか、むしろ気持ち悪そうに横目で見る。
「え、だってなんかうれしくない?」
「何が」
「だって阿部ってさ、野球バカだしさ、クラスじゃ無口で怖えーしさ。そんな阿部にカノジョが!みたいな」
水谷は「さ」を言うタイミングで箸をぴっぴっと動かす。
行儀わりーぞ箸振り回すな、とか思ったけど、
そんな母親みてーなこと思う自分が悲しいから口には出さない。
「イミわかんねー」
「てか阿部がソレ聞いたら怒りそー」
泉が眉をひそめ、浜田が笑う。
俺の意見はどっちかというと泉寄りだ。
確かに「そんな阿部にカノジョが!」ってところまでは共感できるけど、そこから「うれしい」(それも顔いっぱいにゆるゆるの笑顔を浮かべるほどの「うれしい」)にいたるまで、
水谷の思考回路ではいったい何が起こってるんだろう。
その辺りはホント意味不明だ。
「あれ!なんで7組がいんのー!?」
でかい声とセットで田島が教室に戻ってきた。
そのうしろで三橋がオドオドキョロキョロしている。
2人とも購買で買ったパンを腕に抱えている。
三橋はなんかビクビクしてっから阿部のこと探してんのかもしれない。
同じことを思ったのか、水谷が三橋に声をかけた。
「あー三橋、だいじょぶだよ、阿部ならいねーよ」
「う……?」
「カノジョと昼飯食ってんだって」
「お、おお……っ」
「え、マジ!?あとで見にいこーぜ阿部のカノジョ!」
「だーめ」
浜田の説明にたちまち色めきたった田島に、水谷がやけにきっぱりと言う。
「え、なんで?」
「気ぃきかせてやってよー。オジャマムシじゃん」
「えーだって気になんじゃん、阿部のカノジョどんなんかー」
席に着いてカレーパンの袋を勢いよく破りながら、田島が唇をとがらせる。
「あ、俺もそれは気になる。どんな子?」
「ふつーにかわいーよ」
「水谷の証言は信用ならねー」
「え、なんでよ!?」
「だっておまえ評価あめーもん」
「泉がメンクイ過ぎるだけじゃん!」
水谷の反論を無視した泉が「どんな子?」と俺に目線を向けた。
俺に聞くのかよ。
「イヤどんなって聞かれても……」
「かわいい?」
「えー?あー……」
、なあ……。
まさかのことを「どんな子?」なんて聞かれる日が来るとは思わなかったから、いきなり説明しろって言われても困るんだけど。
話したことねーし。
つーかアレはかわいいのか?
正直よくわかんねー。
「まーフツーじゃねえの?てか俺に聞くなって。水谷のが仲いーんだから」
「仲いーの?」
「んー。席隣だから」
「つーかソレ、阿部が告ったの?」
「んー、俺が思うに違うね。告ったのはさんだよきっと」
メシをかきこみながら、なんか自信満々に水谷が言うけど。
「え、告られたって言ってたよ?阿部」
「は!?」
「なあ花井」
浜田に言われて俺が「あー」と肯定の返事を返すと、ショックを受けたらしい水谷は「うっそマジで!?俺が聞いても答えてくんなかったのに!阿部ひでー!」とわめいた。
「オメーがうるせーからだろ」
ついでに飲み込んでからしゃべれ。
サクッと泉に切り捨てられ、水谷が箸をくわえて「泉もヒデー」とむくれる。
そんな文句もやっぱり無視って、泉は「つか信じらんねー」と言った。
「阿部に告るオンナとかいるんだ。阿部のどこがいーわけ?イミフメーじゃね?」
「え、そお?」
「まー阿部はスグ怒るしなー」
な、三橋!と、田島に声をかけられて、もぞもぞクリームパンをほおばっていた三橋の肩がぎくっと揺れた。
視線をきょろきょろさせながら、「え」とか「う」とか、それこそ意味不明な声を出したあと、
思い切ったような声を出して俺らをビックリさせた。
「あ、阿部くん、はっ…… か、カッコいいっ」
そう言い切ってしまうと、三橋は水中から浮かび上がってきたときにするみたいに大きく息を吸った。
それだけのセリフにそんなにエネルギーいんのかよ、とは思ったけど、とりあえず三橋の言いたいことはわかった。
「だよなあ!阿部はカッコいーよな、三橋!」
「う、うひっ」
水谷が我が意を得たりみたいな声を出すと、三橋は首を引っ込めて照れたように笑った。
そういう動作を差し引いても、俺は改めて三橋のことを変なヤツだと思わずにいられない。
どんだけ阿部に怒鳴られても口うるさいこと言われても、阿部に対してあんなビビりまくってても、三橋は阿部のことを嫌っちゃいないんだ。
そんだけ阿部のこと信頼もしてるんだろーし感謝のキモチとかもあるんだろーけど、
あれだけ遠慮なしに怒鳴られて、ちょっとでもムカツクとかなんねーのかな。
なんねーんだろうなあ、コイツは
水谷の同意の言葉に、ニヤニヤうれしそうに笑う三橋を見ながら思った。
三橋は阿部のことニガテはニガテなんだろうと思う。
だってたまに廊下でかち合ったときとか部活のときとかも、阿部に声かけられるたびにビクついてるし。
(でもって阿部はソレにイライラしてる。)
でもそんな態度でも、三橋は阿部のことダイスキなんだ。
ニガテとダイスキっていう気持ちが、ひとりの人間のなかでなんで両立してんのかは俺にはイマイチわかんねんだーけど
「 あ」
頭んなかで、テストの穴埋め問題の答えを書き込むとき、
あの何かがどこかにカチッと収まる感じがして、気がついたら声に出しちまっていた。
「なに?」
「どーした花井」
「あ、イヤ、ホラ、って三橋と似てねーか?」
「三橋と?」
水谷がスットンキョウな声を上げ、三橋がギョッとする。
「どっこがー?」
「え、阿部に話しかけられたときの反応が?」
今朝の、阿部が別に怒鳴ったわけでもねーのに、椅子から飛び上がりそうなくらいビックリしていたを思い出したんだ。
アレって三橋の反応そっくりじゃねーか?
水谷が目線を額のほうへ寄せて、「あー……」と考えるような声を出す。
「でもさんのはアレだよ、阿部だからでしょ?俺にはフツーだもん」
「そーなの?なんか常にビクビクしてるイメージあんだけど」
今自分で言ってて気づいたけど、ってなんか小動物系だ。
なんか、ヒヨコとか。
いやヒヨコが常にビクビクして生きてる生き物なのかどうかは知んねーけど。
「それは花井が怖いだけだって」
「は?なんで俺がこえーの?」
「だってデカイしボーズだし。さんちっさいし人見知りっぽいし、怖いんじゃねーかな」
「なんっだそれ」
「つか女子からすりゃ怖いのは阿部も花井もいっしょじゃね?」
泉がサラッと失礼なことを言う。
阿部はともかく俺は目の前にいるんだぞ。
「おとなしー子なの?阿部のカノジョ」
「んー、まーね。騒がしくはないよ」
「へー。意外かも。阿部ってハキハキした子がいいのかと思ってた」
「あ、それわかる。ぐずぐずしてんのキライそー」
浜田の言葉に田島がうなずく。
「あ、阿部くん……」
珍しく三橋が自分から会話に参加してきた。
珍しく、っていうか、9組内ではいつもふつーにしゃべんのかな、コイツも。
「前、首振る投手、き、キライって、言ってた」
「首振るって?サインに?」
「あー。榛名?サン、だっけ?」
「それがなに?」
話がそれたな、と思って俺が聞くと、三橋が首をすくめて固まった。
あ、しまった、威圧しちまったか?
俺が慌てたとき、田島が「ああ!」と手をたたいた。
「首振るオンナもキライなんじゃね?阿部」
三橋がぱっと顔を輝かせた。
田島の訳で正解らしい。
なるほど、そうつながるワケか。
「……ああ。そーかも」
「テーシュカンパク?ってゆーんだっけ。ぽいかもー」
泉と水谷がうなずき合う。
好き放題言ってんなー。
(ついでに水谷は漢字変換できてなさそーだ)
でも体育のときは浜田の話聞いて「確認してみる」って言ってたし、今もその話、にしてんだろーし。
まったくの亭主関白ってわけでもないとは思うんだけど。
……あ、でも「ほかのやつにとられたらヤダ」とか、思い出すだけでハズカシイことも言ってたっけか。
あーゆーこと言われて、ただでさえ阿部の前で萎縮しまくってるように見えるはどんな反応すんだろ。
つか、やっぱり謎なんだけど、ってあんなビビリまくってんのにホントに阿部のことスキなのか?
んなかでも、阿部のことニガテっていうのとダイスキっていうのが両方とも成り立ってるんだろうか。
だめだ、やっぱ謎過ぎ
俺のなかの謎過ぎ代表である三橋が、泉たちの会話を聞きながら、なんだかうれしげな顔であんドーナツをかじっている。
「つーかソレってヤバくね!?」
「何が」
聞き返しつつも、田島の目がキラキラ輝いていたからなんとなく予想はつく。
「だってそれじゃー阿部やりたい放題 」
「声がデカイ!」
「つか昼間っからそーゆー話はやめろっつの」
昼飯をすでに終了させていた泉と浜田がほぼ同時に声を上げる。
ストッパーが多くてよかった。
本気で。
俺と水谷が9組の教室を出たときには、予鈴はとっくに鳴り終わっていた。
ほんとは予鈴が鳴る前には7組に戻っていたかったのに、昼飯が終わったところで田島が数学の宿題やってねえって騒ぎ出して、案の定というか、続いて三橋も真っ青になったからだ。
「あ、花井、阿部だよー」
教室に入りかけたとき、俺の背後から水谷のうれしげな声がした。
イヤ、別にわざわざ教えてくんなくてもいーんだけど
そう思ったけど、一旦教室に引っ込めた頭をもう一度廊下に出してみた。
阿部と、その1.5歩くらいうしろに、なんだか居たたまれなさそうながいた。
「おかえりー」
「なんだお前ら。どっか行ってたの」
「うん、9組行ってた。阿部たち遅かったねー」
本鈴ギリギリだよー。
昼休み楽しかったー?
やたらにニコニコしながら水谷が聞く。
「あー。だってコイツ食うの遅くてさ」
水谷の冷やかしたいからかいたいっていう気持ちは足の小指の爪の甘皮ほども伝わらず、阿部が平然と答える。
こいつ、と指さされたが、拳銃でも突きつけられたようにびくっと震えた。
「ご、ごめ、ごめんなさい……!」
「イヤ別にいーけどさ」
やっぱ似てる、このキョドリ方
さっきの9組での話を思い出して俺は思った。
同じように昼休みの会話が頭にあったらしい水谷が、「さん」と呼びかけた。
(確かには阿部のときほどビックリはせず、ちょっと目を大きくして「え?」と言っただけだった。)
「イヤなことにはちゃんと首振らなきゃダメだよ?」
「……は」
「なんだソレ?」
アドバイス(のつもりなんだろう)を受けたも、そして阿部もそろってきょとんとした。
そりゃそうだ。
いきなりあんなこと言われて、それまでの文脈も知らないのに意味がわかるはずない。
というか、わからなくてよかった。
「何言ってんの、コイツ」
「ほっといていーぞ。も気にすんな」
阿部に通訳を求められてそう答えたとき、こっちを見上げていたとぱっと目が合った。
なんか、心なしか、水谷が話しかけたときよりもビビられた気がする……。
そんなビビるような外見なのか俺は、と思うと軽くショックだ。
「阿部の言いなりになっちゃだめだよー」
「んだよ言いなりって」
阿部の眉間のしわが深くなったとき、ありがたいことに本鈴が鳴った。
「ホラ、授業始まるぞ」
セリフに「余計なこと言って阿部怒らせるな、痛い目見んのは自分だぞ」という気持ちを込めて、
相変わらずにこにこうれしそうな水谷の耳を引っ張って教室に入った。
(三橋に「阿部くんはかっこいい」って言わせたかったゆえの所業)
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