星が降った日
屋上に着くと、いいお天気のせいか、もうけっこう人がいた。
出入り口からあまり離れていないわかりやすそうなところを選んで、私は座った。
周りを見回してみる。
知ってる人は……うん、たぶん、いない。
なんか、それだけが慰めかも。
はー、と溜め息をついたあと、すみっこを陣取ったカップルに気づいた。
どっちも知らない人だけど、なんとなく上級生のような気がする。
いっしょにいるのが当たり前、っていう自然な雰囲気のせいなのかな。
楽しそう。
仲、いいんだろうな。
それに引き換え、私はきっと荷馬車でごとごと連れてかれる子牛みたいな顔をしてると思う。
今の気分はドナドナ以外の何ものでもない。
……なんか、私って、ほんとに阿部くんのこと好きなのかな。
朝ちゃんに聞かれたことだけど、今更すごく疑問になってきた。
ふつう、好きな人といっしょにごはん食べるのって、うれしいことだと思うんだけど……。
ふられるんだろうなっていう予想がなかったとしても、この状況でうきうきできる気がぜんぜんしない。
膝の上に置いた、高校入学と同時に買ってもらったお弁当箱を見下ろす。
楕円型の、黄緑色でクローバーの模様が入ってる二段重ねのお弁当箱。
ふつうくらいの大きさ、だとは思うんだけど。
……大食いなんだなとか思われたらどうしよう。
私は特別小食でもいっぱい食べるわけでもないけど、好きな人の前では、大食いであるより小食でいたい、気がする。
おそろいの箸箱を開けて、おはしを取り出して持ってみる。
正しい持ち方だよね。
こればっかりはお母さんに叩き込まれたし間違いないはず。
かくかくとおはしを動かしながら、お行儀にうるさいお母さんにこっそり感謝した。
でも私、ほんとに阿部くんの前でちゃんとごはん食べられるのかな……。
しかも「別れ話」とやらを切り出されながら。
想像してみると、なんかすごく、ムナシイ図だな……。
2本のおはしと親指で作った三角形を見つめながら、私はまた溜め息をついた。
そのとき出入り口のほうで足音が聞こえて、顔を上げた瞬間、阿部くんと目が合った。
おはしを持ったまんまで、私は思わず背筋を伸ばした。
「おまちどーさん」
近づいてきた阿部くんはそう言って、私の右側に座った。
ど、どうしよう……。
なんかすでに心臓が、大変な状況なんだけど。
だって阿部くんが!あの阿部くんが!
私の隣に座ってる!
すぐふられちゃうにしても、これはほんとにスゴイことだよ……!
一生の思い出かも、なんて、私はちょっと感動してたんだけど、阿部くんはすいすいとお弁当箱の包みをといていく。
「腹減ってんなら先食ってればよかったのに」
「え?」
「箸持って準備万端じゃん。悪かったな、待たせて」
謝られて、はたと自分の右手を見直す。
……バカ!
確かに変だよなんでおはし持って阿部くん待ってるの私のバカ!
「やっ、あの、別に、そういうわけじゃない、からっ」
「ふーん……。ならいーけど」
私の全力の否定を、阿部くんはいともあっさり受け流した。
……そりゃそうだよね、おはし握りしめたまま言ったって説得力ゼロかも。
私がさっそくダメージを受けてるうちに、阿部くんは自分のお弁当箱を開いていた。
長方形の、やっぱり二段のお弁当箱。
それを見てちょっと驚いた。
やっぱり大きい。
私のより一回りくらい大きいような気がする。
阿部くんって細いけど、やっぱりいっぱい食べるんだなあ……。
そんなふうに感心してたんだけど、しまった見すぎたかも、と思って慌てて阿部くんのほうを見た。
そしたら、なんでか阿部くんも、お弁当のほうをじーっと見ている。
……どうしたんだろう?
何か嫌いなおかずでも入ってるのかな。
そう思ったとき阿部くんの目が、お弁当から私のほうに移ってどきっとする。
どうしよう今度こそ見すぎた!?
怒られるのかと思って身構えてしまったけど、阿部くんは「お前もやる?」と言っただけだった。
「……え?」
「脳内ホルモン鍛えんの」
「ホルモン……?」
「弁当箱開けて。ソレじっと見る」
ホラ早く、と急かされて、私はよくわからないままお弁当箱のふたを取った。
おかずは昨日の夕飯の残りだから、ポテトサラダとミニトマト、チーズののったハンバーグと春巻き。
それとほうれんそうの入った卵焼きとお弁当用のレトルトのミートボールだ。
お母さんったらほんとに私の好きなものばっかり作るんだもんなあ……。
しかも、お祝いとか言ってお赤飯まで炊いて
そんなことを考えながら、お弁当箱の上の段を取る。
その途端、私の目は点になった。
現れた下の段に詰め込まれた、お赤飯のおにぎりを見て。
お母さん!
確かに私はお赤飯大好きだけど、なんっでお弁当にまで入れるの!?
阿部くんにつっこまれた場合、いったい私はなんて答えればいいの!?
「できた?」
「っえ!?あ、うんっ」
私が慌てふためいてうなずくと、「じゃ」と阿部くんが両手のてのひらを合わせる。
「うまそう!いただきます!」
勢いよく阿部くんがそう言ったので、私はびっくりする。
ぽかんと見ていると、お弁当を食べ始めた阿部くんが「ホラ復唱」と言う。
「え……?あ、今の?」
「そ」
「……」
何がなんだかわからないまま、私は恐る恐る手を合わせた。
「う……うまそう。いただき、ます……?」
なんとなく疑問形になってしまい、ちらりと阿部くんをうかがう。
「ん。食えば?」
どうやら合格したらしい。
それにしても今のはなに……?
「部の顧問にさ、メシの前やれって言われてんだよ、今の」
私の心を読んだみたいに阿部くんが言った。
「あ、野球部の?」
「そ。今のやると、脳内ホルモンが活発になって集中力上がるんだって」
「……そう、なんだ……」
納得できたようなよくわからないような気持ちで、でもとりあえず私はうなずいた。
すごいな、こんなことまでやるんだ。
野球部って練習もすごく厳しいみたいだけど、ごはんみたいな普段のときでもやらなきゃいけないことがあるんだな。
「って部活なにやってんの?」
「えっ?」
「昼休み、いつも教室いねぇだろ。部活の集まりかなんかなんじゃねぇの?」
とっさに返事ができなかった。
確かに、お昼ごはんは部活の友達や先輩たちといっしょに食べてるから、いつも教室にいないんだけど。
阿部くんが、なんでそれを知ってるんだろう
びっくりしたまま、ごはんを食べる阿部くんの横顔を見ていると、阿部くんの目がちろりとこっちを向く。
しまった早く答えなきゃ!
「あ……合唱部」
「へぇ。昼休み練習してんの?」
「う、ううん。みんなで話しながらごはん食べてる、だけ」
「練習日いつ?」
「あ、火曜と木曜」
「週二?」
「う、うん。文化祭とかの前は、もちょっと増えるみたいだけど」
「ふうん……。部っていうか、同好会みたいなもん?」
「う、うん」
たてつづけに質問を重ねた阿部くんが、そこでちょっと黙る。
なんだか、沈黙が息苦しい。
どうしよう。
確かにうちの部は、阿部くんの野球部と比べたりしたら失礼なくらいゆるいところだけど。
もしかしてあきれられちゃったのかな……。
やきもきしていると、阿部くんが不意に「あ」と声を上げた。
「そーいや聞きたいことあるとか言ってなかったっけ?」
「え!?」
「なに?」
「え、や、あ……阿部くんの!話からどーぞっ」
なんで私のことなんか、彼女にしてくれるの、なんてこと。
阿部くんの話のあとだと、きっと聞かなくてよくなる。
「あー」
阿部くんがちょっと視線をそらす。
あ、なんだかちょっと言いにくそう。
やっぱりそうなのかな。
ふられちゃうんだ。
昨日の放課後から今まで、ずっと気持ちがごちゃごちゃしたままだったからか、そう思っても今はわりと平気でいられた。
よかった、今なら泣かずにすみそうだ。
大丈夫。
そもそも、阿部くんの彼女にしてもらえる、なんて夢のようなことが、やっぱり夢だったってわかるだけだもん。
大丈夫、泣かない。
あのさ、という阿部くんの声が聞こえる。
「ウチの部、今夏大前で休みねぇんだよな」
「 は」
この瞬間、ものすっごくまぬけな顔をしてたと思う。
幸いなことに阿部くんはお弁当箱からごはんをかき込んでいて、私のほうを見ていなかった。
「いちお週一で休養日はあるんだけどその日もミーティングはあるし。土日も練習だし。平日も終わんの9時だし」
阿部くんの言葉を、私は呆然としながら聞いていた。
野球部の練習が大変なことは知ってる(水谷くんが、よく野球部のことを話してくれるから)。
大会前だってことも、その初戦が去年甲子園へ行った桐青だってことも、トーナメント表を新聞で見たから知ってる。
だから初戦を突破するために、朝も放課後も、平日も休みの日も、ずっと練習をしてるんだってことも、知ってる。
なんで阿部くんは今、そんなことを私に教えてくれるんだろう?
あ、部活が忙しいから付き合うのやめるってことなのかな?
それなら、私のことがきらいだからっていう理由よりは傷つかないかも
そんなことを考えていると、阿部くんが、お弁当箱から顔を上げて私を見た。
「それでもいい?」
「……え?」
「だからさ。休みの日出かけたりとか、そーゆーの、あんまできねぇと思うけど」
それでも付き合ってくれんの?
阿部くんが、こっちを見て言った。
私は、ただただぽかんとするしかなかった。
今阿部くんなんて言ったの?
それでも付き合ってくれんの、って、言った?
私に向かって?
やっぱりこれも夢なんじゃないかって思いながら、きっと間の抜けた顔をしている私から、阿部くんは視線をはずさなかった。
私のほうを見ていた。
阿部くんは、目が強い人だなあって、ずっと思ってた。
教室で授業を受けているちょっと退屈そうな顔のときも、グラウンドで野球をしている真剣な顔のときも。
きゅっとした目線が崩れることはほとんどなかった。
そういう阿部くんの顔を、気づかれないように気づかれないように、そっと盗み見しながら、私はいつもどきどきしていた。
かっこいいなあって、思いながら、いつも。
どこ見てるのかな。
何を見てるのかな。
見つめる先にあるものが、黒板だったり教科書だったり、ボールだったりチームメイトだったり試合の相手だったり、そういうものだっていうのがわかってても、そんなふうに思ってた。
あんなに強い、力のある目をする阿部くんを、遠い人だなあ、って、ずっと思ってた。
……あの視線の真正面に自分が立つことなんて、考えたこともなかった、のに。
目がじんわり熱くなって、顔を上げていられなくなった。
ふられるかもって思ったときも、泣かないって思ったのに。
「あ、やっぱイヤか」
「い、いやじゃないよっ」
ちょっと困ったように阿部くんが言うのが聞こえたので、私は反射的に顔を上げた。
阿部くんがびっくりしている。
涙がこぼれないように、息を大きく吸う。
「わた、私は、いやじゃないよ」
阿部くんは珍しいものを見たような顔をして、「ホントに?」と言った。
「ほんとに」
力いっぱいの返事をした。
ほんとに付き合ってくれるの?って、確認をしたいのは、私のほうだったのに。
「ホントに?」って阿部くんが言ってくれたのが信じられないほどうれしくて、また涙が出そうになる。
どんなに信じられなくても、私は、阿部くんが見ているものを疑うことはできないんだと思った。
「 じゃ、いっか」
すとんと、阿部くんが言う。
私はかくかくと首を縦に振って、涙目をなんとかごまかした。
なんだかやっと、夢じゃないんだって、思えて、気を抜くと泣いてしまいそうだった。
「で?」
「へ?」
「そっちの聞きたいことって?」
「……っあ、えっと、同じようなことだから、いい!」
なんで私を彼女にしてくれるの?
それはすっごく、気になることだけど、今はもう、いいや。
「同じようなこと?」
「あ、っと、阿部くん、部活、忙しいし!私、その、邪魔じゃないのかなって……!」
ちょっとちがうけど、まったくのうそでもない。
ほんとに聞きたかったことは、いつか、聞けたらいいなと思う。
慌ててごまかした私に、阿部くんはパックの烏龍茶を一口飲んで、それから「んなわけねーだろ」と言った。
「邪魔なら付き合うとか言わねぇよ」
そう言ってから烏龍茶を飲み干して、阿部くんは手を合わせた。
ごちそーさま、と言って、固まってる私の手元を見る。
「お前ぜんぜん進んでねーじゃん。食うの遅ぇんだな」
「あ……うん」
……ていうか、もう、これ以上食べられる気がしません。
胸がいっぱい。
阿部くん、私のこと、邪魔じゃない、って
もう、死んでもいいかもしれない……!
うれし涙を必死に我慢していると、阿部くんがお弁当箱の中をのぞき込む。
「つかすげーな、おにぎり赤飯じゃん。なんかお祝いあったの?」
「え!?っあ、う、うん、ちょっと!」
まさか、「祝・が阿部くんの彼女になった日」(byお母さん)のお祝いだなんて、口が裂けても言えない。
「ふーん」
「っあ、あの、よければ1個どうぞ!」
「え、いーの?」
「うん、まだ食べてないしっ」
「じゃーもらう」
そろそろとお弁当箱を差し出すと、阿部くんがおにぎりにおはしをぐさっと刺して取った。
よかったねお母さん。
お赤飯は見当違いなお祝いじゃなかったよ。
しかもそのお赤飯を、今、阿部くんが(あの阿部くんが!)食べてるよ……!
「おーウマイ。サンキュな」
「ど、どういたしましてっ」
阿部くんが「ウマイ」って言ってくれたことも、お母さんにちゃんと知らせよう。
ちゃんにも、どうなったかきちんと報告しよう。
もぐもぐ口を動かしている阿部くんを見ながらそう思っていると、阿部くんが「お前さ」と言った。
「人が食ってんの見てばっかいないで自分の食えよ」
「……え!?」
「昼休み終わんぞ?」
「 ……っご、ごめんなさい!」
どうしようやっぱり見すぎだった!?
彼女にしてもらえたからって調子にのりすぎた!?
「謝るこたねーけどさ。予鈴までには食えよ、ほってくぞ」
「は、いっ」
ほってかれるんだ……!
それはさすがにちょっとさびしいかもしれない、という危機感を感じて、慌ててお弁当箱に向き直った。
阿部くんの前で、早食いに挑戦するのは、ちょっとツライのですが。
てゆーか、自分もさんざん見といてアレなんだけど、阿部くんの視線感じながらっていうのは、すっごく食べにくいんですが!
(阿部くんが食べてるうちに食べ終わっとけばよかった!)
これ、慣れる日がくるのかなあ……。
さっき見た、「いっしょにいるのが当たり前」みたいな。
「んな慌てて食うなよ。喉詰まるぞ」
「は、はいっ」
どっち!?
と思ったあとに「だーからその敬語やめろって」と言われてしまって。
いっしょにいるのが当たり前 は、まだまだまだ、遠いなと思った。
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