仲良しですね
「お願いしあっす」
「はいはいどうぞー」
後部座席のドアを開けて乗り込むと、水谷のお母さんが運転席に座りながら言った。
その後ろ、つまり俺の隣に阿部がやっぱり「お願いします」と言って座る。
水谷が助手席のドアを開けて、頭だけ車に突っ込んで「ねーねー」と言った。
「ジュース買ってきていー?喉渇いちった」
「えー?学校帰ってからにしなさいよー」
「すぐだから!いーだろ花井?」
「あー、まあいいけど。その代わり急げよ?」
「うん!ホラ、主将のオーケー出たから!」
カネカネ、と水谷がおかーさんに向かって手のひらを向けて、俺は、こいつ家でもこーなんだなあ、と思う。
水谷は、教室でも部活のときでも、人に「ねだる」ということをめちゃくちゃ自然に、なんの抵抗も遠慮もなくする。
それがときどきウザイものの鼻につかないから、トクな性格だよなあといつも思う。
「はいはい。じゃこれね」
「ありがと!花井、阿部、なにがいい?」
「え、いや俺は……」
「エンリョすんなって」
おかーさんから受け取った千円札をひらひらさせながら、水谷が笑う。
お前それ、お前の言うセリフじゃねーだろ。
いつもならそうつっこむとこだけど、さすがに親の前だとためらわれる。
「俺、任す」
ごちそうさまっす。
意外にあっさりと隣の阿部が言う。
いーえー、と答えながら水谷のお母さんがにこにこと笑っている。
「あ、じゃあ俺もなんでもいい。ありがとうございます」
「どういたしましてー」
「んじゃー行ってくんね!」
「はいはい……あ、文貴、ほら傘!」
慌てて差し出された傘の柄をつかんで、水谷は車の外に出ると自販機のほうへ走っていった。
試合中に降り出した雨はやむ気配がない。
ホント、よく最後までやらせてくれたと思う。
この調子じゃ学校戻っても中練だけかもなあ、と雨粒だらけの窓を見ながら思っていると、
水谷のお母さんが運転席から後部座席を振り返った。
「試合お疲れさまー。雨のなか大変だったねー。でも花井くんも阿部くんもすごかったー」
なんか、しゃべるテンポが水谷と似てんな。
あざっす、と会釈しながら思った。
水谷のお母さんが、なんだか楽しそうにふふっと笑う。
「なんかうれしいな。やっと本物の2人会えて」
「本物?」
「うん。阿部くんも花井くんもよく文貴の話に出てくるんだよ。だからなんか初めて会った気がしないんだ」
話って……。
あいつ、親に俺たちのことどんなふうに話してんだろ。
変なこと吹き込んでなきゃいーけど、と思っていると、それを読んだみたいに、
「文貴ね、2人のことすっごくほめるんだよー」とおばさんが言った。
「あの子のんびりしてるから、クラスでも部活でも迷惑かけてると思うけど、いつも仲良くしてくれてありがとうね」
「い、いえ」
仲良く?
イヤ確かに仲悪くはねーけど、あの阿部の水谷への態度は仲良くって言っていいのか?
水谷が一方的になついていって、阿部はソレに対して流すかキレるかしかしてないよーな気がする……。
どもりながら答えて、ちらっと阿部のほうを見てみたけど、
阿部は野球を離れたところでいつもする顔
教室とかでいるときの、ちょっと退屈そうな無表情に近い顔になっていた。
こういう阿部の顔を見ていると、試合中、あんなに三橋に怒鳴り散らしていたのと同じヤツだとはちょっと信じられない。
つくづく沸点低いよなあ、と思う。
でもって冷めるのも一瞬だ。
「なんかねー、文貴、野球部がすっごく楽しいみたいで、野球部の子のことよく話すの。
あの子男兄弟いないから、お兄ちゃんや弟がいっぱいできたみたいでうれしいのかも」
そーなのかな。
まあ確かに、部活んときも水谷はいつも楽しそーにしてるし、
教室でも阿部とか俺とかとつるみたがるし、野球部のことは相当スキなんだろうけど。
俺も別に、部のヤツらのことはふつーにスキだけど、部活のときまで兄貴役は勘弁してほしい。
(俺だってうるさい妹ばっかじゃなくて、頼りんなる兄ちゃんとか欲しかった。)
「水谷ってひとりっこすか」
水谷のお母さんの言葉を黙って聞いていた阿部が、不意に言った。
「ううん。文貴は2番目。上はお姉ちゃんなの」
「上がいるんすか」
「そーよー。あの子ひとりっこっぽく見える?」
「や、つーか、1番目だろーなって思ったんで」
「え、そーお?そんなお兄ちゃんっぽいかな」
「そじゃなくて。俺1番上ですけど、ウチの親よりも、おばさんぜんぜん若いし」
水谷の上にもう1人いるようには見えないなって思って。
阿部の言葉に水谷のお母さんはきょとんとして、俺は「げ!」と思った。
だからお前、そーゆーことは思ってても面と向かって言わねぇだろ普通!!
グラウンドもしくは教室での俺なら、全力でそうつっこんでたと思う。
確かに、帰りの車の配車を決めるとき、
水谷が「ねーねー、クラスごとにしよ!ウチ阿部と花井乗っていいでしょ!」と言った相手
水谷のおかーさんが、あんまり若くて(しかもかなり美人で)俺もびっくりしたけど。
でもそれを直接言うつもりなんてこれっぽっちもなかったぞ!?
しかもいかにもお世辞って感じの冗談っぽい調子でも、コビる口調でもなく、スゲー素面で!
水谷のお母さんがどんな反応をするのか俺はハラハラしたけど(なんで俺がハラハラしなきゃいけねんだ!)、
運転席の水谷のお母さんはころころと笑い出した。
「やだー、阿部くんってばじょーずー!」
ほめてもらってうれしーなー。
そう言って笑う顔は、まあ確かにウチの親と比べたってぜんっぜん若いんだけど(ウチだって俺が1番上だし)。
高校生みたいな大きい子どもが2人もいるようには見えないくらい、なんだけど。
だからって本人に言うかぁ?
コイツってほんと天然だ、と思ったとき、水谷が戻ってきた。
「お待たせー。はい花井、阿部にも渡してー」
「あ、サンキュ。すみません、いただきます」
「あざっす」
「はーいどうぞー」
俺がアクエリのペットボトルを阿部に手渡していると、
水谷が助手席に乗り込みながら「なに笑ってたの?」と聞いた。
「おかーさん阿部くんにほめられちゃったー。若く見えるってー」
「ええー?何それ。阿部、このヒトほめたってアクエリしか出ねーよ?」
「だってマジ若いじゃん」
「やだもー阿部くん、ジュースくらいで気ぃつかわなくていいんだよー?」
あはは、と笑いながら、水谷のお母さんが車を動かし始めた。
注意されてシートベルトを締めた水谷が、首をひねって後部座席に顔を向ける。
「てゆーか親よりも俺のことほめてよ阿部ー」
「あー?」
「今日1打点なんだぜ、俺!」
「ああ。8回表のタイムリーな」
「あ、あれびっくりしちゃったー!文貴が点入れるんだもん!」
「そー俺もビックリしちゃった!満塁で俺に回ってくんだもん!」
運転している水谷のお母さんの声が大きくなると、隣の水谷の声もでかくなる。
似た者親子、という言葉が俺の頭をよぎった。
「あっれ俺マジ緊張しちゃってて!マジどーしよーかと思った!巣山が声かけてくんなきゃぜってー打てなかった!」
一球目すんげー空振ったもんな。
二塁から見ててもリキみ過ぎてんのがわかったから、俺もそれこそマジでどうしようかと思ってたけど、
巣山がいいタイミングで水谷を落ち着かせてくれて助かった。
「でも文貴、1回目も打ったよねー」
「あー。ゲッツーになったヤツね。あんときモモカンすげー怒ってた。ちょー怖かった」
「でも文貴、中学のときより上手になった?中学のときはあんなに打てなかったよね?」
「そーお?」
「練習量は嘘つかねーから」
水谷がまた、後ろを振り返る。
短い対角線上に座る阿部のほうを、目をまん丸にして見た。
阿部はそんな水谷に気づいていないらしく、窓のほうに視線をやったまま淡々と続けた。
「練習の成果だろ。お前だけじゃなくて、春から全員上達してるよ。でなきゃ桐青に勝てねーだろ」
「……それって俺もうまくなったってこと!?」
「そー言ってんじゃん」
「 っ花井聞いた!?阿部が!阿部が俺のことほめてる!!」
ぐるんと勢いよく俺のほうを向いた水谷の目が、きらっきら輝いている。
その目はちょっと潤んでさえいる。
おおげさなやつ、と思ったけど、まー確かに、普段の阿部からの扱いを考えりゃうれしーだろう。
話しかければ二言目にはうるさいとかうざいとかしか言われてねーもんな。
それに、どちらかといえば気が小さくてビビり屋の水谷が、あのプレッシャーのかかる場面でほんとよく打ったと思うから、
聞いた聞いた、と俺は素直に証言してやった。
「よかったねー、文貴」
「マジうれしいマジ感動!打ててよかった!ねー阿部もっとほめて!」
「は?んな喜ぶことか?」
「喜ぶことだよ!スゲーうれしい!ねーもっとほめてってば!」
「えー?じゃ、まあ……ナイバッチ」
阿部のその言葉はわりと投げやりで棒読みだったのに、水谷ははしゃいだ声で「ナイバッチ!」と復唱した。
「花井聞いた!?ナイバッチだって!阿部が俺にナイバッチ!」
「おー、聞いた聞いた。ナイバッチ水谷」
「うわっ、花井まで!ちょーいー気分!」
助手席で上がる喜びの声を聞きながら、水谷ってホント単純っつーか素直だなあと思った。
でも水谷がうれしがるのもよくわかる。
普段から思ったことを思ったとおりにしか言わない阿部からの、ほめ言葉だからだ。
阿部の口のきき方は見事なまでにストレートだ。
でもって球速は軽く140キロ台。
気休めの嘘やごまかしなんて言わないし、自分の言葉を相手がどう感じるかなんてほとんど気にしてないんじゃないかと思う。
だからこっちにとっちゃぐさっとくる一言だったりすることもよくあるし、
そーゆーとこが三橋とのコミュニケーション不全の原因になってるんだとも思うんだけど。
でもその分、阿部のほめ言葉って格別だ。
だってそれは自分を喜ばせるための言葉じゃなくて、阿部の本心そのままだからだ。
野球第一の阿部からの野球に関するほめ言葉っていうのは、だからほんと、うれしいもんなんだと思う。
「舞い上がりすぎだろ。まだ初戦突破しただけだぞ?」
そう言いつつも、「調子のってんなよ」とか水谷の笑顔に水を差すようなことを言わないのは、親の手前、とかそういう理由じゃないと思う。
水谷は、少なくとも野球に関してはお調子者じゃねえから。
「うん、俺、次も打てるよーにがんばる!」
にこにこと笑う水谷から、幸せいっぱいのオーラが出まくっている。
しかもこのやる気に満ちたセリフ。
やっぱ阿部のほめ言葉の効果は絶大だ。
「次の試合は来週だよね?」
また観に行っちゃお、と、水谷のお母さんが楽しそうに言う。
「えー。ルールわかったの、今日」
「なんとなくー。でもおもしろかったし、次の試合も楽しみだなー」
「んじゃー差し入れよろしくねー。シュークリームがいいな、シュークリーム」
「ええー?こんな暑いのに、だめになっちゃうでしょー」
「えー、大丈夫っしょ。クーラーボックスとかに入れてさー」
ここまで堂々とモノをねだれるのって、ある意味すげえな。
水谷のおかーさんも怒るでもなくフツーに接してるけど、ウチじゃ絶対ありえねー。
前席で交わされる水谷親子の会話を聞きながら俺が思っていると、いきなり「花井くんと阿部くんは何がいい?」と言われたのでびびった。
「へ?」
「差し入れ。好きな食べ物とか試合のあとに食べたいものとか、あるー?」
「は……」
俺らに聞くの?
と俺が思ったのと同時に、水谷が「ちょっと、なんで俺をさておき花井と阿部に聞くわけ?」と代弁してくれた。
「だっておかーさん、花井くんと阿部くんのファンになっちゃったんだもん」
ファン。
……いや、ファンって。
でもなんか、この単語も水谷のおかーさんが言うと違和感がねえのがこええんだけど……。
(ウチの親がそんなこと言ったら、なんてことは想像したくもねえ。)
「うわ、ちょっと、いい年したオバサンが何言ってんの?恥ずかしい!」
「阿部くんは若いって言ってくれたもーん。人のことオバサンなんて言う文貴のリクエストなんて知りませんー」
「えー何それ。ちょっとほめられたからって調子のっちゃって」
なんか、親子っつーかキョウダイみてえな親子。
水谷のおかーさんが若いからよけいに。
そう思っていると、黙っていた阿部が不意に言った。
「おばさん、水谷とキョウダイに間違われないすか」
なんかおかーさんっつうか、おねーさんみてえだし。
うわ、コイツはまた……。
なんでそう、思ったことぱっと口に出すんだよ……。
俺がややげんなりしたら、前席の音量がぱんと上がった。
「ほらー!阿部くんはこんなふうに言ってくれるのにー」
「ありえねーし!こんなオバサンがねーちゃんだったら俺家出するって!」
「なあ花井!」と水谷に同意を求められたけど、まあ、ここは俺も正直に言っていーか。
「いや、ほんとキョウダイみてえ」
「ほーらー!」
「うっそ何それ花井までー!」
何それって。
まあ水谷のおかーさんが若いとか(若いんだけど)、ゴマすってるわけじゃなくて。
つまりは仲いいですねってこと。
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