どんなにきみがすきだかあててごらん
あ、3巻と4巻逆になってる
栄口の位置から向かって左に見える、本棚に並んだコミックスの背表紙にエラーを発見する。
きっとこのあいだ、弟が「読ませてねー」と持っていったときだろう。
ちゃんと元に戻すように言ったのに。
あとで直しとかなきゃとそんなことを思う。
さっきから栄口にしがみついて離れようとしない、の頭越しに本棚を眺めながら。
ベッドの上であぐらをかいて組み合わせた足が、ずっと同じ姿勢でいたために感覚がなくなりつつある。
が来るまで読んでいた、西広から借りた音楽雑誌にちらりと目をやる。
長いこと伏せたままにしておいて、返すときに変な癖がついちゃったら悪いなあ、という思いが頭をよぎる。
そろそろ限界に近かった。
足のしびれも、「どしたの」と聞いた栄口の声を無視してが続けている沈黙に付き合っているのも。
「……ちゃーん?」
溜め息を交えて、間延びした声で栄口は呼んだ。
栄口の肩口に押しつけられたの頭がかすかに動く。
「ちょっと、ごめん、足しびれたんだけど」
が深く息を吸い込む気配がする。
密着していた体がゆっくり離れていく。
「あ、たた」
びりびりしている足をそろそろと伸ばす。
手を伸ばして雑誌を閉じて、人心地ついてから、すぐ傍らに座り込んでうなだれているに視線を向けた。
前髪で隠れて陰になっている表情を確かめようと、顔をのぞきこむ。
自分の膝辺りをにらんでいる涙目と、への字になった唇と出会った。
やれやれと、思う。
「……どしたの」
わかっていることを聞いてどうするんだろうなと自分でも思う。
でもほかに言葉を知らないのだ。
の胸の内に降り積もっている感情を、引き出すための言葉。
の目がゆらゆら揺れて、唇がぎゅっと強く噛みしめられたかと思うと、また2本の華奢な腕が伸びてきた。
切実な強さで抱きしめられて、の匂いに包まれながら考える。
何度引きはがしたって振り払ったって、決然とした勇敢さをもって伸ばされるこの腕について。
泣かないでといくらなだめても、惜しみなく溢れるの、自分のための涙について。
勇ちゃん、と、子どもっぽい自分の呼び名をつむぐ、震える声について。
「……もー」
栄口は救いを求めるように天井を仰いだあと、腹をくくる。
を抱きしめ返すための決心をする。
そしてそれを実行する。
「なんでが泣くの」
左手をの頭に、右腕をの背中に。
尊さそのものを抱きしめるみたいに、のことを抱きしめる。
「だって勇ちゃん泣かないんだもん」
「だからってお前が泣くことないんだってば」
そんな必要も、義務も、そしてきっと権利もないのに。
それなのには泣くのだ。
目を腫らして、喉を締めつけて、歯を食いしばって、世の中にこんな悲しいことはない、
絶対ありはしないのだ、とでも言わんばかりに断固として泣く。
栄口のために。
俺が泣いたら泣いたでどうせ泣くくせに
声には出さずに栄口はそう指摘する。
昔からそうだった。
例えば2人でかけっこをするようにじゃれ合いながら走っていて、栄口が転んだとき。
手がじんとしびれて、見ると膝はすりむいて赤くなっている。
痛い。
そう自覚すると同時にじわりと涙がにじんできて、泣き声が喉まで膨れ上がってくる。
ところがが駆け寄ってきて、栄口の膝小僧と涙を見て、目を丸く見開く。
すると、たちまちその目に栄口の倍ほども大粒の涙が浮かんで、それがはたはたと溢れ始める。
の泣き顔にびっくりして、タイミングを逸した栄口の涙も嗚咽も、どこかに引っ込んでしまうのだ。
幼心に「ええーなんでちゃんが泣くの泣きたいのはぼくなんだけど」という気持ちを感じながら、
それでも、転んでけがをしたのは自分であるかのように泣きじゃくるの頭を、栄口は懸命に撫でた。
自分のために泣いているが、早く泣き止むように。
がそんなだから、の前では泣けないのだ自分は。
そう言ったらはきっとまた泣くから、教えないけど。
肩の辺りから、くぐもった声の「あるよ」という反論が返ってきた。
「ないって」
「あるの!勇ちゃんわかってないんだよ、私がどんなに勇ちゃんのこと大好きか」
だからそんなこと言うんだ。
なじるようにが言う。
引きつった弱い声なのに、自分自身の正しさを信じて疑わない声音だった。
わかってるよとは、思ったけど言わなかった。
わかっているようでわかっていないことは結構ある。
例えば、がどんなに栄口のことを好きかを栄口が知っているということを、がわかっていなかったり。
そんなの見てればわかるのに。
頬をの頭にくっつけながら思う。
知らない顔ばかりの学校の廊下で栄口を見つけたとき、ぱっと明るくなる表情とか。
会話のなかで栄口が気のない相槌を打つと、不満そうに、もっとちゃんと聞いて、というようにひそめられる眉とか。
勇ちゃんが泣かないから。
ただそれだけで、がこんなふうに泣く理由としては充分だと思っているところとか。
そういうのを見ていて、わからないわけがないのになと、思う。
知ってる。
ちゃんと知ってるよ。
そう言ってやれば、は安心して笑うのだろうか。
でもそうではなくて、敢えて聞いてみる。
「じゃーちなみにどんくらい好きなの」
からすればきっとこれは意地の悪い質問で、それなのには、考えるように深く呼吸をしてから言った。
「勇ちゃんが思ってるよりもずっと大好き」
それも、知ってる
声に出さずに答えて、の肩を抱きしめ直す。
知らないのはのほうだ。
自分のためなんかに泣かないでほしいのに。
そんなに好きになってくれなくていいのに。
そんなふうにされたら、もっともっと好きになってしまうのに。
自分のために流される涙も、ぎゅっと抱きしめてくれる腕も、大事で大事でたまらなくなるのに。
だから栄口は、しょうがないなあとつぶやく。
に対して、自分に対して。
苦笑いに紛らせた声の、笑いの部分だけ聞き取ったが初めて自分から顔を上げた。
涙で汚れて、鼻が赤くなっていて、前髪もくしゃくしゃで、でも栄口にとってはどこぞの三大美女よりもずっとずっとかわいい顔。
重症だなあと思うと、口が笑いの形になるのがわかった。
「なんで笑うの!」
「笑ってない笑ってない」
「笑ってるじゃないー!」
「あーハイハイ。じゃーほらも笑ってー」
にこーってしてー、と、栄口はの涙に濡れた両頬を引っ張って無理やり口角を上げさせた。
笑って笑って。
は知らないのだ。
栄口のためにが泣くと、栄口が悲しくなること。
笑ってくれたほうがずっとうれしいと思っているのに。
「もーまじめに聞いてよ!」
「聞いてる聞いてる」
いつだって、の声を聞くときは大真面目だ。
そんなことも知らないくせに。
きいきいと文句を言うの目は赤いけど、もう新しい涙は出てこなかった。
栄口は、栄口が思っているよりもずっと栄口のことを好きだと言うが思っているよりもずっと、のことが好きだ。
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