スタンダード
あれ、と思って、巣山は通り過ぎかけた書架と書架の間に戻った。
日が当たらなくてやや埃っぽい、いちばん奥まった1類の本棚の前で、
見覚えのある女子生徒がひとり、つま先立ちになって、腕をいっぱいに伸ばしている。
「これ?」
巣山が近づいていって横から聞くと、はひとつまばたきをし、「あー巣山くん」と言って、かかとをすとんと床に戻した。
「そーそれ」
「どーぞ」
「ありがとー」
「難しそうなの読むんだ」
手渡した本の背表紙に印刷された、「アニミズム」という見慣れない単語をちらっと見て言うと、
は「あー、ちがうちがう」と片手をひらひら振った。
「倫理の授業で宿題出ちゃってね」
「え、マジ?先生だれ?」
「あ、1組とはちがうと思う。なんかおもしろい男の先生なんでしょ、1組の倫理。うちのクラス、眠い授業のおばーちゃん先生だもん」
勇ちゃんに同情されちゃったよ。
笑顔で。
は忌々しそうなふくれ面になり、「ムカつくよね!」と巣山を見上げる。
同意を求められた巣山は苦笑いを返しておいた。
栄口に対してムカつく人間なんて、きっとすごく希少だ。
ムカつく栄口、というのが巣山には想像がつかなくて、共感しかねたのだ。
「巣山くんて背ぇ高いねえ」
図書室の入り口近くのカウンターへ向かいながら、唐突にが言った。
「高いかな」
「高いよー。勇ちゃんと話すときと目線がちがうもん。身長いくつ?」
「75」
「あ、やっぱ高いねー」
「んー、まあ、栄口と比べりゃね」
「だよねえ。この本も、勇ちゃんだったらあんなひょいって取れないよ」
巣山は思わずぷっと小さくふき出した。
「え、なに」
「イヤ。3回目だなーって」
「何が?」
「ゆーちゃん」
きょとんとしていたの顔が、たちまちきまり悪そうに赤くなった。
「巣山くんなに数えてんの」
「いや、仲良しだなあと思って」
「仲良しっていうか!だって巣山くんとの共通項なんて勇ちゃんくらいじゃん!」
声高にが言う。
動揺してるなあと思いつつ、カウンターの司書からの視線を気にして、巣山は「図書館では静かにね」と言ってやった。
「あ、篠岡」
頭なんかついてるよ、と栄口が指摘したのは、おにぎり休憩が終わりにさしかかったときだった。
「え、どこ?」
「なに、虫!?」
「え!?」
耳聡く会話に入ってきた田島の言葉に、ベンチの上のジャグの隣に座っていた篠岡が、慌てふためいて勢いよく立ち上がった。
周りでおにぎりを食べていた他の部員たちも、
麦茶用のカップを持ってそばに立っていた栄口も、いっしょにぎくりとする。
(三橋は自分のおにぎりを落っことしかけた。)
「うそ、やだ、虫!?」
「なになに!?蛾!?かまきり!?ゴキブリ!?」
「ええええええ!!」
田島が目を輝かせると、篠岡が頭を抱えて金切り声を上げた。
「あ、ごめん、そじゃなくて!なんかほこりみたいのが!」
「あ……ほこ、ほこり……?」
ビックリした、と言いながら、篠岡が大きく息を吐き出す。
部員たちもそろって胸をなで下ろした。
(「なーんだ、虫じゃねーのかあ、つまんねーの」と大きくつぶやいた田島は、篠岡ににらまれ泉に後頭部をはたかれた。)
「またアルファ波出しちゃったよー」
「ごめんごめん」
頭のてっぺんあたり、と栄口が指さすと、篠岡が自分の髪を触る。
「あ……ほんとだ。ありがとー」
「いーえ」
「あ、麦茶おかわり?」
「あーうん。ありがと」
カップに麦茶を注いでもらい、栄口が巣山の横に戻ってきた。
「ビックリさせちゃだめじゃん」
「だってあんな驚くと思わないだろー」
「最近でっかい蛾が増えてきてるから神経質になってんだよね、篠岡」
この間もボールかごにモスラみたいのが止まってるって泣きそうになってたよ、と西広が苦笑いを浮かべる。
「あーでも、アレは確かにびびるよね」
「うん、気持ち悪ぃよね」
沖の意見に栄口がうなずく。
そこから今までに見た不気味な虫談義が4人のあいだで始まり、花井の「そろそろ休憩終わりな」という声までそれが続いた。
カップを回収して、片付けて帰る篠岡に「お疲れ」の言葉を口々にかけてから、ジャングルジムへと移動しているときだった。
栄口が不意に「篠岡ってちっさいよね」と言った。
歩きながら、巣山は横目で栄口を見た。
栄口は少ししてその視線に気づき、「なに?」といぶかしげな顔をする。
「や、別に。急にどーしたのかと思って」
「ああ。だって頭のてっぺん見えるしさー」
「ソレ座ってたからだろ」
「あ、そっか。あ、でも話すときの目線の角度?もちがうし」
「誰と?」
「え?」
巣山が間髪入れずにたずねてみたら、そんな切り返しを予想をしていなかったのだろう、栄口は面食らったような顔をした。
「誰と、って 」
栄口が足を止めた。
振り返ると、口を開けたまま、突然声が出なくなったみたいな顔をしている。
うーん、「誰と?」は意地悪だったかなあ
そう思いながら、巣山はおもしろがる気持ちが抑えられない。
栄口が口をつぐんで、心なしかさっきより早足で歩き出したから、なおさら。
巣山はひょいと栄口に追いついて横に並んだ。
あのまま栄口の声が出なくならなければ「」という名前が出てきていたことはわかっているけれど、
というか、だから、「なあ、誰と比べてんの?」と巣山は重ねて聞いてみた。
「誰でもないです!」
わかってるのに聞くな、と言わんばかりの赤面で、栄口は歩調を緩めない。
巣山は笑いながら、ハズカシイやつら、と思った。
お互いがお互いの基準なわけだ。
「似た者夫婦」
「は?」
「いやなんも」
「……なんか今日ムカつくよ、巣山」
「お、レア。栄口にムカつかれた」
「なんだよそれ!」
今日の氷鬼のチーム分け、栄口と同じになりますようにと巣山はこっそり祈った。
じゃないときっと、執念深くターゲットにされてしまうにちがいないので。
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