◆同中コンビ、春休み捏造



「阿部ってさあ」

白い練習着に身を包んで、けれど野球とはまったく関係のないことをしているように見える彼に、栄口はたまりかねて話しかけた。
阿部は練習着に野球帽までかぶって、誰がどう見ても野球部の装いだったけれど、栄口はパーカーにジーンズという格好だった。
その違いが、なんだかひどく、胸にこたえた。

阿部はせっせと草を刈る手を止めずに、「なんだよ」と背中を向けたまま返事をした。
阿部のそばに伏せたアイちゃんが、阿部の手元を興味深そうに見守っている。

「……なんで西浦来たの」

阿部ってさあ、の、「あ」の部分を頂点に、栄口の声はデクレシェンドになる。
阿部は栄口を一瞥し、「賭けっつったじゃん」とそっけなく答えた。

「だから、その賭けってなに?」
「野球部入るかどうか賭けたんだよ」
「……誰と?」

コイツなんでこんな自分主体のしゃべり方するんだろう、と思った。
ひょっとして話したくないという意思の表れなんだろうかといぶかる。
いちいち質問を挟まなければ、栄口の納得できる答えは返ってきそうになかった。

「誰と?」

阿部は手を休めて栄口の問いを繰り返し、阿部は考えるように空を仰いだ。
アイちゃんがひとつあくびをする。

「まあ……自分と、かな」
「自分?」
「おー」

自分自身の答えに納得したような声で答えると、阿部は草刈りを再開した。

「どういうこと、ソレ」
「西浦でも野球やりてえって思うかどーか、賭けたんだよ」

ざ、ざ、と、阿部が鎌を動かす音がする。

「草ぼうぼうのグラウンドでイチから始めなきゃいけなくても」

新設で、部員集まるかわかんなくても。
集まったのがどんなヤツらなのかわかんなくても。

「野球してえって思うかどうか」

思ったら野球する。
思わなかったら野球やめる。

「そーゆー賭け」

刈り取った雑草を、阿部はそばの雑草の山に捨てた。
草の束がぱさんと軽い音を立てる。

「で、やっぱ野球したいって思ったから」

あー、チクショー終わんねー。
そう言い放つと、阿部は地べたに座り込んだ。
帽子を取って腕で汗を拭って、首を右に左にこきこきと回す。



栄口はそんな阿部をうしろから見ていたので、阿部が今どんな顔をしているのかは見えなかった。
きっといつもの無表情だ。
野球がしたい、でもグラウンドが荒れていたら野球はできない、だから整備しなきゃいけない、それが当然、というような。
単純明快な論理だ。
その根っこにあるのだって、単に野球がしたいという前提だ。
シンプルなものだ。とても。

「あ、でもちょっとズルだったかも」
「ズル?」

阿部は無造作な手つきでアイちゃんの頭を撫でた。
アイちゃんは気持ちよさそうに目を細め、阿部のてのひらをなめようと鼻面を空に向けた。

「入試んとき、お前いたからさ」

阿部の手は、今度はアイちゃんの頬をわしわしと撫でている。
犬好きなのかな、と栄口は関係ないことをちらりと思っていた。

「俺?」
「おー。俺入れて2人は確保だなって思ったんだよ、部員」

あと最低7人だなって。



「あー。やるか」

阿部はそう言って、アイちゃんから手を離して立ち上がった。
ぐっと伸びをしてまたしゃがみ込んで鎌を持つ。

縮こまった阿部の背中を見つめて、見つめて、栄口は溜め息をつく。
ごめんと、胸の内で謝った。
誰に対して、何に対してなのかはわからない。



「……それってさあ」

阿部の隣にしゃがむ。
栄口がパーカーの袖をたくし上げるのを、阿部がちらりと見た。
阿部が草を刈ったあとに残っている、手で抜けそうな小さな雑草を引き抜く。
ぶちり、ぶちり。

「西浦入る前から賭けの勝負ついてたんじゃん、阿部」
「……あー。そーかも」

たっぷり考えたあと、どこか感心したような声音で阿部が言ったので、栄口は笑ってしまった。
手を動かし続ける阿部の横顔もなんとなくうれしそうで、栄口もうれしくなる。

「鎌使うか?」
「あるの?」
「あるだろ。カントクたち戻ってきたら聞いてみよーぜ」
「うん」

うなずいたあと、しばらく黙々と除草作業を続ける。
視線を上げてみると、茫漠と広がる、これはもうグラウンドじゃない、荒れ地だ。
いくらやっても同じような気がしたけれど、栄口は知っている。
これはここで野球をするために、必要な仕事なんだと。

春休みは短い。
入学式までにどの程度まで整備できるだろう。

想像してみた。
きれいに草を刈り尽くして露になった土色。
ダイヤモンドを描く白い線。
その中央のマウンド。
そこで、走ったり打ったり投げたり叫んだりする選手たち。

なじんだ光景だ。
なじんだ、大好きな光景だ。

1本草を抜くごとに、それに近づいていく。
一歩、また一歩と少しずつ。
悪くない。



「何人来るかな、部員」
「さーな」

阿部の返事は愛想がなかったけれど、栄口は気にかけなかった。

「2人じゃ野球できないしねー」
「キャッチボールはできんじゃん」

阿部があっさりと言うので、栄口は思わず手を止めた。

「そしたらお前ピッチャーやらせてやるぞ。喜べよ」

そう言う阿部の横顔は掛け値なしに真顔だったから、栄口はこみ上げてくる笑いをこらえることができなかった。
くくっと漏れた笑い声に、阿部は「なんだよ」と怪訝そうに眉をひそめた。

「……阿部ってさあ」
「あ?」

ほんと野球バカだよねと、言った。
断っておくがほめ言葉だ。
すると阿部に「お前だってそーだろが」と言い返された。
それもきっと、ほめ言葉だ。