◆同中コンビ、名前の話
「優しいじゃないんだ」
練習後の部室、西広がなんだか感心したように言った。
合宿中は特別な理由以外では携帯電話を触らないようお達しが出ていたから、
そういやメアド交換してなかったね、ということで、赤外線通信をし終わった直後のことだ。
「なになにー?」
近くで巣山とアドレスを交換していた水谷が、ひょいと顔を出してきた。
「栄口の名前。ユウトっていうんだって」
勇ましい人。
西広が訓読みする声がなんだかとても丁寧だったので、ちょっとむずがゆい気持ちになる。
「え、そーだっけ?」
水谷は垂れ目を丸くすると、自分の携帯を再び開いてかちかちボタンを押した。
「栄口栄口ー……っと。あ、苗字しか入れてねーや」
「え、俺送るときフルネームで送ったでしょ?」
「うん、でも俺、フルネームで登録しないヒトだから」
ホラ、と突き出された携帯の画面には、「☆栄口☆」というふざけた字面が表記されていた。
そのうしろでへろっと水谷が笑う。
「うっわ……お前コレ、ぜんぶついてんの、星」
「ついてるよ?あと音符とかもつけるよ」
「へえ……マメっつーかなんつーか」
「ちゃんと巣山にもつけるかんね」
「イヤ別にいらねーよ」
「え、なんで?」
「☆巣山☆」という間抜けな表記が脳内を去来したのだろう、巣山がとてもいやそうな顔をし、栄口と西広は笑った。
「お、巣山って下の名前、これショージって読むの?」
水谷が携帯をいじりながら聞くと、巣山は「そうだよ」と答えた。
「へー。なんかカッコイー」
「そーか?」
「あ、わかる。男らしーよね」
「うんうん、巣山っぽーい」
「なんだソレ」
照れているのか巣山が怪訝そうな顔をする横で、栄口と水谷はうなずき合う。
「西広の名前もかっこいーね。なんか武士みたい」
「え、そう?」
「西広の下の名前ってなんだっけ」
きっと「☆西広☆」で登録してあって下の名前がわからないのだろう、水谷が首をひねる。
「辰年の辰に太郎でシンタロウ」
「へーホントだかっけえ」
いいなあ、と、なんだか心からうらやましげに水谷は言う。
「水谷だっていい名前だと思うけど」
「うーん、別にフツーに気に入ってんだけどさ。でもかっこいいっつーかカワイイってよく言われんだよね、俺の名前」
水谷の名前、と思いながら、栄口は携帯のメモリを呼び出す。
「水谷文貴」と並んだ四文字を見て、「フミキって読むんだっけ?」と確認した。
「そー」
「それこそ水谷ぽいじゃん」
「え、そう?」
「アレかな、ハ行とマ行ってなんか柔らかい感じするからかな」
「あー言われてみればそだね。水谷っぽいかも」
「えー何それ、ほめ言葉?」
反論しながら、けれどなんだか満更でもなさそうに水谷は笑う。
「栄口の名前もアレだよね、カワイイ系」
「何だそれカワイイ系って」
「でも栄口のは漢字がカッコイイよ、勇ましい人って」
西広に言われて栄口はなんとなく照れくさくなり「そうかな」と笑う。
すると「でもさ」と水谷が言った。
「どっちかってーと優しい人のが栄口っぽいよね」
「あ、そうだよね。俺もなんとなくそう思ってたんだよ」
西広がうなずいて水谷に同意を示す。
「え……そー?」
「うん。勇ましいより優しいのが栄口のイメージだなー」
「そーかな」
うん、と首を縦に振る水谷の笑顔から推すときっとほめられているのだろうと察せられたので、半端な笑いを返しておいた。
「あ、でも下の名前っていえばさ、阿部がタカヤってなんかビックリだよね」
「え 」
ウワ命知らず、と思ったのはきっと栄口だけではない。
巣山と西広の笑い顔もちょっとこわばって、同時に「俺がなに?」と水谷のうしろで沖とメアドを交換していた阿部が振り返った。
「阿部の下の名前だよ。タカヤだろ?」
「そーだけど。それがなんだよ」
「なんかカワイーじゃん。意外だよねってハナシ」
「じゃーどんな名前なら納得なワケ?」
「え?」
阿部に切り込むように問われて、水谷がきょとんとする。
予想外の切り返しだったのだろう、水谷は「えー……」とうめくように言いながら頭をひねった。
「わかんないけどー。慎之介とか?」
「まんまじゃねーか」
「だってキャッチャーだしー。じゃ寛とか?」
「誰だよ寛」
「え、阿部寛だよ!」
「だから誰だよ阿部寛」
「うっそ、ホントに知らないの!?阿部ヤバくない!?」
「うっせえなあ。つかヒトの名前にごちゃごちゃ文句つけてんじゃねえよ」
「文句じゃなくてほめてんじゃんー!カワイイって!」
水谷との会話に疲れたのか、阿部は「ほめられてる気がしねー」と冷たく言い放ち背を向けた。
それでも水谷は「えー超ほめてんのにー」となんとかかまってほしそうだ。
何気に仲いいよねあそこ、と西広が小さく笑った。
栄口も笑って同意を示そうとしたとき、「うっせえっつってんだろうが!!」という阿部の雷が落ちた。
巣山が「アレは仲いいのか?」と懐疑的な姿勢をとり、栄口は顔に浮かんだあいまいな笑いをそのままにしておいた。
そんな似合ってないかなあと言うと、阿部が「あ?」とこちらを向いた。
野球部でいちばん家が近いのは阿部だから、いちばん最後に別れるのも阿部だ。
車通りの少ない道だから二列に並んで、ゆるゆると自転車をこいでいる阿部が「何が?」と聞く。
「名前の話だよ」
「名前?」
「んー。実はけっこー言われんだよねー。優しいのほうが合ってる、みたいなこと」
優しいもたいていの場合ほめ言葉だから、憤慨することではない、きっと。
だからよけいに「優しいのほうが栄口っぽいよね」と言われたときの当惑を、どう処理すればいいのかわからなくなるのだけど。
「気に入ってんだけどなー。勇ましいのユウでゆうとって」
軽く笑う。
ややあって、隣の自転車から「まー確かに、勇ましいヤツは緊張で下痢になったりしねえよな」という声が聞こえた。
笑いが頬のあたりで凍りつく。
「ちょっと阿部、ソレ引っ張るのやめてくんない!?」
「だって印象的だったし。青い顔してさー」
「もー忘れてってば!」
栄口が怒鳴ると、阿部は唇の端を持ち上げるようにして笑った。
なんて憎たらしい横顔だろうと思って、栄口はそっぽを向く。
「まーでも、似合ってなくはねえよ」
「いーよもう。今更そんなしらじらしいフォローしてくんなくて」
「いやホントに」
お前はちゃんと勇ましいよ。
え、と思ってまた横を向く。
阿部の顔から、あのいまいましい笑いは消えている。
いつもの無愛想で無表情な顔だ。
ほうけた栄口の視線に気づいたのか、阿部がちらりとこちらを見た。
「んだよ」
「え、イヤ……」
「フォローとかじゃねーぞ」
「……うん」
わかってるけど。
栄口はまた明後日のほうへ視線を逃がした。
だからってそんな真顔で言われてもなあ
ほんとハズカシイやつ、と思った。
ありがと、なんて言ったら、それこそ自分だってハズカシイやつになってしまうと思ったから、黙って自転車をこぎ続けた。
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