◆1組、巣山家訪問



そもそも栄口が巣山の家に遊びに行くことになったのは、部活の帰りのいつもの道草コース、 すなわちレンタルショップで見つけたDVDがきっかけだった。

「あ、これDVDなったんだ」

シリーズものの2作目で、1作目を観たときから気になっていたタイトルが「新作入荷!」という手作りのポップアップに飾られている。
劇場には観に行けなかったからせめてDVDでと思っていたが、さすがは話題作、20本はあるかというDVDのすべてが貸し出し中だ。
しばらくはこの状態が続くだろうから、レンタルできるのはだいぶ先になりそうだ。
新作DVDは借りられる期間も短いし値段だってお高い。
少し待ったほうが懐にも優しいし、貸出期間中にタイミングを逃して観ないまま返却日が来る、という危険もない。

「あ、俺コレ観に行ったよー映画館!」

栄口が自分を納得させようとしているさなか、ひょいと顔を出してきたのは水谷だ。

「え、いーなー。おもしろかった?」
「うん、こーゆーのって2はダメじゃん?でもコレはちゃんとおもしろかった」
「マジかー。やっぱ観たいなー」
「観て損ないよー。2ではねー、なんと1のあの人物が      
「うわやめてそーゆーの言わないで!」

悪気なく笑った水谷が続編のあらすじを語ってしまおうとするので、栄口は思わず大きな声でさえぎった。
それが聞こえたのだろう、CDを物色していたはずの巣山がDVDコーナーにやってきた。
青い袋を持っているところを見ると、もう目当てのCDを借りてきたらしい。

「何騒いでんの?」
「だって水谷が映画のあらすじ言おーとすっから」
「映画?」

巣山の視線が棚に並んでいる件のDVDに注がれ、「あー」と間延びした声が上がる。

「コレうちあるよ」
「え、マジで?」
「おー。兄貴が買った」
「いーなー!」

そう言った栄口の声があんまり物欲しそうに響いたのだろうか。
巣山はちょっと笑って「じゃーウチ来て観る?」と神のような申し出をしてくれたのだった。

「え、いーの!?」
「うん。兄貴んだから貸出はできねーけど、ウチで観る分はへーきだと思うから」

気前のいい巣山の言葉に栄口は「じゃー行く!」と即答し、水谷も「じゃー俺も巣山んち行きたい!」と便乗したが、 結局当日      練習が午後早くに終わった日曜日になって水谷は来られなくなった。
次の日、つまり月曜日の朝提出の英作文の課題が終わっていないことを花井から指摘されたからだ。
(巣山家行きを敢行した場合一切の手助けを拒否すると珍しくきっぱりと花井に言い渡され、 さらには同じクラスの阿部からもあっさり見捨てられ、「また今度くりゃいーじゃん」とあきれ半分の巣山に慰められながら、水谷は泣く泣くあきらめた。)



「でもビックリしたなあ」

巣山の部屋のテレビでDVDを観終わって、途中寄ってきたコンビニで買ったカフェオレを飲みながら栄口は言った。
けれどそのしみじみした感想は、予想外のどんでん返しで幕を閉じた映画に対するものではない。
わかっているだろうに、巣山はプレステからDVDのソフトを取り出してケースにしまいながら「何が」と聞き返した。

「巣山って、家ではいつもあんななの?」
「あんなって何だよ?」
「えー?なんつーか、反抗期真っ盛りー、みたいな」
「その単語やめてくれる?」

巣山が渋面を作ってDVDのケースをぱちんと閉める。
見慣れないその表情がおかしかったので、栄口は「ごめん」と謝りながら笑った。

巣山は背も高いし雰囲気も落ち着いているから、クラスにいても部内でも大人っぽく見える。
実際そういうポジションだった、つっこみ役というか、フォロー役というか。

だから驚いたのだ。
家に着いて玄関に足を踏み入れるなり声が半オクターブくらい低くなり、普段の3倍くらい話しかけにくい空気をまとい始めた巣山を見て。
その低音化した声で発せられた言葉そのものにしたって、これでもかというくらいにぶっきらぼうだったし。
その言葉を向けられた相手というのは栄口自身ではなくて、奥のほうから「尚治?」と呼びかけながら顔を出した巣山の母親だった。

「おかえり、ってあれ、お友達?」

顔はあまり似ていなかった。
でもすらりと縦長のシルエットが長身の巣山と同じのような気がした。
キャップを取って「こんちは、お邪魔します」と頭を下げると、眼鏡の奥でちょっと驚いていた目がほころんだ。

「こんにちはー。ひょっとして野球部の子?」
「そっす、栄口っす」
「あ、やっぱり」
「栄口、俺の部屋上だから」
「え?あ、ああ」

せっかく出迎えてくれた母親に一瞥もくれず、巣山はさっさと階段を上っていこうとする。
栄口は巣山母に向かってもう一度ひょいと会釈をしてから巣山のあとに続いた。

「あ、尚治、おやつ、なんか持っていこうか?」
「いらねー」

下から呼びかけた母親を振り帰りもしないで、巣山はそう言い放った。
ただいまのあいさつもない冷淡な巣山の様子に面食らって、「おかまいなくー」なんてうっかり愛想よく言いながら、 巣山母を階下に残してきたのだった。



一般的に、親が疎ましくなる年頃があるんだということは、もちろん知識として知っていた。
ベタなところで、女の子なら「お父さんのと私の洗濯物いっしょに洗わないで!」とか。
けれど栄口の姉はそんなことを言ったことは一度もなかったし。

「巣山ってそーゆーのもう通り過ぎてんだと思ってたよー」
「だってなんか年々ウザいんだよ」

映画を観ながらつまんでいたポテトチップスをかじり、巣山が吐き捨てるように言った。
照れてる照れてる。
それがわかったから、栄口は巣山の悪態を割引して聞いた。

「なんか昔っからPTAとかあーゆーのスキでさー」
「あ、そーなんだ」
「だからやたら学校来るし。廊下ですれ違うたび声かけてくんだぜ?勘弁しろっつの。部活の試合も頼んでもないのに観に来るしさー」
「へーえ」

まるで中学生みたいなことを言い訳のように述べる巣山が新鮮だっただけなのだが、 にやついた顔が気に障ったのだろう、巣山にじろりとにらむような視線を向けられた。

「まー、栄口はそーゆーのなさそーだからわかんねーだろけど」
「そーだね」

ウチ親父とは仲いーし、おふくろはそーゆーの始まるころに死んだから。

そう言い終えてカフェオレを一口飲むと、え、という巣山の短い声が聞こえた。
ペットボトルを下ろして巣山を見ると、まさに「え」という声そのものに顔が固まっていた。
栄口の目線に気づいて、我に返ったようにそっぽを向く。
浮かべるべき表情を探すような、困ったような眉の角度を見て、いいヤツだなと素直に思った。

「……教えてくれんのはいーけど、このタイミングってずるくねーか?」
「俺もちょっとそー思った」

栄口が笑うと、巣山が安心したようなあいまいな笑みを浮かべる。

「別に説教しようとかそーゆーんじゃないんだけどさ」

親孝行したいときには親はなし、なんてことは口が裂けても言えない。
口が裂けるより先に、きっと気持ちのほうが参ってしまうだろう。
どの口で言ってんだよ、と思って、母がいなくなったばかりのころ、 不毛で果てのない後悔にじりじりと焼かれていくようだった日々のことを思い出してしまうから。

「ウザいって思えるのも幸せだってことは、知っといてもいいと思うよ」

そのうえで存分にしなよ、反抗。
栄口は心から言った。
きっとそれが健やかな形なのだ。
失うことを思いながら暮らしていたらどんなに大切でもきっと息が詰まる、そんなのってちょっと違う、そう思うから。

嫌味や不幸自慢だと思われていないだろうかと思って巣山を見る。
すると拍子抜けするような率直さで「大人だよなー栄口」と言われたので、思わず笑ってしまった。
単純におかしかったのと安心したのとで。

「じゃー巣山は意外にコドモだよね、一見大人っぽいのに」
「悪かったな」
「悪かないって。あ、でもただいまくらいは言ったげたほーがいいかもね、フツーに」

巣山はちょっと黙ったあと、不精不精に「善処するよ」とぼそりと言った。
善処なんて小難しい言葉を使うくせに親に向かってただいまの一言も言えない、そのアンバランスさがおかしくて、やっぱり笑った。