◆もういくつ寝ると悠一郎おじさん



「……あ!ねーちゃんだ!!」

自転車に乗って、抜きつ抜かれつしながら、畦道を走っていたときだった。
夕焼け色に染まった田島の横顔を、三橋は目をぱちくりさせて一瞬見つめ、それからその視線を追った。
前方から一人の女の人が歩いてくる。

「お、ねえさん?」
「そー。ギリの!」
「ギ、ギリ?」
「おう!にーちゃんのヨメさん!」
「お、おおっ」

明快な説明に三橋がうなずくと、
田島は「ただいまー!!」と片手を振りながら自転車をぐんぐんこいでいった。
三橋はそろそろとペダルをこいで、そのあとを追う。

「おかえりー、悠くん」

田島の自転車がきっと音を立てて止まり、三橋も続けて止まる。
女の人はにっこり笑って、三橋のほうを見て「お友達?」と聞いた。

「そう!三橋!」
「ああ、エースの!こんにちはー」

ちは、と口のなかでもごもご言いながら三橋は頭を下げた。
近づくと、その人のお腹がふくらんでいるのがわかった。
そうか、いつか田島くんがうれしそうに言っていた、と三橋はそれに気づいて思い出した。
あのなかには赤ちゃんがいるのだ。

「どしたの、どこ行くの?」
「スーパー。カレー粉足りなくなっちゃって」
「そんなんおねえに頼みなよ。ニンプなんだからさー」
「あはは、ニンプもできるだけ体動かさなきゃいけないんだよー」
「いいよ、俺行ってくるよ。な、三橋!」
「へっ?」

いきなり話を振られてびっくりしたが、びっくりしているうちに会話は進んでいった。

「いいよ、逆戻りになっちゃうよ」
「いーのいーの。1箱でいい?」
「うん。じゃあお願いするね、ありがとう」

女の人はそう言うと、財布から千円札を抜き出して「おつりはお駄賃でいいよ」と田島にそれを渡した。
田島が「やった」と笑う。

「ごめんね、よろしくね」

そんな声に送られて、2台の自転車は畦道をUターンした。



2人になると、田島は嬉々とした声で「腹でかかったろ!」と言った。
俺のオイかメイが入ってんだ、と言う声はさらに弾んでいた。
横に並んで自転車をこぎながら、三橋は「うんっ」と答えた。

「調べてもらったらもうセーベツもわかるんだって!すげーよな!!」
「え、ど、どっち?」
「わかんね!生まれてからのお楽しみにすんだって!」
「おおっ、お楽しみ……!」
「なっ、楽しみだよなー!」

田島は三橋のほうを向いて、きししと笑った。

「俺ウチんなかでいちばん下っ端だったからさー。
俺よりちっさいのが生まれてくるのってすっげー楽しみ!!」

三橋にはそもそも兄弟がいないから、
そういう気持ちのぜんぶがぜんぶをわかるわけではなかったけれど(三橋はむしろ兄のほうが欲しかった)、 田島がともかくうれしそうで楽しそうで幸せそうだったからその気分だけは伝わってきた。

「俺はやっぱ男がいいな!したらいっしょに野球すんだ!」
「お、おおっ」
「三橋もいっしょにやろーぜ!三橋ピッチングコーチな!」
「へ!お、おれ!?」

投げるのは大好きだけれど、それを誰かに教えるのはしたこともないし考えたこともなかった。
(そもそも自分は、ピッチングの基本であるストレートが投げられない。)

「お、おれ、おれ、教え、られない……」
「なんで!俺がバッティング教えて三橋がピッチング教えればチョーすごい選手になるぜ!」
「おし、教えるの、阿部くんが、いいと思うっ」

怒ると怖いけど。
心のなかで三橋は付け足した。
田島は三橋の言葉を受けて田島は考える顔になり、オレンジから紺色に変わりつつある空を仰いだ。

「あー。確かに阿部はコーチ向きかもなー。でもすぐ怒るしなー」
「で、でもきっと、俺より教えるの、うまいっ」
「んー。あ、じゃー栄口も連れてこよう!あと花井と泉も!」

田島は名案を思いついた、というようにボリュームを上げた。
おお、と三橋も感嘆の声をあげる。

「そしたら阿部が怒ってもあいつらが阿部のこと怒ってくれるしー。あ、あと花井にはどーやったら背ぇ伸びるか聞こう!ガキのころ食ってたもんとか!」
「それに、栄口くん、バントっ!」
「おーそーだな!あと巣山にはショート教えてもらおうショート!守備の花形だし!あとスケボ!」
「巣山くん、スケボ、かっこいいっ」
「なーかっこいいよなー。なんであんなプロってんだろうなー巣山」
「あと、沖くん、左!」
「そーだな、左利きって教えられんのかな!スイッチって手もあんな!あ、泉もスイッチじゃん!」
「勉強も!西広くん!」
「おお!やっべーバンノーじゃね!?俺のオイ!」
「バンノー!」

そこで畦道が終わりになり、道路に出た。
信号が赤だったので横断歩道の手前で並んで止まる。
向こう側はもうスーパーマーケットだ。
時間帯が時間帯なので、駐車場はほぼ埋まっている。

「すっげー楽しみだな!」
「楽しみ!」

にっと笑った田島につられて、三橋も笑った。
田島の笑い顔は伝染するから不思議だ、とよく思う。
信号が青に変わる。

「小遣いもらったからダッツ買おうぜ!」
「おお!ダッツ、好きだ!」

はしゃぎながら、道路を渡った。



同時刻、西浦高校硬式野球部左翼手が大きなくしゃみをしたとかしないとか。