◆阿部家、隆也くんに彼女ができたら



「ごちそーさま」

ぱん、と手を合わせて、こんなところは非常に行儀のいい長男が席を立つ。
朝食をお腹いっぱい食べてしまえば、さっさと身支度を済ませてさっさと学校へ行ってしまう。
そして夜遅くに帰ってきてまた夕飯を腹いっぱいかきこんでお風呂に入って眠って、 朝早く起きて朝ごはんを食べて学校へ行って      

下宿化してるなあ、と母は心の片隅でこっそりと思う。
まあ、この上の息子は中学のときからそうなのだけれど。

「はーい。お弁当ちゃんと入れなさいよ」
「うーい」

けれどもちろん我が家は下宿屋ではないし、母は下宿屋のおかみなんかではない。
だから母は、「ねータカ」と息子の背中に呼びかけた。

「なに?」
「あんた彼女いるんだって?」

弁当箱をかばんに詰め込んでいた息子の動作が止まる。

      あ、コレ図星だ
息子が背中を向けたまま沈黙するのを見て、母はそう悟る。

「やっぱいるんだー。もう、それならそうと言ってよね。
おかーさん、こないだ水谷さんから聞いてびっくりしちゃったんだからー」

ねえねえなんて子?
中学も同じ子なんでしょ?
今度うちに連れてきなさいよ、お母さん会ってみたいし。

      誰から聞いたって?」

母の言葉を、息子がやけにきっぱりした声でさえぎった。
そのトーンの低さに「あれ?」と母は思いはしたが、素直に答える。

「誰って。水谷さん」
「……ふーん」
「かわいくてとってもいい子なんですってねー、って言われたよ?
かわいい子なの?あんたメンクイだったんだー」

お父さん似だねえ。

そんな母の言葉を聞いているのかいないのか、
息子は「ふーん。水谷サンね、水谷サン」とつぶやいて、かばんを持ち上げた。

「あれ?」と母はまた思う。
その声に、後ろ姿に、何やら(我が息子ながら)不穏なものを感じたのだ。

      あれー?何か悪いこと言ったかな?

母が首をひねっていると、「行ってきます」と言って息子はリビングを出て行った。

「あ……行ってらっしゃい。      あ、ねー、今度連れてきてね?彼女ー」
「行ってきまーす」

追いかけるようにかけた言葉も聞こえているだろうに、しらじらしいあいさつがもう一度返ってくる。

「もー」

いっちょまえに照れてるのかしら、タカのくせに。
でもどんな子なんだろ。
楽しみだなー。

そんなことをうきうきと考えながら朝食の後片付けを始めた母は、もちろん、数十分後に水谷さんの息子さんを見舞う不幸なんて予想だにしていない。