◆アイスネタ
暑ぃ、と阿部くんがつぶやく。
その機嫌の悪い声に内心びくっとしてしまうのは抑え切れないんだけど、なんて返せばいいのかは、もう学習した。
思い切って聞いてみる。
「コンビニ、行く?」
夏休みはとっくに終わったけど、カレンダーは9月から10月に変わったけど、残暑の名残りはじわじわとまだ続いていた。
温暖化のことを考えると不安に思わなければいけないんだろうし、いつまでたっても秋の気配が見えないことに阿部くんもいらいらしているのかもしれない。
でもそのおかげで最近、学校帰りによくコンビニに寄る。
2学期になってから、帰り道、阿部くんが「暑ぃ」と言ったのは今日で3度目だった(思わず数えちゃうし)。
「おー」
自転車の車輪の、からからと軽い音にのせて阿部くんが答える。
間延びした声は平淡だけど、怒ってはいない。
それがわかるようになったのがうれしくて、少しずつ黒味を増していく夕暮れのなかを並んで歩けるのが、
幸せというオーバーな言葉をためらいなく使えるほど幸せで、私は自転車をぐいぐいと押す。
「お前いっつもソレだよな」
アイスを選んで、買って、まだクーラーの効いているコンビニを出て、駐車場のところで封を切る。
たった3回目のことで、習慣だなんて言えないかもしれないけれど、2人で、前と同じ手順を踏んでいることが私にはくすぐったかった。
そんなところに「いっつも」と指摘されて、浮ついてる気持ちが見透かされたみたいで、「へっ?」とまぬけな声が出てしまった。
「そ、そうだっけ」
とぼけてみせたものの、阿部くんの言うとおり、私はいつも迷った挙句、同じものしか選べない。
スーパーカップのチョコクッキー。
特別好きってわけじゃないんだけど、ほかにものすごく惹かれるものもなくて、結局無難な選択をしてしまう。
(ホント小心者っていうか冒険できないっていうか、って家族や友達にはあきれられるけど、アイスくらい好きに選ばせてほしい。)
「そーだよ」
阿部くんはあっさりと肯定して、長方形のソーダ味のアイスの袋を開けた。
阿部くんだって、それこの前も食べてたよ。
きしきしする歯ざわりが「なんかイヤ」なのについ買ってしまう、って。
そう言いたかったけど、そんなことまで覚えててキモチワルイとか思われたらいやだったから、私は黙って木のスプーンを袋から出した。
「そんなウマイの?それ」
「え?えー、と……」
「なんでそこで考え込むわけ?」
薄い水色のアイスをしゃくりとかじった阿部くんの目が、あきれたように細められる。
「え、ええと、おいしいよ」
たぶん、という言葉は心のなかだけで付け足す。
3回連続で食べるほど絶賛するようなおいしさかどうかわからなかったから、こんな半端な答えになってしまう。
さっきまでショーケースのなかにあったのに、もうスプーンがすんなり通るアイスをすくって口に運んだ。
冷たいクリームの部分はすっと溶けて、ちょこちょこしたクッキーが残る。
このクッキーの感じが好きだから、ふつうのバニラとかチョコとかじゃなくてこれを選ぶんだと思う。
ふうんという阿部くんの曖昧な相槌、そのあとにまた、アイスをかじる、しゃく、という音が隣から聞こえた。
「一口味見していい?」
「え。あ、うん」
じゃあスプーンもう1本もらってくるね、と言って店内に戻ろうとすると、「は?いーよ別に」という声に引き止められた。
「え?」
ぽかんと動きを止めた私に、同じくらいきょとんとした顔で阿部くんは言う。
「だってめんどくせーだろ。そのままくれればいいじゃん」
「そのまま?」
私はさらにぽかんとしたけれど、阿部くんは体をちょっとこっちへ傾けて、何食わない表情のまま口を「あ」の形に広げた。
その状態で数秒間、見つめ合ってしまったと思う。
阿部くんに要求されていることを理解するのに、私にしばらく時間が必要だったからだ。
「え……え!?」
「んだよ、早くくれよ」
阿部くんの眉間がちょっと狭くなる。
「で、でも」
このスプーンは、私がたった今口に入れたばっかりなんですが。
それを阿部くんが使ったりしたら、それはその、いわゆる 間接キス、に、なってしまうんですが。
自分で思い浮かべたその単語に、日が落ちてさすがに涼しくなりかけていたはずの気温が、
昼間へとどんどん巻き戻しされていくように感じた。
でもそんなことこれっぽっちも考えていないような阿部くんにそれを説明するのはできないし、
かといってはいどうぞとすんなりスプーンを差し出せるわけでもない。
どうしよう、どうしようと必死で迷っていると、阿部くんの溜め息が聞こえた。
「そんなイヤならいーよ、もう」
お前意外にケチな、と言って、ふいと横を向いてしまう。
私の周囲の気温がまた、すっと下がった。
さっきまで脳みそ中を巡っていた「どうしよう」が、別の「どうしよう」に変わる。
どうしよう、怒らせちゃったのかな。
するとその「どうしよう」に別の気持ちが混じってくる。
怒らないで。
怒らないで、怒らないで、嫌わないで。
その気持ちが、私の手を動かした。
「……阿部、くん」
「あ?」
投げるように向けられた視線に、ひるんではいけない。
阿部くんに向けた、アイスをのっけたスプーンを引っ込めたくなる手を、私は必死で固定した。
阿部くんはスプーンと私とを見比べて、眉間にしわを浮かべたまま、「あのさ」と言った。
「別に俺はお前のことキョウカツしてるわけじゃねーんだぞ?」
「え……わ、わかってる、けど」
「じゃーそんな怯えた顔すんな」
「へ、し、してないよ、そんな顔っ」
「そーか?」
ならいーけど。
そう言って、そびやかされていた眉がふっと緩んだかと思うと、阿部くんが近づいて、スプーンにかぶりついた。
かぶりついた、なんて、乱暴な動作ではなかったんだけど、ともかく、スプーンを口に入れて、その上のアイスを取って、離れていった。
当たり前だけどほんの数秒の、あっという間の出来事だった。
ライオンにえさをやるときって、こんな感じなのかもしれなかった。
「甘ー。コレ食ったあと喉渇かねえ?」
「……渇く、かも」
阿部くんの言葉にほとんど上の空で同意する。
左手にはまだほとんど手つかずのアイスを、右手にはスプーンを
たった今阿部くんが使ってしまったスプーンを持って。
コレ、使っていいのかな
スプーンを前に途方に暮れる私はひょっとしたら変態なのかもしれない、と結構真剣にへこんだ。
そんな私の視界に、横からすいとソーダのアイスが現れた。
え、と思ってそれを視線でたどっていくと、もちろん阿部くんと目が合う。
「ん」
「……え?」
「お返し。一口食っていーよ」
「……ええ!?」
口元まで近づけられて、思わず一歩後ずさった。
だってもちろん、そのアイスは阿部くんの歯型がついてるんだから(阿部くんはいつも、アイスをなめずにかじる)。
「なに、いらねーの?」
ソーダ嫌い、と聞かれて、そこで素直にうなずいておけばいいのに、慌てた私は馬鹿正直に「そういうわけじゃ、ないけどっ」と答えてしまった。
「じゃー食えば」
遠慮しなくていーぞ、と言われて逃げ場がなくなる。
遠慮とかそういう問題じゃないんだってことをうまく伝えられる術を、もちろん私はもっていない。
まごまごしているとまた阿部くんをいらつかせてしまったみたいで、せっかくほどけていた眉の硬い線が戻ってきた。
「あのなあ。いらねーならいらねーではっきりしろよ」
「え、い、いらなくない、けどっ」
「じゃーさっさと食えよ、溶けんだろーが」
ほら、とアイスを突きつけられる。
ちらりと阿部くんを見上げて、いつ怒りの影が現れるかわからない目を見て、観念する。
目をつぶって、思い切って、目の前のアイスをかじった。
きし、とした歯ざわり。
当たり前だけど、それは、なんの変哲もなく冷たく、人工的なソーダの味がした。
「うわ、お前おもっきし食った」
「へ!?」
「公平じゃねえ。お前のもう一口よこせ」
「え、ええっ?」
余韻(間接だけど)に浸る間もなく急かされる。
でもそれでよかったのかもしれない。
バニラとチョコクッキーとソーダの味が、舌のうえでゆるりと重なって、
私ひとりだけ恥じ入っていることにゆっくり落ち込む時間もなくなったからだ。
きっとそれは、阿部くんの口のなかだって同じのはずなのに。
|