◆出発点からすれ違っている
阿部くんの腕は不思議だと、いつも思う。
泣き過ぎてぼんやりと重い頭のなかで。
やわらかなトレーナーの胸に鼻先を押しつける形になった体勢で。
今だに止まらない涙が服を濡らしてしまうのが申し訳なくて、ちょっと体を離そうとしたけれど、
背中に回された腕にぐいと抱き直されてそれはできなかった。
阿部の腕のなかは不思議と温度が高く、まるでお風呂のなかにいるみたいだ、と思った。
意地も気づかいもぜんぶが取っ払われて、感情がとても無防備になってしまう。
喉の奥につっかえた塊がじんわり融けて涙になって、溢れ出してくるみたいだった。
あとからあとから。
不思議だな、と、ともすれば漏れそうになる嗚咽を押し殺しながら思う。
こらえようと思えばこらえ切れた涙を誘発するような優しいことを、阿部が言ってくれたわけではない。
涙が止められなくなるほど心に沁みる慰めの言葉を、くれたわけでもない。
それなのにこのありさまなのだ。
子犬を懐に招き入れるような無造作さで引き寄せられた腕のなかで。
どうしよう。
何度となく思ったことをもう一度思う。
どうしよう、こんなに好きで。
ぎゅう、と唇を噛みしめると、その反動みたいに体が小さく震えた。
「よく泣くなあ」
あきれたような感心したような阿部の声が降ってくる。
阿部くんのせいだ、そう言い返したかったけれどそれは声にはならない。
どうしようと思う。
頭をぽんぽん撫でてくれるその手を、自分だけのものだと錯覚してしまいそうで。
そろそろひからびるんじゃねえかな、と思って、腕を緩めてみた。
彼女はあんまり泣かないけれど、泣き始めるととことん泣く。
人間の体の7割は水分だと習ったが、そのパーセンテージがかなり変動してしまうんじゃないかと心配になるくらい、泣く。
体をちょっと離して彼女の顔をのぞき込む。
真っ赤に泣き腫らした目と鼻が見えたが、彼女は阿部の視線から逃げるように顔を背けようとした。
「なに?」
「やだ……顔ひどい、もん……」
彼女が鼻声でもごもごと反抗したけれど、涙に汚れた両頬をつかまえて顔を上げさせた。
そうする合間にも涙は溢れて、それが彼女の頬を包んだ阿部の手を濡らした。
逃げられなくなった彼女は、さすがに泣き疲れているのかそれ以上は抵抗しなかった。
ただ、水たまりみたいになった目のなかで瞳をついと横にそらしている。
「そんだけ泣いて喉渇かねえ?」
「……渇いた」
「じゃあなんか飲むか」
手を移動させて、よしよしとばかりに頭を撫でてやる。
するとへの字に結ばれた唇が震えて、水たまりがまた決壊した。
「まだ終わらねーのかよ」
「ごめ……」
「いーけどさ」
うう、とか、んん、とかのような、押し殺した彼女の泣き声を聞きながら、変なのと思う。
彼女も自分で言ったとおり、確かに涙で汚れた彼女の顔は「ひどく」て、お世辞にもかわいいなんて言えない泣き顔なのに。
「早いとこ終わらせろよ」
赤くなった目元に唇を寄せる。
彼女の涙はしょっぱくて、この分だと水分といっしょに塩分も補給させなければいけないようだ。
とめどなくこぼれ落ちていく彼女の涙まで自分のものだと、思ってしまうのはどうしてだろう。
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