◆デジャブと思ってはいけない
強く強く抱き寄せられた背中の内側で、そろそろ背骨が悲鳴を上げるんじゃないかと思った。
阿部くん何か怒ってるんじゃないかな、そう心配になるくらいにぎゅうぎゅう抱きしめられて、恐る恐る口を開く。
「……あべ、くん」
「んー?」
声音から判断すると、たぶん怒ってはいない。
けれども体に回された阿部の腕の力はちっとも弱くならなかった。
「あ、の、ちょっと」
「なに」
「痛い、んです、が」
控えめに提言してみた。
ほんの少しだけ腕が緩んで、阿部と目が合う。
ほっと気を緩めたけれどそれはたった一瞬のことで、またぎゅう、と抱き寄せられた。
さっきよりもきついくらいに。
まるで胸のなかに取り込もうとしているみたいに。
「え、あ、阿部くん、あの」
「知らね」
突き放すような短い返事だった。
それでも怒ってはいない声だと、思う。
ただ次の言葉には、ちょっとだけすねたような響きがあった。
「俺は別に痛くねえもん」
単純に体が痛いのと、訳が分からないのとで白黒させていた目を今度はぱちくりさせる。
肩口に押しつけられていた顔をなんとか上げて、阿部の顔をうかがおうとした。
その動きを感じ取ってか、阿部がようやく説明する気になったらしい。
お前さあ、と言って見下ろす顔は、ほんのちょっと不機嫌そうだった。
やっぱり怒っているのかもしれない、と思って慌てた。
「え?ごめ、なに?」
「なんで俺のことはぎゅってしてくんないの?」
再度、まばたきをした。
大まじめな阿部の顔を見つめ返しながら。
「……ぎゅ?」
「そー」
思わず疑問形になってしまった擬音語に阿部がうなずいて、その顔がいきなり近くなる。
わわ、と思って離れかけた背中は、けれどしっかり抱き直された。
確かに、ぎゅっと。
額をつきあわせた至近距離で見た阿部の顔は変わらず真剣で、えええええと思った。
思うだけでは足りなくて、だから声に出した。
「え、えええ……」
「んだよ」
「だ、だって」
眉間がぎゅっと狭くなって、声にはさっきまでなかったむっとした調子が含まれている。
いつもなら、そんな顔と声を聞いたら「どうしよう」と思って青くなるけれど、今は別の意味で「どうしよう」だった。
いったい何事かと思っていたのだ。
いきなり力任せみたいに抱きしめられて、びっくりしたのだ。
何か自分には考えつかないようなことで、嫌な思いをさせたのかと思って、はらはらしたのだ。
その結果が、あのセリフだったのだ。
どうしよう。
阿部くんかわいい
そんな感想を悟られてしまうともっと機嫌を損ねてしまいそうだったから、なんとかそっぽを向いた。
けれどそれだけではごまかし切れなかったみたいで、「お前何笑ってんの」とつっこまれた。
「わらっ、笑ってないよっ」
「嘘つけ笑ってんじゃねーか」
確かに、鏡を見なくたってわかる、きっとどうしようもなく緩んでいるに違いない片頬を、阿部の指に引っ張られた。
わりと本気で痛い。
「う、ご、ごめん」
「ごめんじゃねえよ」
ほかに謝り方ねえのか、とにらまれる。
反射的にぐっと引いてしまったが、わかっていた、考え過ぎたら動けなくなるのだ。
さっきの気持ち 阿部くんかわいい を思い出す。
息を吸い込んで、阿部の胸にぴたりとくっついた。
両腕でぎゅっと抱きしめる。
それでも阿部のような、骨をきしませるような力にはぜんぜん足りないけれど。
顔を見られるのが恥ずかしかったから、ずっと伏せたままでいた。
少しして頭の上に落ちてきたのは「お前さあ」というさっきと同じ言葉だったけれど、
さっきよりも柔らかい、溜め息とあきれが混じった声だったから、そろそろと顔を上げてみる。
阿部はその声そのもの、みたいな表情をしていた。
単純なのか素直なのか知んねーけど、と言葉を続ける。
「ソコにちゃんとお前の意志はあるんだな?」
「え?」
「ホントはこんなん、言ってからされるのって微妙なんだぞ?」
「あ……あるよ!」
期せずして元気な返事になってしまった。
阿部が目を丸くして、今更恥ずかしさが込み上げてきてうつむいた。
及び腰になりかけたときに「じゃあ、いっか」と阿部が独り言みたいに言った。
「かわいいし。もう何でもいーや」
モノローグは心のなかにしまっておいてほしい、と思うようなことを言われていよいよ逃げ出したくなったけれど、逆にぎゅうと抱き寄せられた。
やっぱり強く。
もう、何でもいーや
かわいいし。
阿部のセリフを胸のうちで真似をする。
阿部の背中に回したままだった腕に、力を込める、覚悟をした。
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