◆そろそろあきらめましょう



疑問に思ったことは口に出す。
わからないところがあったら先生に聞けばいいの、そしたら塾なんて行かなくたって大丈夫なんだからね、というのが母の口癖だったから、それはほとんど習い性みたいになっていた。

だから今も声に出して聞いた。
下駄箱のところで、靴を履き替えている彼女を眺めながら。

「お前さ」
「ん?」
「縮んだ?」
「……へ?」

上履きをしまいかけていた彼女は手を止めて目を丸くした。
それからどういう反応をとるべきか迷っているかのようにきゅっと眉根を寄せて一瞬ためらい、結局顔をむっとさせるところに落ち着いた。

「縮まないよー」

反論したあと、「まだ」と小さな声で付け足す。
スニーカーのかかとを整えて立ち上がり、阿部の横に並びながら、「阿部くんが背、伸びたんでしょ」と言った。
頬にかすかに苦笑いを浮かべながら。

「ああ。そーか」

言われてみれば確かに、夏のあいだに4センチ伸びたし体重も増えた。
できれば今年中に父親の身長を追い越してやりたいともくろんでいる。

「背が急に伸びるとき、ぎしぎしいうって言うけど、ほんと?」
「いや?ぎしぎしは聞いたことねーな」

お前は聞いたことないの、と聞くと、だってそんなに伸びたことないもん、と、心なしか恨めしげな声で返事が返ってきた。

「そーなの?」
「そーです」

ふい、とそっぽを向いた彼女は確かに、中学のころからそうサイズが変わっていないような気がする。
というか、こっちが伸びた分、やっぱり小さくなったようにさえ感じるのだ。

「オンナはもう伸びねーのかな」
「まだ伸びてるよ」
「え、うそつけ」
「うそじゃないよ。……高校入ってから、1センチとかだけど」

もごもごと付け加えられた微々たる数字に、思わず笑った。

「ほとんど変わってねーじゃん」
「そんなことないよ、1センチだって貴重なんだよ」
「わかってっけど」

かわいそーに、と言いながら、隣を歩く彼女の頭にぽんと手を置いた。

「……別に、そんなかわいそうがられなくてもいいんだけど」
「そーか?」
「だ、だって別に、私は阿部くんみたいにスポーツしてるわけじゃないから、背は人並みにあれば困らないし……」
「そらそーかもだけど。でもやっぱ、かわいそーにな」
「ええ?なんで?」

頭に手を置かれたまま、いぶかしそうに彼女が見上げる。
それを受け止めて思う。
理由なら例えば、その角度で向けられる視線が、ちょっとくすぐったくてかわいいとか。

言葉で説明するよりも実践してみたほうが早かったので、体をかがめて唇を重ねた。
一瞬だけ。

「お前、俺にこゆことできねーじゃん。ちっせえから」

顔を離してそう言うと、凍りついていた彼女が「や、それ、身長は関係ないよっ」と引きつった声で反論した。

「なんで。関係あるだろ」

背の高さは、イコール守備範囲の広さだ。
背が伸びれば手の届く範囲が広がる。
だから彼女にも、簡単に触れられる。
自分の頭を撫でるのにも苦労するであろう彼女とはちがって。

「……うん、あると言えばあるけど、ええと……」

彼女はうなだれて苦悩するみたいに額を手で覆っていたけれど、やがて観念したように「うん……そうだね」と言った。
なんだか少し、投げやりな口調だった。