◆2011年誕生祝いだった阿部家の食卓



阿部が部活を終えて家に帰ってくる時刻には、ほかの家族はもう夕飯を食べ終わっている。
けれど母はいつも何くれと用事をこなしながら食卓のそばにいて、黙々と食事をすきっ腹に詰め込む息子のそばでとりとめのないことを話す。
来週はシュンの練習試合で車を出さなきゃいけないだとか、野菜の値段が高いだとか、明日は朝は暖かいけどそこから気温が上がらなくて寒いだとか。
そんな話をBGMにして、たまに生返事をしたりしなかったりしながら、阿部はせっせと夕飯を食べる。
だから、ひとりで食事をとっているという気はまったくしない。

「そういや今日ね、あっちゃんとこのお母さんに会ったよ。スーパーで」

その日はまな板の消毒をしながら、母は思い出したように言った。
父は風呂に入っていて、弟は自室に引っ込んでいて、阿部は筑前煮と焼き魚、ほうれんそうのおひたしと味噌汁をせっせとたいらげていた。
あっちゃんというのはリトルのころ同じチームだった友達だ。
シニアでは別のチームだったし、学校も違ったのでとんと会っていない、懐かしい名前だ。
阿部は「へえ」と気のない声を出した。

「あっちゃんとこお姉ちゃんいたじゃない。来年成人式なんだって。早いわねー」

母はしみじみとそんなことを言ったが、そもそも阿部はあっちゃんにお姉ちゃんがいたことすらまともに覚えていない。
今度は特にコメントもなかったので黙っていると「先月前撮りしたって、写メ見せてもらっちゃった」と母は続けた。

「きれいだったわー、振り袖姿。やっぱ女の子は華やかでいいわよねえ」

うらやましげな、溜め息交じりの声を聞いて、阿部はまた言ってら、と思った。

「娘が欲しいならも一人産めばよかったじゃん」

そう言ってから、あ、また言ってら、と自分で思った。
「うち男の子ばっかりで華がない」と母が不平めいたことを言うたびに、阿部は同じ言葉で対応してきたのだった。

「簡単に言ってくれるけどねえ」

苦笑しながら母は言った。
これもまた幾度も聞いた、何パターンかある母の返事のうちのひとつだった。

「三人目が絶対女の子って保証があるなら産んだけど」

そこまで言って、母は「あ」と小さく声を上げた。

「そういえばタカ、来週誕生日じゃない」
「え?……ああ、そういえば」

壁にかかったカレンダーを確認し、思い出してうなずくと、「そういえばって」と母はあきれたように肩を落として見せた。

「まったく、祝い甲斐ないんだから」

こぼすようにそう言ったくせに、「夕飯、何かリクエストある?」とうきうきした声で聞いてくる。
ふむ、とばかりに阿部は考え込む。
母はまめで料理もうまいから、基本的にどんなメニューでも大歓迎だ。
トンカツ、鳥の唐揚げ、刺身、ちらし寿司。
今も食事中だというのに、好物を思い描いているとまた腹が減ってきそうだ。
目の前の筑前煮に集中しないと、コルチコトロピンは分泌されない。
頭のなかのメニューを消去し、「考えとく」と答えた。