◆泉くん(女の子の日ネタ)
数分前に鳴ったチャイムの音で、4時間目が終わったことは知っていた。
寝ているのか起きているのかわからないゆらゆら揺れる意識が、がらりと戸が開いた音で四分の一くらいはっきりし、
それに続いた「失礼しまーす」という声で半分くらい覚醒した。
つまり保健の先生と二言三言言葉を交わしてカーテンを開けた泉と対面したとき、
私の頭は半分くらい意識を取り戻していて、ということは残りの半分くらいはぼんやりしたままだったということになる。
「よーす」
「……おーす」
「うっわ顔死んでんぞ」
「うっさい……。てかなに来てんの?」
だって見に行って来いって言われたし、としゃらりと泉は答える。
その返事は聞くまでもなかった。
月一で襲ってくる腹痛と頭痛と腰痛と吐き気と熱っぽさに耐えかねて保健室に来たのが3時間目の前。
そして4時間目の前の休み時間には友達が様子を見に来てくれた。
泉くんに言っといてあげるね
チャイムが鳴り先生に促されて保健室を去る際に、友の一人がそう言った。
なんで泉、と私が苦痛のなかからそう聞くと、友人たちは下世話な笑みを深めた。
まあまあ、そう照れなさんな
もちろん生理ってのは伏せといたげるからさ
口々にそう言われ、私は誤解を解くのも億劫で文字通り閉口していた。
私の沈黙をどうとらえたのやら、そんな友達も友達だけど、言われたとおりのこのこやってくる泉も泉だ。
嫌な気分にはっきりと意識が覚醒して、その代わり体のだるさが倍増した気がした。
「うわーもーいーよ別に来なくたってー」
「だってあそこで変に抵抗したらよけー不自然だろーがよ」
「……そーかもだけど」
「それに心配してやってんのはホントだぞ」
「……そりゃどーも」
私がもぞっと答えたとき、カーテンの向こうからひょいと先生の顔がのぞく。
「どうする?お昼休みだし彼氏も迎えに来たし、教室戻ってみる?」
悪気の見えない先生の言葉に、思わず布団のなかから泉を見上げた。
示し合わせたように目が合って、溜め息をつきたくなる。
「彼氏じゃないですせんせー」
「あ、そーなの」
「そっす。俺メンクイっすもん」
「私ももっと背が高いのが好きです」
「まーお互いの好きなタイプはさておき、どうするの?もう2時間休んでるし、だめそうなら早退手続きとってあげるけど」
「……じゃーもー帰ろっかな」
ぽそっと言ったつもりだったけどそれは先生にちゃんと聞こえていたらしく、
「じゃー早退ね。9組よね?」と言ってカーテンの向こうに引っ込んでしまった。
しゃっという音とともに、ずぼんのポケットに手をつっこんだ泉と2人、白いカーテンのなかに残される。
泉が私の寝ているベッドの足元のほうに座った。
「早退するほどしんどいのかよ」
「んー。今は腹痛は治まってんだけどさ、だるい。あと眠い」
「ふーん。大変な、毎月毎月」
言わなくてもわかってやんのコイツと思い、一歩間違えればセクハラだとも思う。
泉と私の名前を結びつけてあらぬ想像をしている人が今のセリフを聞いたら、これはもう確定だと思うんだろうか。
「……男に生まれてくればよかった」
「はあ?」
これもぼそっと言ったけど、ちゃんと泉に聞かせるための言葉だった。
仰向けになって天井を見つめていた私の視界に、「なに言ってんの」と言う泉の顔が割り込む。
「そしたらこんな思いもしなくていいし、周りからごちゃごちゃ言われないじゃん」
「んなこと言ってもしゃーねえじゃん」
「そーだけどさ」
情けない自分の声音に、なんだかとても嫌気がさして目頭が熱くなった。
私は泣きたいくらい毎月毎月のこれが嫌いだし、泉とそういうふうに見られるのも嫌い。
ただ仲がいいだけなのに、男と女ってだけで、なんですぐに彼氏とか彼女とかそういうふうになっちゃうんだろう。
「いいじゃねーか別に。言いたいやつには好きなよーに言わせとけば」
「でもなんか、癪に障るんだよ。泉は別に、普通に心配して来てくれただけなのに。そういうのナシになっちゃうじゃん」
例えばこれが、田島とか三橋くんだったら。
保健室で休んでるのが2人のうちのどちらかだったら、いいんだ。
泉は友達思いのいいやつだな、で済む。
それなのに私は女だから、そういうのがなくなってしまう。
「アホか。俺は別に周りからいいヒトとか思われたくて来たんじゃねえぞ」
「わかってるけど」
それでも私は嫌なのだそれが。
私が黙り込むと、ベッドのスプリングの音がぎしっと鳴った。
泉がベッドから降りたのだ。
「弱気になんのも症状のひとつ?」
「……そういうことにしといて」
ごめんと謝る声が震えて、顔の向きを変えた。
泉が立っているのと反対側に。
顔を横断していく右目から零れた涙を拭うと、「ならしょーがねえか」と泉が言うのが聞こえた。
「早く治せ つってもムリなのか、でもお前が女みてーなこと言うと調子狂うんだよ」
どーにかしろ、と言う泉の口調は普段と変わらずふてぶてしい。
人を見舞うときくらい命令形を控えられないのだろうか、この男は。
泉は、例えば好きな女の子のお見舞いに行ったときにもこんな感じなのだろうか。
そうなのかもしれない。
好きな女の子の前で借りてきた猫みたいに小さくなっている泉なんて想像もつかない。
でも私は、例えば好きな人が心配して保健室に来てくれたら、こんな態度は絶対とらない。
半分眠っていた状態から一気に覚醒するだろうし、
2時間連続で横になってくしゃくしゃになった髪のことを気にするだろうし、
体調不良の原因が生理痛だなんて知られたら恥ずかしくて死んでしまうと思う。
だからありえないのだ、私が泉に恋をすることなど。
「なに、女みたいなことって」
「男に生まれりゃよかったとかなんとか」
「……それって女みたいか?」
「だって男は言わねーだろ、そーゆーの」
そう言われればそうなのかもしれない。
よくわからないけど。
「じゃー俺行くぞ」
「うん」
「健闘を祈る」
「……ありがと」
その言葉に私は保健室に来てから初めて笑った。
健闘を祈る、この言葉は主に休日前、お互いの部活の練習や練習試合を前日に控えた私たちの合言葉だったからだ。
部活の話はよくするものの、なんとなくそこの細かいところは不透明で未知の領域で、だから泉はこのあいさつを用いたのだろうか。
そういえば泉には男兄弟しかいなかった。
女の子の日の憂鬱に任せて愚痴を言ったりして、ひょっとすると私のほうがセクハラだったのかもしれない。
いつも通りの不遜な態度は、居心地の悪さからきているのかもしれない。
そうだとしたらちょっとかわいいな。
私の頬に浮かんだ笑いを見てとったらしく、泉が「んだよ」とちょっと顔をしかめる。
「泣いたり笑ったり忙しーやつだな」
「別に、ってか泣いてないし」
「そーかよ。じゃーな」
泉の、こういう、会話を切り上げるときの冷淡さともいえるあっさりしたところが私は好きだ。
それは私自身にもあるもので、友達からは「冷たい」と文句を言われることもあるけど、私と泉はこういうところが呼吸が合うんだと思う。
それでも、いくら共通点があっても泉は男の子で私は女の子で、それは泉の言うとおり「しゃーねえ」ことなんだろう。
それぞれに健闘を祈り合うしかない。
私は再び天井を見上げ、鈍く疼くお腹の上で両手を組んで目を閉じた。
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