◆慰められてみる



「お前、今日目ぇ死んでね?」

泉の切り出しにはなんの前置きもなかった。
人を捕まえていきなり目が死んでいるとはいったいどういう了見だと普段ならむっとするんだろうけど、今日に限っては悔しいことに自覚がある。
でもそれより何より、泉が私の変調に気づいていたことに驚いた。

おかしいなとは思ったのだ。
掃除の時間、泉は私に向かってゴミ袋を「ほれ」と突き出したかと思うと同じ班のほかの子たちに「ゴミ捨ててくるから」とことわって、 ぽかんとしている私を「オラ行くぞ」と否も応もなく促して教室を出た。
なんでわざわざ私指名だよ、と思ったけど、そうかコイツは気づいていたのか。

「えー……。なんでわかんの?」

ごまかすか否定するかしようかという考えが頭をよぎったけど何だかそれも馬鹿馬鹿しいし、 周りからああだこうだと言われる危険を冒してでも2人になる機会を作ってくれたということは、 たぶん、心配してくれているのだこの男は。
片手にゴミ袋を提げて、片手をずぼんのポケットにつっこんで歩く横顔にはそれらしい影はないにしても。

「さあ?つーかやっぱ死んでたのかよ」
「んー。まあ、そう見えたなら死んでたのかも」

ふられたんだわ、と私が言うと、泉は思わずみたいに立ち止まった。

「は?」
「や、だから」

ふられたんだってば。
2回も言わすな、と思いながら、明確に冷静に私は繰り返す。
泉の、女の子みたいに丸い目がさらに丸くなったように見えた。

「誰に」
「んー。彼氏、に?」
「お前オトコいたのかよ」

初耳だぞ、と言う泉の声はやや声高だ。

「や、だって聞かれなかったし。わざわざ言うことでもないかなと思ったし」
「……まー確かに」

出会ってから今までの私たちの会話をざっと思い出すように、泉はしばしの沈黙のあとそううなずいた。
つまりは色気のある会話なんてこれっぽっちもしたことないってこと。
お互いに、意中の相手とか特定の人とかがいるかどうかも、気にしたことがない証拠だ。

今はもう使われていない、単なるゴミ捨て場と化している焼却炉前にゴミ袋を置いてから、 私は初めて泉に向かって恋バナとやら(賞味期限切れの、だけど)をぼそぼそと披露した。
ぽつりぽつりとゴミ袋を手にやってくる生徒たちに怪しまれないように、焼却炉の裏側に回る。

「まあ彼氏と言いましても、友達の延長みたいなもんでさ」

中学の卒業式のときに告白された。
相手はいちばん仲のよかった男友達で、別の高校に入学することになっていた。
遠い学校だったし、高校に入ってもお互いに部活を続ける気でいるのは知っていたから、 卒業したらめったに会えなくなるんだろうなと漠然と思っていた。
その相手のことを格別意識したことはなかったけど、本当にいいやつだと知っていたし気も合ったし、 今のこの関係が途絶えてしまうのは寂しいなと、思った。

「で、まあ、付き合うってなったんだけど、高校入ってからはほっとんど会わなかったんだよね」

もちろんときどきメールや電話はして、私はそれでいいんだと思っていた。
新しい環境に適応していくことに私の意識の大半は占められていたし、向こうもそうなんだと思っていた。
携帯電話ひとつで中学時代のつながりは持続できていて、付き合うっていうのはそういうことでいいんだと思っていた。


「お前さあ」

黙って私の話を聞いていた泉がそう言った。
見るとヤツはあきれたような哀れむような目線を私にくれていた。

「意外に精神年齢低いのな」
「……うるさいな」

泉に言われなくてもわかっている、今は。
昨日久しぶりにかかってきた電話口、いつになく口の重い電話相手を不審に思っていると不意に言われた言葉を聞いたとき、気づいた。
      俺たち付き合ってる意味なくね?

別れ話の兆しすら感じていなかった自分に、自分でもあきれ返る思いだ。

「で?」
「で、って?」
「お前はいったい何に対してへこんでんの?」

聞いた感じだとふられた相手にめちゃめちゃ惚れてたわけでもなさそーだし、と泉が言った。

「んー……。そのことにへこんでんのかも」
「そのこと?」
「好きじゃないならちゃんと断るべきだったんだよね」

でも付き合うという選択以外に、相手を失わない手段が私にはわからなかった。

      今までと大して変わんないかもしれないよ
私が言ったら、それでいいよと言ってくれたし。
そもそも俺たちそんな改まるよーな仲でもないじゃん、と笑って。

その言葉をいつも通りまるごと信頼して、変わろうとする努力も大切にする姿勢も怠った結果がこのざまだ。
結局なくしてしまった、恋人と同時に大事な友達も。

「なんか自業自得のくせにへこんでる自分も調子いいなーとか、まあ、とりあえずまとめれば自己嫌悪?かな」
「ふーん」

興味があるのかないのか、泉はそんな相槌を打った。


そのまま2人してぽけーっとしているとチャイムが鳴った。
掃除の時間終了だ。

「泉、帰ろか」
「悪ぃな」

私の提案と泉の謝罪がかぶった。
いや、謝罪?

「え、何が?」
「イヤ、だってココは『じゃー俺にすれば?』とか言う場面なんだろ?」

俺、そーゆーの言う気ねえから。
真顔でやけにきっぱりと言う泉に、私はしばしフリーズした。

      ちょっと待て」
「んだよ」
「え、ちょ、なに、私そーゆーこと言ってほしそーに見えたの!?」

そんなの心外過ぎる、そんな物欲しそうな言い方をした覚えは一向にないのに。
これは私の尊厳に関わる、と思って問い詰めると、泉はあっさり「いーや?」と答えた。
否定されてとりあえずはほっとする。

「じゃーなんでそーゆー話になるわけ?」
「だってそーゆー話がいちばん慰めになんのかなって思うじゃん」

言い訳めいたことを泉は言った。
ちょっとしかめられた顔がなんだか子どもっぽくて、私はきょとんとする。

ああ、じゃあ、なんだ。
泉は慰めてくれようとしているのか。

「だいたいさ、そーゆーのはどっちかだけのせいってことないだろ。お前だけが悪いってことねーよ、たぶん」

視線がすいとそらされたままなのは、口調がやや乱暴なのは、照れくさいからだろうか。
泉の顔を眺めていると、昨日から何となく麻痺したように重たくて気だるかった心が少しだけ、軽くなった気がした。

「そーかな」
「イヤ知らねえけど。たぶんだし」
「頼りない慰めだなあ」
「だから悪ぃなって言っただろ」
「イヤ、悪くないよ」

言ってくれなくてよかった。
友達じゃ、なくなる言葉なんて。

「……ま、元気出せば」
「おう」

飾り気のない言葉と私の後頭部をぽんとたたいた無造作な手のほうが、何百倍もうれしかった。