◆文理選択にまつわるエトセトラ
「お前さあ」
文系と理系どっちにすんの?
そう言った泉の口調はものすごくどうでもよさそうで、おまけにピクニック(ヨーグルト味の)のストローを口に突っ込んだままだった。
およそ人にものを尋ねる態度ではない。
しかも日直の片割れに学級日誌を押しつけている人間がとるような態度では絶対ない。
私はもう慣れてるからいいけど将来的にこれでは困るだろう、注意してやろうかと思ったけど、
そういう立派な考えは一瞬で「まあいっか」という言葉にかき消える。
「えー……たぶん文系」
「マジ?」
「なんでそこでマジが出る?」
「だって似たようなモンじゃね?お前の文系と理系の成績」
「んーでも、理系のほうが苦痛なんだよ、勉強すんの」
「進路的には?」
「まだわかんない」
まー別にどっちも勉強は苦痛なんだけどさ、と言うと、泉はやっぱりどうでもよさそうに「そらそーだ」と言って肩をすくめた。
泉に話を振られて私はシャーペンを置き、昨日のホームルームで配られたプリントを取り出してみた。
昨日ファイルに突っ込んだっきり、そのままにしておいた「希望コース調査票」。
西浦では2年生から文系と理系にクラスが分かれることになる。
このプリントはそれの前振りらしい。
「泉は?」
「たぶん理系」
「へーえ」
そしたら来年は間違いなくクラス分かれるのか、と思った瞬間、泉が「お前理系にすれば」と言った。
言葉は「すれば」だったものの、その調子はほとんど「しろよ」に近かった。
だから私は、そのセリフの内容と態度の両方に対して、丁重に次のような反応を返す。
「はあ?何それ」
「どっちも苦痛なら理系いったって同じだろ」
「イヤ、だから、どっちか選べって言われたら文系なんだってば」
「そしたら間違いなくクラス分かれんじゃん、来年」
面食らった。
今さっきの私の所感と一字一句違わないぞ、それは。
それなのに泉の顔は相変わらず無頓着だ。
「まーそりゃそうだけど」
「それに文系クラスなんて絶対女子の比率たけーぞ。お前そーゆーん苦手じゃん」
「イヤそれはキミの偏見だよ」
「俺は苦手なんだよ。だから文系は却下」
英語も古典もキライだし。
泉はすぱんと言って、また一口ピクニックを吸い上げる。
人の進路の二分の一を勝手に切り捨てたにもかかわらず、いたって泰然として。
さすがに見かねた。
「泉さあ」
「なに」
「素直に言えないのかね、来年も同じクラスになりたい、とか」
ここでちょっとでも動揺したらかわいい、と思って言ったことだったけど、それは私の認識が甘かった。
泉はちらっと私を見ただけで、顔色ひとつ変えなかった。
「お前が俺の彼女なら言うけどな」
違うから言わね。
「……あ、そう」
思い出した、こういうところこそが、私が泉の「彼女」でない所以だった。
なんていうか、こう、ときめきどころをとことんはずされる。
つーか彼女だったら言うのか、と思いながら、「じゃあいいじゃん」と私は言い返した。
「彼女じゃないんだから、別れるとかそーゆー事態にゃならないよ、クラス分かれても」
「いやマズイだろ、クラス離れたらさすがに」
「は?」
泉の言葉の意味を測りかね聞き返すと、「だからさあ」と泉は大儀そうに答えた。
「クラス別んなって、お前んとこ行ったとするじゃん」
理系クラスからわざわざ。
わざわざ、が強調されたので、やっと私も合点がいった。
「……ああ」
そうか、と私はつぶやいた。
そうだろ、と泉は言った。
クラスメイト、という大義名分があってさえ、「付き合ってんの?」と言われない1週間はない。
例えば休み時間、泉が「これさんきゅー」とか言いながら貸していたCDで私の脳天をぽんとたたいたあととか。
(なんで普通に返せないかなと思う。)
例えばヤツら(9組の野球部のことだ)が練習なしの日の放課後、3人でボーリングに行くとかで、
田島がクラス中に響く声で「お前も行くだろー!?」とさも当然のように私を誘ってきたときとか。
(野球部が休みでもこっちは部活だ、と思った。)
クラスメイトの肩書きがなくなったら、きっともっとそういう誤解は深まるし広がるんだろう。
それは簡単すぎるほど想像がついた。
「……メンドクサイね」
「だろ」
「ていうか。クラス離れたら、そういうこともなくなるんじゃないの」
「なんで?」
「だって新しくできるでしょ、クラスメイトのなかから友達くらい」
クラスメイト、でなくなったら、私は泉の何になるんだろう。
そんなことをぼんやり考えた。
決まっている、1年のとき同じクラスで仲のよかった女友達、だ。
理系クラスにだって女の子はいるし、その女の子たちのなかから泉はまた気の合う子を見つけるだろう。
(そしてまだ見ぬその子には、泉の彼女になる可能性だって十分ある。)
そしたらわざわざ私のところに来る必要なんてないではないか。
寂しかった。
驚いたことに。
その想像はやけに寂しかった。
彼女は1人でなくちゃいけないけど、友達は大勢でもかまわないのだ、そりゃもう全然。
けれどさらに驚いたことに、泉が「だからマズイんだろ」と言ってのけた。
当たり前のように。
私の想像を正しく読み取ったのだろうか。
同じことを思ったのだろうか、泉も。
「会いにいく理由がある分、彼女のほうがマシだな、このバアイ」
このバアイ。
私たちの場合。
恋人同士じゃなくて友達同士の場合。
「……このバアイでも自然消滅っていうのかな」
「縁起でもねーよ」
泉がずず、とジュースを吸い込んで、私はまったくだ、と思った。
縁起でもない、泉の不在の寂しさも、新しい友達へのかすかな嫉妬も、
それらがどこかでまかり間違えて恋情につながることも、あるいは恋だと勘違いしてしまうことも。
泉もそういうこと思った?
聞いてみたかったけど聞かなかった。
「だから考え直せよ」
無関心そうな横顔のまま泉は言った。
私は泉の顔から、学級日誌の今日の時間割の部分に視線を移した。
5時間目の数A、そういえば宿題出てたなあ、面倒だなあ、とぼうっと思った。
思っているうちに、理系からの文転は可能ですが、文系からの理転は相当難しいと思ってください、という担任教師の言葉を思い出した。
「……がんばってみるかな、数学」
ぽつりと私が言うと、横から「おー。がんばれ」という投げやりな泉の声が聞こえた。
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