◆栄口くんと夏休み



「……ねえ、勇ちゃん」

やけに神妙な声で呼ばれて、ちろりと視線を流す。
ガラスの器に残ったかき氷の名残りみたいにすいと透き通った目は遠くを見つめるような色を浮かべていたけれど、 なんてことはない、彼女が見ているのはすぐ前にあるテレビ画面だった。
その四角い箱からわっと歓声が上がる。
一瞬遅れて、彼女の「あ」という声と、自分の「お」という声が重なる。
テレビカメラは、たった今ヒットを放った一塁上の選手をとらえていた。
すべての野球少年たちの憧れの地で、真夏の陽光をスポットライトにして、大きくガッツポーズが決められる。

ほう、という吐息のあと、そのついでみたいに「甲子園連れてってね」という言葉が聞こえた。
テレビ画面から、再度、幼なじみへと視線を移す。

彼女は澄ました顔でテレビに集中している、ふりをしている。
何だかな、と栄口は思って、テレビに目線を戻してから簡潔に一言、「無理」と答えた。
とたんに「えええー!」という、大きな声が隣から上がった。

「ちょっと、無理ってことないんじゃない?」
「無理だよー。いくらかかると思ってんの。俺そんな金持ってないし」

おとーさんにでもねだって自分で行けば、と、ざっくり切り捨ててやる。
すねたような声で「そういう意味じゃなくてー」と言われるまでもなかったけれど。

「どういう意味にしたって無理です」
「……言い切っちゃうんだあ」
「あんね、こーゆー人たちは、だいたいが小学校とか中学校とかでもトップクラスだった人たちなの」
「勇ちゃんだって野球上手じゃん」
「レベルがちがうのー」

確かにリトルのころからずっと野球は続けているし、絶望的なほど下手ではないと思うけれど、 全国大会なんて夢の夢、くらいのチームのなかでの話だ。
頂上を見上げれば、きっとそっくり返ってしまうくらいの位置にいる。
それを知らずに「上手」の一言でまとめてしまうんだから、初心者は怖いと思う。

「でもさー」
「でもじゃないの。はい、タッチごっこはおしまいー」

やや意地悪く、栄口は宣言した。

そのときまた、テレビがわっと湧いた。
打線がつながったらしい。
さっき一塁上にいたランナーが三塁に進んだ。
攻撃側の応援席が映されて、帽子をかぶった女子高生たちがメガホンを打ち合わせて喜んでいる。

チャンスの場面だなあ、こういうときのバッターって緊張するよなあ、と栄口は思ったが、 それとも「トップクラス」の彼らは緊張なんてしないのかもしれない。
そこからしてすでに、この舞台に立てる者と立てない者を隔てる線はひかれているのかもしれない。
ぼうっと画面に見入っていると、隣からぽそりとぼやきが聞こえた。

「……嘘でもいいのに」

独り言を装っていたけれど、明らかに自分への恨み言だったので、栄口は思わず苦笑いを浮かべた。

「ごめんね、正直者で」

嘘だった。
迷いなく「連れてく」なんて言い切るほどの自信も度量もなくて、 「目指す」と言うとまるで「彼女のため」のように聞こえる。
どっちにしたってそういうセリフはかっこよ過ぎて、口にしたとたん恥ずかしくて死にたくなっただろう。

無邪気にそういうことを言えないくらいにはもう、好き過ぎた。
好きになればなるほど言えないことやできないことが増えていって、 なんだコレこんなの絶対リフジンだと、にらむような挑むような気持ちで思っていた、頃だった。
中二の夏休みだった。