◆誕生祝いなのに幸せじゃないやつ
玄関のドアを開けて言った「ただいま」の声は、リビングにいる家族には届かなかったらしく、「おかえり」の返事はなかった。ごそごそとスニーカーを脱いでいると、たたきにちょこんと揃えられた靴が目に入ってきた。
サボというらしい幼なじみのものだ(以前つっかけと言ったら違うといって怒られた)。
そのとたんに、人間の感覚なんて勝手なもので、甘いにおいがそこらじゅうにあふれている(ように感じる)ことに気づく。
甘い、バターのにおいだ。
−明日のケーキ何がいいかなって
そう言った幼なじみの電話越しの声は、少しばかり明るすぎ、機嫌がよすぎた。
それを思い出しながら、結局今年も言えなかったな、とぼんやり思った。
もういいよ、の一言を、結局今年も。
快活な声の奥から、断らないで、という声が聞こえたというのはいいわけだと思う。
ぺたぺたと廊下を歩いて進む。
ダイニングから家族の声にまじって、軽やかな笑い声が聞こえてきた。
来年はどうだろう。
目をつぶって、その声を聞きながら考える。
再来年は、その次は。
バッターボックスに入る前みたいにひとつ息を吐き出してをドアを開けると、「あ、帰ってきた!」と弟がうれしそうに声を上げた。
「おかえり、勇人」
「おかえりー。もう、遅いよ。主役が帰ってこないと始められないのにー」
「それはすみませんでしたねえ」
「早く手、洗ってきて」
「はいはい」
「ごちそうが待ってるよー」
はいはい、ともう一度同じ返事をして、洗面所へ向かう。
するとその背中に、「ケーキもあるよー」という声がかかった。
歌うような、明るい、機嫌のいい声だった。
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