◆珍しくバカップル



「勇ちゃん」
「んー?」

隣に座って漫画雑誌をめくっている勇ちゃんは、誰がどう聞いてもそうだとわかる、完璧な生返事をした。
覚悟を決めた私とちがって、何の準備もできていないことは明らかだ。
だから私はこっそり深呼吸をして、「すき」と言ってみる。
はっきりとした、聞き間違いようのない発音で。

勇ちゃんが顔を上げ、不審そうに私を見た。
手元の雑誌のページのなかでは、強敵に苦戦しているらしい主人公が、血を流しながら厳しい表情を浮かべていた。

「……はい?」
「すき」
「……」

今度はしっかり視線を合わせたまま、同じ言葉をリピートした。
勇ちゃんは、少し戸惑ったように眉を寄せて、それから雑誌をくるりとひっくり返して床に伏せた。

「いきなりなに」
「……だいすき」

言葉を変えてみる。
勇ちゃんの、ジーンズの膝のあたりを見つめて、今度は内緒話をするようにそう言った。
勇ちゃんが溜め息をつくのが聞こえたので顔を上げた。
勇ちゃんは、あきれはてた、みたいな顔をしていた。

「あのさ、俺の話聞いてる?」
「私が話しかけたんだから、私の話を聞いて」

勇ちゃんはよく、私のことを「わがままだ」と言う。
今、勇ちゃんの顔に浮かんでいるのは、私のことをわがままだと言うときに勇ちゃんが浮かべる表情だ。
ちなみに、そう言うときの勇ちゃんの表情には二種類ある。
今浮かべている、やれやれ、とでも言いたげな、ちょっとうんざりした表情が、その一つ。

「……じゃあ聞くけど。どう続くわけ、君の話は」
「あいしてる」

今まで、言ったことはもちろん文字に書いたことも、メールに打ったこともない言葉だった。
本やテレビのなかでしか、見たことも聞いたこともない言葉だ。
勇ちゃんもきっとそれは同じで、それに、今まで誰かにそれを言われたこともなかったんだと思う。
そのとき初めて、勇ちゃんはちょっと赤くなった。
でもそれは、私に言われて照れてるわけではなくて、その言葉自体が恥ずかしかったんだと思う。

「ちょっとほんと大丈夫?熱でもあんの?」
「……あるかも」

そう言いながら、勇ちゃんの肩におでこをひっつけた。
私にとっても、それはちょっとばかり恥ずかしい言葉だったから。

「ねえ勇ちゃん」
「……だから。なに?って言ってんじゃん」

もうさすがに面倒くさそうな声がひっつけたおでこに直接響くように聞こえたから、私は「ちょうあいしてる」と言った。
勇ちゃんは何も答えなかったし、私もそのまま動かなかった。

たぶん、たっぷり10秒くらいの沈黙と静止のあとで、勇ちゃんの体がかすかに動くのを感じた。
私がもたれている肩とは逆の腕を伸ばして、床に伏せた雑誌を拾い上げたのだ。
ぱらぱらとページをめくって、さっきのバトル漫画の続きを開いた。

「勇ちゃん」
「もーわかったから」

さっきと同じ、心の底から面倒くさそうな声で勇ちゃんは言った。

「ほんとに?」

ちょっと体を離して、勇ちゃんの顔をうかがってみる。
すると勇ちゃんも顔を上げて、こっちを見た。
手元の雑誌のページのなかでは、主人公が必殺技を繰り出して、見事形勢逆転したらしかった。

私を見る勇ちゃんの顔には、私のことをわがままだと言うときの表情が浮かんでいる。
二種類ある表情の、さっきとはちがうほう。
やれやれと言いたげな、ちょっとうんざりしたような、でも、とびきりやさしい、笑い顔。
そんな甘やかすような顔をするから、私の「わがまま」が直らないんだって、勇ちゃんは気づいているのだろうか。

「わかったってば」

言葉にすればするほど、言葉にし切れない部分が増えていく気がして、ぜんぶ伝え切れないんじゃないかと思って不安になる。
でも勇ちゃんの「わかったってば」は、私が言葉にした分も、その言葉では伝え切れなかった分も、ぜんぶぜんぶ受け取ったような、「わかったってば」だった。

「絶対?」
「しつこいなー」

いいとこなんだから邪魔しないでよー、と言いながら、勇ちゃんは雑誌のページをめくった。
漫画のページを見つめる勇ちゃんの横顔を見て、わかってくれているんだと、私はわかった。
だから、やっぱり私は、言わずにはいられない。

「ねえ。勇ちゃん」
「んー?」

生返事をしたってむだ。
聞いてくれてるって、わかってくれるって、わかってる。

「好き」