◆花井家、長男誕生日



「行ってきます」

そう言って家を出ようとした、けれど即座に「あ、梓!」と母親から呼び止められる。
なんで人が今にも出かけようとしているときにストップをかけるかな、と苛立ちながらも足を止める。
無視して学校に行きたいのは山々だが、そんなことをすればあとあと面倒くさいことになるのは経験で知っている。

「なに」
「今日、部活終わったら道草食ってないでさっさと帰ってきなさいよ」
「は?」

道草、という言葉にまずかちんときた。
授業を終えて、部活を終えて、さらに自転車をこいで家まで帰ってくるのが、どれだけ体力のいることか知っているのか。
それに練習後コンビニに寄ってチームメイトたちとだらだらしゃべる時間は、食欲を満たすだけのものではなくて、 大事なコミュニケーションの場にだってなっている(はずだ。だべってるだけだけど)。
そう言い返したいところだけれど、口答えをすれば軽く3倍返しの応酬が返ってくるのはわかっていたから、 「は?」というその一音に精一杯の腹立ちを込めた。
けれど母はそ知らぬ顔で「あんた今日誕生日でしょー」と言う。

「え?」
「お父さんも早く帰ってくるって言うから、今日は夕飯外で食べよっかって」

母の言葉に一瞬きょとんとする。
そして即座に顔をしかめた。

誕生日なら、朝いちばんに顔を合わせたときに「おめでとう」と祝われたではないか。
妹たちだって覚えていてくれて、寝起きの目をこすりながらそろって「おにーちゃんおめでとー」と言った。
祖母も目を細めて笑い、「おめでとう、梓」と言ってくれた。
出勤の早い父は今日もまだ顔を見ていなかったけれど、もうそれで十分だ。

高校生にもなって。
誕生日なんて。

「……いーよ別に」
「ええ?」
「いいって、そんなんしてくんなくても」

その言葉に母が答える前に、まだ朝食途中だった妹たちが食卓から声を上げた。

「えーお兄ちゃんなんで!?」
「行こーよ、誕生日なんだしー!」
「だーから、兄ちゃんはもー高校生だからいーの、そーゆーのは」
「なんでよー、高校生だろうが大学生だろうが誕生日は誕生日じゃーん」
「そうだよー、新しくできたレストラン行こうって話してたのにー」

ぴいちくぱあちく、1人でも小うるさい妹は、2人そろうと倍どころか二乗でうるさい。
どうにかしろよコレ、という思いを込めて母をにらんだが、母は妹たちの加勢を受けてにんまり笑っていた。

「そーよねえ、別に高校生だろうが大学生だろうが、家族でお祝いしたって悪いことないじゃんねえ」

すると「だよねえ」の声かける2がダイニングに響き渡る。
まずい、旗色が悪くなってきた、と思っていると、母がとどめを刺しにきた。

「それともなーに、家族以外にお祝いしてくれる彼女でもできたー?」
「は!?」
「え、なにお兄ちゃん彼女いるのー!?」
「うっそーそんなの聞いてなーい!」
「ばっ……いっねーよそんなん!変なことゆーな!」

ここできっぱり否定しておかなければ今後の家庭生活に影響が出る。
そう思って声を張ると、母はますますにんまりを深め「ムキになるところが怪しーよねえ」なんて抜かした。

「ええー信じらんない、いつの間に!?」
「ねーお兄ちゃんどんな人?かわいい?」
「だーからいねえっつってんだろーが!」

怒鳴り返しておいて再び母をにらむ。
けれどこれはせめてもの抵抗で、自分の敗北はよくわかっていた。
母も同じのようで、実に満足げな顔をしている。

「あ、そう。彼女がいないんじゃーしょうがない。カワイソーだから家族でお祝いしてあげなきゃねえ」
「……っわあったよ!行ってきます!」
「行ってらっしゃーい」

かわいらしいしぐさ、のつもりなのか、母は顔の横で小さく手を振った。
どすどすと歩いて部屋を出る寸前、
「なんだ、結局いないんだ彼女ー」「カワイソー、高校生にもなってー」なんていう妹たちの声が聞こえた。

      ホントに祝う気あんのかよこの家族は!
そう思いながら、乱暴にドアを閉めた。