◆お兄ちゃんおめでとう!な花井家



「ただいまー」

そうつぶやきながらドアを開けた瞬間、「あ、お兄ちゃん帰ってきた!」という叫びのあと、ぱたぱたぱたと玄関に駆けてくる足音が聞こえた。

「おかえり!ねーお兄ちゃん」
「……なんだよ」

低いところから妙に熱心に見上げてくる妹に、花井はあからさまにいやな顔をして見せた。
部活から帰ってきた兄をつかまえて、妹たちが「ねーお兄ちゃん」と言うときはたいてい、「ノートを買い忘れたからコンビニに連れてって」だとか「宿題の作文が書けないから手伝って」だとか、花井からすればハードな練習を終えて帰ってきたところなのにどうしてそんなことを、と言いたくなるようなおねだりをしたいときだった。

案の定、飛鳥はことさらに必死な顔を作り、「お菓子の材料、買い忘れたの!ジャスコならまだやってるから連れてって!」と言った。

「お菓子だあ?」
「だって遥ったらよりによってチョコペン買い忘れるんだよ!?信じられなくない!?自分が使わないからってさ!」
「うっさいなあ」

兄を置き去りにして憤慨する飛鳥の声はキッチンまで届いたようで、怒った顔までそっくりの遥がひょこっと顔を出した。

「そんなに言うなら自分でかごに入れればよかったでしょ!責任転嫁ってゆーんだよ、そういうの!」
「飛鳥は粉類探しに行くから、忘れないで入れといてねって頼んだじゃん!責任感ないのはそっちでしょー!」
「知らないよ、そもそも遥はチョコペンなんて使わないしー」
「何よう遥の自己中!わがまま女!」
「あーもーうるさい!いきなりケンカ始めんな!」

一喝するとそろって口をへの字にする妹たちを見下ろし、花井は溜め息をつく。
気の立っている妹たちを相手に、筋道立てて説明しろと言ったって聞きやしない。
それがわかっているから、花井は玄関に荷物を下ろし、「飛鳥」と声をかける。
女ってほんとメンドクサイと思いながら。

「早くしろ。ジャスコ閉まっちまうぞ」



最寄りの夜11時まで営業しているスーパーへ向かう道中、花井はようやく、チョコペンなるものの使い道およびそれが必要だった理由を聞き出した。

「明日、飛鳥と遥の好きな人の誕生日なのね。だからお菓子作ってプレゼントするの」

はあまたか、と花井は黙って思った。
このマセガキたちは、このあいだのバレンタイン前にもそんなことを言って、大騒ぎしながらハート形のチョコレートを作ってやしなかったか。
相手はサッカー部のハシモトくんだか、英語塾のタニムラくんだか知らないが。
そんなことを思い出して、はたと気づく。

「は?なんだ今度は同じ相手なわけ?」
「そーなの!だから遥もあんなにいじわるなんだよ!」

自分が作るのはマフィンでチョコペンを使わないからって!
飛鳥が憤りを思い出したようにぐっと拳を固めた。
その隣で花井はげんなりと肩を落とす。
今度はどこのナントカくんだか知らないが、ただでさえやかましい双子にドロドロの女の闘いを繰り広げられた日にゃあ、被害を受けるのは主に自分なのだ。
たとえば今、部活でへとへとに疲れた体を引きずるようにしながら、妹の希望通り夜道をスーパーまでついていってやらなければいけなかったり。
(ちなみに、花井は幼い妹たちの移り気さもミーハーさも知っているから、どちらの恋が実ろうが散ろうが気にしたりしない。多少、2人の将来を憂えたりはしているけれど。)

「だからって俺まで巻き込むなよなあ」

にーちゃんだって疲れてんだから。

ぐったりとした兄の声音を聞いて、飛鳥が黙り込む。
かと思うと、いきなり花井の片腕に、甘えるように両腕を絡めてきた。

「ごめんね、お兄ちゃん」
「いーからくっつくな」

わかりやすく機嫌を取ろうとする妹の将来がやっぱり末恐ろしく、花井は冷たく言ったけれど、飛鳥は兄から離れなかった。

「あのね、今度の飛鳥と遥の好きな人、すーっごくかっこいいんだよ」
「へーえ」
「今まででいちばんかっこいいかも」

兄の無関心な適当な返事にもめげず、飛鳥はなにやら楽しそうに言葉を続けた。

「頭もいいしね、スポーツもできるしね、頼りになるしね」
「ふーん」

花井はやっぱり右から左へと聞き流した。
妹たちが好きになる人というのはいつもそうなのだ、かっこよくて頭がよくてスポーツができて性格もいい。
どうやらそれは好きになっている最中だけ、ということもよくわかっている。

飛鳥は兄の不機嫌そうな横顔を見上げて、にっこり笑った。

「それに、すーっごくやさしいしね」

明日が自分の誕生日だってことを忘れちゃうような、マヌケなところもあるんだけど。
それは声に出さず、兄の力強い腕に抱きついたまま夜道を歩いた。