◆水谷家、とある日の夜



夏の長い日が、ゆっくりと暮れようとしている。

ひまわりよりも優しい黄色のワンピースを着た少女の横顔を見つめる。
顔のつくりにはまだまだ幼さが残っているのに、唇を噛みしめたその表情には、 年に似合わない「苦渋」とでも呼びたいようなものが浮かんでいた。

『前のときもそうだったの』
『ちょっと伸ばすだけだ、風邪みたいなものだからって』

少女の声が震え、横顔がゆがむ。

『おばあちゃん、お母さん死んじゃったらどうしよう』
『サツキちゃん      
『だって、お母さん……』

張り詰めた糸が切れたように、少女が顔をくしゃくしゃにして、声を上げて泣き出した。



ほとんど同時に、画面がゆらゆら揺らぐ。

      あー、やっぱりここで泣いちゃうなあ

折れそうに細い体を老婆に預けて泣きじゃくる少女を見ながら、指先で涙をぬぐって母は思った。

いつの間にか自分の娘よりもずっと年下になってしまったサツキちゃんが、 しっかり者のお姉ちゃんの顔ができなくなってしまう、この瞬間にいつも胸が熱くなるのだ。
昼間のメイちゃんに負けず劣らずおおっぴらにしゃくりを上げるさつきちゃんの姿に、 ああ、いつもは不安な気持ちを我慢していたんだなあ、と今更ながらに思って。

老婆になだめられている姉の姿を遠くから眺め、やはり幼い顔を決意に固くこわばらせて、 ピンク色のワンピースを着たメイちゃんがすっくと立ち上がり駆け出したところでコマーシャルになった。



シリアスな場面とは打って変わった、明るい色彩とにぎやかな音にほっと息をつく。
いっしょに観ている息子に泣いているだなんて気づかれたら、「年寄りは涙腺がゆるいんだから」なんて悪口を言われるので、 母は音を立てないように鼻をすすり、そっとティッシュの箱に手を伸ばした。

が、そのとき、ラグマットにごろんと寝転がっている息子のほうから、ずずっという音がした。
「え?」と母は思う。
座っていたソファからやっぱりそっと立ち上がり、恐る恐る息子の顔を覗き込んだ。

「文貴?」
「わっ、ちょっと、なにっ」

息子はびくっと肩を揺らして、慌てて顔を拭ったがもう遅い。
母はたった今、いっぱいに涙が浮かんだ息子の目を目撃してしまったのだから。

「やだ、泣いてんの?」
「んなわけねーじゃん!」
「うっそだー、泣いてたんだー。目ぇ赤いし」
「……っそっちだって鼻赤いし!」

照れくさいのだろう、息子はぷいと横を向いてしまった。
母はそんな様子がおかしくてたまらない。

「黙って観てるから寝ちゃったのかと思ったー。泣いてたんだー」
「だっから泣いてねーってば!」
「でもうるうるきてたでしょ?」

息子はぐっと黙り込んだあと、やがて降参したようにぼそりと小さく「……ちょっとだけ」と答えた。
大変に不服そうだ。

「ねー、泣けるよねー、トトロ」
「んーなんか、昔はそんな思わなかったんだけどさ、なんつーか、サツキちゃんがいじらしくってさあ」
「そーかぁ、文貴もサツキちゃんをいじらしく思えるほど大人になったわけかー」

茶化して言ったが、少しだけ寂しいような気もする。

昔はおもしろがって観るのはおばあちゃんの畑できゅうりを丸かじりするあたりまでで、ストーリーが山場になると眠たがっていたのに。
3匹のトトロとメイちゃんサツキちゃんといっしょに、テレビの前で「大きくなあれ」の体操(?)をしていた、
小さな男の子だったのが昨日のことのようなのに。
今は彼も、サツキちゃんよりずっと年上の高校生になってしまい、甲子園を目指したりなんかしている。

      私も年をとるわけだ
母はこっそりと、複雑な気持ちと溜め息を押し殺した。