◆水谷家、母の誕生日
「たっだいまー」
そのあとに「さーむいっ」という声が続く。
ホットカーペットを敷きこたつ布団を出して、冬用のコートや小物をクローゼットの奥からおろし、
夕飯のメニューには体が温まるものを、と考えるような季節になってから、息子のお決まりの帰宅のあいさつになっている。
ぱたんとドアが開いて寒さに鼻を赤くした息子がリビングに入ってきた。
「おかえりー」
「あー、さみかった。夕飯まだ?」
「うん、お姉ちゃんは帰ってるけど、お父さんまだだから。もう帰ると思うけどねー」
「ケーキ買ってくるって?」
息子の目はきらきらと輝いている。
きっと朝からそれを楽しみにしていたのだろう。
いったい誰の誕生日なのやらと思って母は苦笑いを浮かべた。
「さーあ、どうだろうね?」
「イヤ買ってくるでしょ。あのヒト毎年絶対買ってくるじゃん。もーめでたいって年でもないのにさー」
いったいいくつまでやる気ですかねー。
マフラーをほどいてかばんをごそごそと漁りながら、息子はそんな生意気なことを言った。
「ケーキがないと文貴がすねるからでしょー」
「え、俺じゃないでしょ、忘れられてスネるのは自分じゃん」
「そんなことありませんー。今だって別に、文貴からプレゼントもらえなくたってすねてないでしょ?」
ちょっと嫌味っぽく言ってみる。
すると息子は「ホラすねてんじゃん」となんだかおかしそうに笑って、かばんの中からお弁当の包みを取り出した。
「じゃーハイ、誕生日おめでとー」
「ハイハイ、ありがとー」
調子を合わせて受け取ってから「あれ」と思う。
渡されたのが空になった弁当箱だけじゃなかったからだ。
隠れて見えなかったけれど、薄い四角いオレンジ色の包みが弁当箱の下敷きになっていた。
「え、なにこれ!」
「だーから。オメデトーって言ったじゃん」
「え、もしかしてプレゼント!?文貴から!?」
ええー、と大げさに声を上げて見せる。
すると息子は照れくさくなったらしく、そそくさと荷物を手に取った。
「そーだよ、またひとつオバサンになったお祝い」
俺フロ行くからねと言ったかと思うと、ばたばたとリビングを出て行ってしまった。
きちんとドアを閉めていかなかったので、廊下の冷たい空気が隙間から忍び入ってくる。
いつもなら「ちゃんと閉めなさい」と注意するところだが、今日は大目に見ることにした。
毎年気の利く上の娘との連名でプレゼントをもらっていたから、息子1人からのプレゼントは初めてではないだろうか。
なんだろ、と思いながら包装を解いてみると、プラスチックのケースに入ったCDが出てきた。
ちょっと前、いっしょに見ていたテレビの合間にコマーシャルで流れていたCDだ。
わ、アルバム出るんだ
あ、ホントだ。これ聴きたいなー
ねー買おうよ
えー、お母さんが?文貴がレンタルしてきてくれればすむでしょー
えーケチー
そんな会話を交わした。
彼も覚えていたのだろうか。
どうせすぐに「このCD貸してねー」と言ってきて、うやむやのままに息子のCDラックの住人になってしまうのだろうけど。
まあ、いっか。
そう思って笑ったとき、玄関のドアが開く音と「ただいま」という声が聞こえた。
「おかえりなさーい」
「はい、ケーキ」
「……ホントに買ってきたね」
「え?」
「なんでもない。ありがとうございます」
当たり前のように差し出された大きなケーキの箱を受け取って笑う。
正真正銘、今日は自分の誕生日、らしい。
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