◆沖くんバースデイ



終業式が終わってホームルームで通知表が渡されて、晴れて夏休みとなったがいまいち実感が沸かない。
1学期が終わったという安堵や解放感よりも、4回戦を明日に控えて、 ここからという気持ちのほうが強い気が、花井はしている。
ところが本日の昼食場所に選ばれた9組の教室で、弁当組として残っているのは、 そんな盛り上がりを感じてるのかどうかよくわからない面々      三橋と田島、水谷と沖と阿部だ。
阿部以外の4人は成績の話をしているし(「俺この調子だとちゃんとシンキューできそー」と喜んでいる四番の声は、頭が痛くなるので無視した)、 阿部はデータ用のノートとにらめっこしてはいるものの、いつもの無表情と変わりはない。

そのうちに廊下に足音と人声がして、コンビニ組ががやがやと帰ってきた。

「あ、やっと来たー!」

脳内ホルモンの鍛錬は今も続行中だったので、あの恥ずかしい食前のあいさつをするために、全員そろうのを待っていたのだ。
えさを前に「待て」を命ぜられた犬のごとく田島が真っ先に吠えた。

「おっせーよ!腹減って死にそー!」
「ごめんごめんー」
「そんだけ叫ぶ元気があれば死なねーよ」

謝ったのは栄口で、ふたぶてしい返事をしたのは泉だ。
ばらばらと適当な円を描いて席に着き、めいめいの昼食を広げると、9つの視線が一斉に花井を射る。
この急かすような目線にもそろそろ慣れたので、「おーし、んじゃいくぞ」と花井が息を吸い込んだときだ。

「え、つーか、なんかデザート率高くね?」

花井が、まさに「うまそう」の「う」を発音しかけていた瞬間だった。
頓狂な声を上げたのは水谷だった。
思わず花井がにらむのも気づかず、水谷の目はコンビニ組のメニューを見つめている。

「なんで今日みんなそんなゴーカなの?」
「あーコレは」

ちょっと口ごもった西広の手元には、
確かにバームクーヘン(100円以上するし腹にもたまらないので、帰り道のコンビニではまず誰も手に取らないやつだ)があるし、 視線を移していくと、巣山のおにぎりの横にはミニサイズのプリングルズ、 栄口の烏龍茶の隣にはみたらし団子(3本入りのパック)、泉のサンドイッチの前にはフランが置かれている。
大会中で親が気を使ってくれるにしても、全員が全員デザートを買うのは妙だ。
そんな居残り組の疑問を、西広が軽やかに解消してくれた。

「沖にプレゼント」
「……へ?」

話題の真ん中に引っ張り出されるとは、きっと1ミリグラムも予想していなかったのだろう。
1年9組の教室にこぼれた沖の声は相当間抜けだった。
公式戦の直前に、四番打者に指名されでもしたらこういう顔をするのかもしれない、というような表情に沖はなった。

するとコンビニ組がほとんど同時に、にいっと笑った。
まるっきりいたずらっ子の顔で。

「沖、今日誕生日なんだろ?」
「えっ、そーなん!?」

泉が珍しく毒気も冷気も含まない笑い顔で言うと、田島が大きな声を上げた。
一斉に9人分の視線を浴びて、花井と違ってそれに慣れていないせいか、 沖はまるで全員から悪事を糾弾されているような慌てた顔になった。

「え、や、そーだけどっ」
「えー、なんだよー早く言えよー」
「水臭いよなあ、俺らだって西広が教えてくんなきゃ知らなかったよ」

水谷に同意し、「だからお祝い」と言いながら、栄口が団子を沖に差し出す。
それを封切りに、コンビニ組から次々にプレゼントという名のお菓子類が、当惑顔の沖に手渡された。

「え、じゃあ、待って、ちょい待って」

あたふたとかばんの中を探ったが今日は手持ちの菓子がなかったらしく、考えた末、 最終的に水谷が「はいっ、沖にプレゼントっ」と掲げたのは、 弁当箱の隣に並べられていた小さいタッパーの中身だった。

「あ、ありがと……」
「って水谷なんだソレ!」
「何ってうさぎさんリンゴー」

巣山の信じ難いと言わんばかりの言葉に、水谷が間延びした声で答える。
水谷が沖の弁当箱のふたの上に置いたのは、 つまようじが刺さったりんごで、それには赤い皮が耳の形に残してあった。
どこからどう見ても水谷の言うところの「うさぎさんリンゴ」で、沖はやっぱり当惑顔で礼を言ったが、 そこでやっとひたすらに申し訳なさそうだった表情がほころんだ。

「水谷んちのリンゴっていつもこの形なの?」
「いつもってわけじゃないけど、まーだいたいそーかな」
「お前……よくそんなの恥ずかしげもなく持ってこれんな」
「しょーがないじゃん、学校来てフタ開けたらこーゆー形に切られてんだもん」

水谷の弁当に初めてそれが入っているのを目撃したときの花井とまったく同じ反応を巣山が示し、 水谷は達観した調子で答えた。
一応水谷なりに抗議は試みたらしいが、「いーじゃない、かわいいんだしー」と返答され、のれんに腕押しを悟ったらしい。

「まーでも水谷んトコならアリじゃね?ウチのババアならアウトだけどな」

かわいーからなキヨエ、と泉が悪びれずに言う。

「ちょっと泉、人んちの親呼び捨てにするってどーなの!」
「てーかさ」

水谷の高くなりかけた声を、阿部が平淡にさえぎる。

「あ?」
「お前らはソレでいーとして、俺らはどーすればいーわけ?」

俺の弁当にうさぎリンゴなんてねーぞ、と阿部が真顔で言う。
オメーの弁当にうさぎリンゴ入っててもアウトだよ、という泉のつっこみはさておき、 確かに花井の弁当にだってプレゼントになりそうなものなんて入っていないし、 三橋もそうらしく、さっきからひとりで青くなっていた。

「え、ていうかいいよ、そんな気ぃ使ってくんなくても……」
「あ、わかった!!」

沖の遠慮の言葉を途切れさせたのは、田島の何度目かの大声だった。

「沖!!」
「え、はいっ?」

そんなでかい声を出す必要があるのかと言いたくなるような声で名前を呼ばれて、思わずのように沖がかしこまる。
田島は窓の外、七月下旬の太陽にも負けない輝くばかりの笑顔で言い放った。

「俺、明日の試合で沖のために打つわ!!」
「……へ」
「はあ!?」

相変わらず予測不能の軌道をもつ変化球のような田島の思考回路に、その場にいる全員が疑問の声を上げた。
      全員、のはずだった。

「あ、なるほど、ソレいーな」

四番に同意した変化球野郎がいた。
普段は変化球を受けるのが役目の、捕手の声だった。

「だろー?」

田島ナイス、と阿部にほめられて、誇らしそうに笑う。
ぽかんとしたほかのメンバーなど置き去りだ。

「俺明日沖のために打つから!それがプレゼントな!!」
「え……」
「俺も沖のために打つわ」

田島は笑顔のまんまだし、阿部は真剣そのものの真顔だった。
その2人に見つめられて沖は引きつった顔をしている。

どう打開しようこの展開。
花井がそう悩んだとき、笑い声が弾けた。

「ちょっとちょっと、田島も阿部も、何そのカレシ発言!」
「そーだよ、そーゆーことはカノジョに言いなよ」

水谷と栄口が爆笑し、
「ちょっとカッコよかったよね」「そーか?」というやりとりを交わしている西広と巣山の横で、 「つーかフツーに帰りのコンビニで何か買えよ」と泉が心底あきれたという顔でぼやいた。
三橋は青ざめたまま、笑い声に隠れるような小さい声を振り絞っていた。

「お、おれ、たぶん打てない、から、帰り、コンビニ……っ」
「あ、あー、いいって三橋、ありがとな」

三橋のすぐ脇にいた沖にはちゃんと三橋の声が聞こえていたらしく、笑ってそう答えている。
花井はなんだかすごく疲れたような気分で三橋に便乗した。

「じゃー俺も帰り、コンビニでっつーことで」
「え、あ、うん、ありがと花井」
「ええーなんだよキャプテン、言ってよ、『俺も沖のために打つよ』って」
「言うか!!」

茶々を入れてきた水谷に怒鳴り返すと、またどっと笑い声が上がる。
それでもその笑い声にちゃんと沖も参加していたから、まあいいかと、思うことにした。

「おら、さっさと食うぞ!休み時間減るだろ!」
「あー花井待って、その前にいつもの!!」

田島がまたしても大声を上げた。
沖のほうを見て意味ありげに笑っていたので、 田島の「いつもの」という言葉が「うまそう!」を示すわけではないと花井にもわかった。
アレをまたやるのかと思うと花井はちょっとげんなりしたが、進行を田島に譲ることに異論はなかった。

「いっちゃいますか?」

わくわくした目で水谷が言って、田島が「おう!」と答える。
全員が全員心得顔で、沖は困ったように照れたように笑っていた。

田島がオーケストラの指揮者よろしく両手を振り上げて、「せーのお!」と合図をする。
夏休みが始まったばかりの閑散とした校舎に、やや調子っぱずれのバースデイソングが元気よく響いた。