星が降った日
意外だよなあと言う声が、横から聞こえた。
サッカーの試合中のやつらをぼけーっと眺めていた阿部にもその声は聞こえたらしく、俺を挟んで座っている浜田のほうを見た。
水谷と9組の3人は今試合中だ。
朝練のあとだというのに田島は元気だ。
しかもサッカーもうまいし。
サッカー部のやつとコンビを組んで攻めまくってるおかげで、9組エンドはさっきから閑散としている。
(7組ゴールの付近では、「田島てめーいい加減にしろよ!」という水谷のわめき声が響いている。)
泉はゲームが始まった瞬間にディフェンスの位置に行ってキーパーのやつとくっちゃべってるし、
阿部に「人がいるとこ寄ってくな」と言われた三橋は(体育くらい好きに受けさせてやれ、と思わないでもない)、
泉のそばで会話に参加するでもなく突っ立っている。
前線の田島の活躍を見守っているらしい。
うるさいやつらがまとめていないので、俺と阿部と浜田はグラウンドに座り込んで、しゃべるでもなくぼーっと試合を観ていた。
朝練が効いて眠くなってきたところで、不意に浜田が声を出したんだ。
「なにが?」
阿部が聞き返す。
さっきの部室からの流れ上、そんなの聞かなくたってわかってそうなもんなのに。
浜田を見る阿部の顔はいたってフツーだ。
浜田もとまどったらしい。
「え、いや……阿部にカノジョできたって話?」
「あー」
またソレかよ。
ふっと息を吐き出しながら言って、阿部はあぐらの上にほおづえをつく。
「いや、なんか勝手に、そーゆーの興味ねぇのかなーって思ってたから。阿部って野球一筋じゃん?」
なんだか言い訳がましく浜田が言う。
阿部のしかめ面は威圧感があるから、ほんとは1コ年上らしい浜田もちょっとびびってたりすんのかもしれない。
「そーか?フツーじゃね?」
「いや……フツーじゃないと思うけど」
本人自覚なしの野球馬鹿だから怖い。
阿部の「フツー」の基準はいつも自分なんだ。
だから自分の野球好きが、世間一般の「フツー」と比べてどれだけすげぇのかをわかってない。
「……ていうかさ、お前昨日と日直だったよな?」
「あー」
「それでそーゆーことになったの?」
「あー。まぁ」
「うっわ、セイシュンだなぁおい」
若いっていーねぇ、と浜田が笑う。
浜田は笑うけど。
俺は正直、いまいちピンとこないというか、実感が理解に追いついてないってーか。
阿部とが会話してるところを、俺は一度も見たことがない。と思う。
というか、俺もそうだけど阿部も、用事があるとき以外でクラスの女子としゃべったりしない。
篠岡とだって、部の用事のことでしか話さねーぞ?
そんな阿部にカノジョができたとか言われたら、そりゃ水谷じゃなくても驚く。
しかもあんな臆面もなく。
相手がっていうのもビックリだ。
しゃべったことないからよく知らねぇけど、アレはかなりおとなしい部類だと思う。
席が隣の水谷は結構話すみたいだけど、水谷は女子でも男子でも誰とでも仲いーし。
みたいな女子って、教室の阿部みたいな無愛想でとっつきにくいやつに対してはすげーびびるもんなのかと思ってた。
どっちから告ったんだろ
水谷じゃねーけど、それは俺もちょっと知りたい。
阿部から……とは考えづらいけど、からっていうのもさっぱり想像がつかない。
聞いてみたいけどなんだかそれも無粋なような気がして黙っていると、俺の心を読んだみたいに浜田が言ってちょっとびびる。
「え。阿部が告ったの?」
「いや?」
「え、じゃあが!?」
「おー」
驚いて思わず声を上げてしまった。
それなのに阿部は相変わらずフツーに返事を返してきて。
ほんっと、マイペースっつうかなんていうか。
それにしてもが告ったのか。
マジでビックリだ。
あんなおとなしそーなのに。
意外と度胸あんのかな。
オンナってほんとわかんねぇ。
スゲーじゃん、と浜田が感心したような声を出した。
「阿部ってもてるんだなあ」
「浜田はもてねーの?」
「……は」
「なんかもてそーな感じすっけど」
ものすごい素で阿部は言った。
言われた浜田のほうが、一拍置いて照れる。
「……え、なにソレ、ほめてくれてんの?」
「別にほめてねーけど。ただそんな感じだなって思ったから」
「っや、別に、俺はもてねーよ?」
あたふたしながら浜田が言うと、阿部は「ふーん」と言って視線をグラウンドに戻した。
取り残された浜田が「え?今のはなに?」って顔をして俺を見た。
あーそうだ、思い出した
そういや阿部ってこういうやつだった。
野球部の初顔合わせの日、グラウンドで、三橋に向かって投手として充分ミリョクテキだとか、
俺たちに向かって甲子園に行けるとか、顔色ひとつ変えず大真面目に言い放ったことを思い出す。
ほんとに思ってたってシラフで言えねーよそんなこと!!
と、あの場にいた全員(たぶん田島以外)がそうつっこんだと思う。
でも阿部の基準は自分だから、自分が思ったことを「フツー」だと思ってるから、それを口に出しても照れたりしないんだ。
なんかそう考えると、朝の(つーか水谷)とのやりとりにも納得がいった。
「……でも阿部さあ」
気を取り直したらしい浜田がまた阿部に話しかけた。
「あ?」
「こんな時期にいーの?」
「は?」
「あ、別に説教するつもりとかはないから誤解すんなよ?」
そんなふうに前置きをされて阿部は首をかしげた。
俺もなんとなく浜田の顔を凝視してしまう。
「いや、今夏大前じゃん?」
「それがなに?」
「で、お前らほんっと休みないじゃん。練習量マジすげーじゃん」
「……そーか?」
阿部が俺に向かって言った。
ほらこういうセリフ。
確かに、一回戦の相手が桐青に決まってから、ウチの練習量はぐんと増えた。
量だけじゃなくて内容もすげえ濃いと思っている。
ほんと、毎日の練習のあとの充実感がすげぇんだ。
ドーパミン出まくり。
桐青に勝てる!とはさすがに言い切れなくても、
「勝ちたい!」と胸を張って言えるくらいの練習はこなしていると思う。
でも阿部にしてみればそれも「フツー」なんだ。
去年の優勝校を相手に勝とうとしてんだから、このくらいの練習は「フツー」だって。
阿部の目はそう言っているようで、俺は思わず視線をそらしてしまう。
今やってることは勝つためには必要なことだとは思うけど、「フツー」だとは、ちょっと悔しいけど俺には言えない。
「あー……。半端じゃねぇとは思うけど」
「いやほんとスゲエって!」
「ふーん……。で、それで?」
「あー。だからさぁ。カノジョにかまってる暇なんて、ないじゃん?」
勘違いすんなよ、と、浜田が黙って聞いてる阿部に言い募る。
「俺は阿部が野球オロソカにすんじゃないかとか、そんな心配はぜんっぜんしてねぇよ?そりゃもーこれっぽっちも!」
「あー。そんな心配されても困るけど」
あっさりと阿部が言う。
そーだよな、阿部だもん。
俺だってそんなこと考えもしなかった。
だって、カノジョにかまけて野球できなくなる阿部とか、想像しただけで気持ち悪い。
「でもさ、相手のほーはそうはいかねんじゃねぇの?って言いたいんだよ、俺は」
「相手?」
阿部が聞き返すと、「だってさ」と浜田の声がちょっとでかくなる。
「向こうから告ってきたわけだろ?デートとかフツーに期待されてると思うよ?」
「……そーなの?」
「そーだよ。当たり前じゃん、オンナなんてみんなそーゆーもんなんだから!」
なんか、えらく熱入ってないか、浜田
実体験か?なんて考えがちらりと頭をよぎる。
「でも阿部にはそんな暇ない。もちろん野球を優先させる。
はじめはカノジョも我慢してくれるよ?応援もしてくれるだろーし。
でもそれが続くとこーくるわけよ、ハマちゃんは私より野球のほうが大事なんでしょ!って!」
あ、やっぱ体験談なんだ
俺が思ったのと同じタイミングで、「浜田はそーやって言われたんだ?」と阿部が言った。
浜田がはっとする。
遅いって。
「え、あ、いや!これは例えだから!あくまで!」
「例えねぇ」
阿部が薄笑いを浮かべる。
試合中に相手にこーゆー顔されるとムカツクんだろうな。
阿部のいるチームとなんて絶対対戦したくねぇと、1回痛い目見た俺は心底思う。
「いやっ、だからさっ、阿部もそーなるんじゃないかって心配してんの、俺は!」
「そりゃどーも」
阿部の礼は、当然のように棒読みだ。
完敗の形の浜田はぐっと言葉を呑み込んで、その代わりに溜め息をついた。
げんなりとしながら続ける。
「……まー年寄りのおせっかいだと思って流しゃいいけどさぁ。
実際そーなったら結構キビシイよ?憎からず思ってる子ならよけーに」
どーでもいい子ならいいけどさ、と言って、浜田はちらりと阿部を見る。
「告られてオーケー出したからには、どーでもいいってわけじゃないんだろ?」
「……そりゃ、まあ」
浜田に見られて、阿部はついと視線をそらす。
うわ、コレ照れてんのか?
それとも考えてるだけ?
照れてるんだったらおもしろいのに、と俺は期待したけど、結局考えていただけだったらしい。
阿部はすぐに浜田に視線を戻した。
「つーかさ、浜田のソレの結論はなに?」
「へ?ケツロンー?」
「付き合うのやめろって言ってんの?」
「え、やっ、ちげーよ!?ちょっと心配だったから言っただけだって。
ホラ、阿部ってなんか、責任感強そーだし。そーゆーことになったらキツイんだろーなと思って」
「……ふーん。そっか」
阿部はなんだかすごく納得したようにうなずくと、そのついでみたいに「ありがと」と言った。
うわ、今度は普通に礼言ったぞコイツ……
俺はちらっと浜田のほうを見てみた。
やっぱりというか、固まって阿部の横顔を見ている。
「や、えと……ドウイタシマシテ」
絶句した浜田が声を取り戻すしたところで、笛が鳴った。
試合が終わったらしい。
「あー。交代か」
かったり。
そう言って阿部が立ち上がって、俺と浜田もあとに続いた。
「うおーい!勝ったぞー!」
田島がフットワーク軽く走って近づいてくる。
そのあとから重い足取りで、とぼとぼと水谷が歩いてきた(対照的だ)。
「お前らも負けんなよー!」
「あー、はいはい」
田島はやたらにでかい声で言いながら浜田の背中をたたいた。
痛そうだ。
「もーやだ、田島ってナニ!?」
痛い目を見たらしい水谷が情けない声を出して泣きついてくる。
「カタキとってよ阿部花井ー。ハットトリック決めてきてー」
「できるかそんなん」
「つーか俺キーパーやるし」
「えー阿部さぼんなよ!」
「さぼんねーよ。キャッチすりゃいーんだろ、本業だもん」
「そりゃそーだけどさ!」
わめく水谷を放置して、センターライン近くにいるクラスメイトたちに「俺ら後ろやっから」と声をかけてから、
俺と阿部はゴールに向かってたらたらと歩いた。
俺もそんな走り回りたくねーし、後ろ守っとこうと思って。
(幸いなことに同じチームにサッカー部のやつが3人いるから、そう出番もないだろう。)
それに正直、もうちょっとだけ好奇心がうずいていた。
「阿部」
「あ?」
「今の浜田の話、だけど」
「あー」
聞きにくいと思ってるこっちにしてみればムカツクくらいに、阿部は平静に「なに」と言ってきたから、
遠慮するのも馬鹿らしく思えて、「付き合うのやめんの?」と聞いた。
阿部はちょっと考えるように「あー……」とうなって、それから「確認してみっかな」と言った。
「確認て……に?」
「ほかに誰がいんだよ」
「いやそらそーだけど……。お前自身はどーなわけ」
「どーって?」
「いや……だから、付き合うのやめたいかどうか、っていうか……」
「別に俺はやめる気ねーけど」
ほかのやつにとられたらヤだし。
思わず立ち止まってしまった。
阿部はそれにも気づかずに普通に歩いていくから、今のもマジで素なんだろう。
今のセリフが、俺にすればどんだけ衝撃的なもんなのかも、まったくわかってないんだろう。
やだし、って!!
え、それって結局、阿部ものことスキってことだよな!?
マジ!?
いつから!?
てゆーかなんで!?
つーか、それより何より阿部のアタマに野球以外のことってちゃんと入ってたのか!?
いや、そら入ってんだろーけど!
でもビビるって!
つか、なんで俺がこんな動揺しなきゃなんねーんだよ!
当の本人は平然としてゴールの前に突っ立っているっていうのに。
なんでウチの部にはこんな天然がそろってるんだよ。
部員10人しかいねーのに率高すぎだろ!
「花井ー!さぼんなよー!」
馬鹿でかい声がグラウンドに響く。
まぎれもなく野球部の天然筆頭の声だ。
頭を抱えたい。
「うっせえ!」
怒鳴り返して、結局増えてしまった阿部への疑問をとりあえずしまい込んだ。
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