星が降った日





体育の授業が終わって更衣室から教室に戻ると、阿部くんはまだいなくて私はほっとした。



阿部くんに、話しかけなきゃ。

席に着いて考える。
この課題が私のうえにずっしりと重くのしかかっていた。
ほんとに、つぶれてしまいそう……。

でもちゃんに言われたように、私は自分の気持ちを押しつけただけで阿部くんのことなんて考えてなかったから。
それじゃいけないと思うから、ちゃんと話をしなきゃ。

      って、思いはするんだけど。
実際話しかけるとなると。

……大丈夫かな。
ちゃんと話せるのかな。
ていうか、昨日の日直のときもそうだったけど、私って、阿部くんの前できちんとした文章しゃべれてない気が……。



「ねーなんでそっちのチームにサッカー部かたまってんの!?ずるくない!?」

廊下から聞き覚えのある声がして、私は反射的に背筋を伸ばした。
水谷くんの声だ。
それと、だんだん近づいてくる足音。
と、いうことは      

「しゃあねえだろ、出席番号で分けたんだから」
「キントーにするべきじゃん!」
「知るか、そんなことまで俺にゆーな!」

先に入ってきたのは花井くんと水谷くんだった。
何か言い合いをしていた2人と、はたと目が合ってしまって慌てる。
2人がほとんど同時に振り返って、そこに阿部くんがいて、私はもっと慌てて顔をそらして前を向いた。



これはほんとに、条件反射だ。

同じクラスになって同じ教室で授業を受けてれば、阿部くんを見る機会も増えた。
でもそれはいつも盗み見、みたいなもので。
目が合うことなんて絶対なかったけど、見つめていた阿部くんがちょっとでも動きそうになると、私は慌てて目をそらした。

だって、見ていたことが阿部くんにばれて、
なんだあいつジロジロ見やがって、とか、気持ち悪い、とか、そんなふうに思われたら、死にたくなるもん。
実際こっそり試合とか観に行ってストーカーっぽいけど、ほんとにストーカーとか思われたら生きていけないもん!



だから条件反射、なんだけど。
今はそうじゃないでしょ私のバカ!

      話しかけなきゃいけないのに……!

気持ちばかりが焦って、でも椅子から立ち上がることもできない。
私はどうにかして落ち着こうとして、必死にちゃんの言葉を思い出した。

大丈夫、阿部くんはモノズキだし!(たぶん)
ちゃんと話せば、気持ち悪いとか思われない……はず。

よし、振り向こう!
と、心を決めたとき、真正面から「」と呼ばれて心臓が止まりかけた。

      っ!?」
「……お前さ、なんで俺が声かけるたびそんな驚くわけ?」

机の前に立った阿部くんがあきれた顔をしている。
だ、だって、今のは思わぬ方向から声がしてびっくりしたから!

「なんか用?」
「……え?」
「いや、見てたじゃん、今。なんか用あんのかと思って」
「……!!」

ど、どうしよう……!!
確かに見てたけど、阿部くんのほう見てたけど、やっぱり変だって思うよねそんなの。
どうしよう。
気持ち悪いって思われたのかな      

「なんもねぇの?」
「あ……あの!」

そうだ、用があればいいんだ!
とひらめいたので、私はその拍子に顔を上げた。

「なに?」
      え、あ」

阿部くんにちょっと首をかしげられて、私はまたしても凍結する。

用って。
いえ、確かに、用はあるんですが。

      今聞くの?

ほんとに私のこと彼女にしてくれるの?って?
なんで私なんかを彼女にしてくれるの?って、今、この場で聞くの?

      無理!

「あ、え、っと……」

阿部くんの視線を感じるので、早く聞かなきゃ、と思うのに、考えれば考えるほど、どう聞けばいいかわからなくなっていく。

「え、と、その、きっ、聞きたいことが……」

ある、んです、が。

あるんですが、いったいどう聞けば!
そこはもちろん声に出さずに、私の言葉はすぼんで消えていく。

ああもう私の臆病者!
でもほんと、どうやったらこの口にしにくい質問が声になるのか、誰か教えて……!



「あー。じゃあさ」

どうしようどうしようがぐるぐると飛び回っている私の頭に、簡単な声が落ちてきた。

「俺も話あるからさ。昼休みにしねえ?」
「え……?」
「あ、なんか用事ある?」

話?
阿部くんが?私に?
      なんの、お話?

「用事あんならまた別んときでもいーけど。都合わりぃ?」

はてなを重ねられて、思わず首を横に振った。

そうしたら阿部くんが眉をひそめて「またソレかよ」と小さくつぶやいて、ソレというのがこの、首を縦に振る横に振るの動作だということに気づく。

「な、ないっ」

やっぱりひっくり返りそうな声で答えると、阿部くんは「やっと学習したか」とちょっと肩を落とす。

どうしようあきれられた!?
バカなやつって思われた!?

「ご、ごめんなさい……!」
「まーいいけど」

じゃー昼にな。
そう言って、阿部くんは自分の席へ戻っていった。



「ねーねーさん」

水谷くんが、なんだか待ちかまえていたように話しかけてくる。

「どっちから告ったの?まさか阿部?
びっくりしたよー。阿部ってば野球しかキョーミないんだと思ってたのにさー」

そのときちょうどチャイムが鳴って、ほぼ同時に先生が教室に入ってきた。
体育のあとに、こういう時間きっちりの先生の授業はちょっといやなんだけど、今日はちょうどよかった。

ごめんなさい水谷くん。
チャイムにさえぎられなかったとしても、私は今、まともに質問に答えられる状態じゃないみたいです。
ていうかだめだ、1時間目と同じで、3時間目も4時間目もまともに授業を受けられる気もしない。

      話って、なんの話!?







      おもしろいなあ

もちろん授業が、じゃない。
だって今古典だし。ちょー暇だし。
(あれ日本語じゃないよね絶対。何言ってるかわかんねーもん。)

俺がおもしろいなあと思ったのは、隣の席に座っているさんだ。

さっきの休み時間に阿部と話をしてから、真っ青になってみたり考え込んでみたり、机の上に広げたノートに向かって小さく溜め息をついてみたり、ひとりで忙しそーだ。

1時間目も、何回も何回も机の下で携帯を広げてそわそわしてたし。
今月のはじめの席替えで隣の席になったけど、さんが授業中にそういうことをするのは珍しい。
(と思う。少なくとも俺が起きてるときは、いつもちゃんと授業受けてるし。)



      ほんと、どっちから告ったんだろーなあ

何回聞いても阿部は答えてくれなかったから、俺はまたそれを考え出した。

意外にさんからだったりして。
だって阿部ってマジで野球のことしか考えてねーし。
休み時間までデータとかスコアとかとにらめっこして、俺が話しかけるとすーぐ怒るし(ヒドイよねー)。

そのせいでクラスのやつらからはちょっと怖がられてるっぽい。
ほかのやつらとはあんま話しないし。
いっつもむずかしー顔してるし。
ホントはいいやつなのに、阿部って損してるよなあ、と思う。

なんかそう考えてると、マジでさんが告ったのかも、って気がしてきた。

そーいえば、いつも朝あいさつするとき、やたらビクビクしてた気がする。
花井がデカイしボーズだから怖いのかなあとか思ってたけど、アレって阿部がいたからかなあ。
……そーかも。

あー、じゃあ毎朝ドキドキしてたのかなあ。
そう思うと、すげー一生懸命にあいさつしてたみたいに思えてくる。

なんか少女マンガみたい(姉ちゃんにときどき借りるの。わりとオモシロイ)。
なんつーのかな、ケナゲ?
女の子っぽいなー。
かわいいなー。



俺がそんなふうにキュンとしてると、先生が「じゃあ次のところを……」と言うのが聞こえた。

げ、ヤベ!
今どこやってんの、と思いながら、慌てて教科書のページをめくる。
せんせーお願い当てないで!

「えーと。じゃ阿部、読んで」

セーフ!
って俺が喜んでると、さんがびくっとなった。
……びくっていうか、ドキッとしたのかな。
教科書に隠れてちゃんと見えないけど、ほっぺたがちょっと赤い気がする。

「はい」

阿部が返事をして立ち上がって、教科書を読み始める。
おー、阿部授業ちゃんと聞いてたんだー。

阿部が教科書を読むのを聞きながら、またさんのほうをちらりと見る。

こっちはぜんぜん授業に集中できてないみたい。
BGMが阿部の声だからねー(すげー棒読み。まー阿部に伊勢物語をキモチ込めて読まれても困るんだけど)。
阿部は昨日の部活のときも今日もぜんぜんフツーだし、やっぱさんが告ったのかも。



そーいや同中だっけ。
そんなこと言ってたような気がする。
隣の席になってから、俺はけっこーさんと話すんだ。
さんって見かけおとなしそーだし、実際おとなしーんだけど、話しかけたらちゃんと話をしてくれる。

てゆーか意外に趣味が似てる。
音楽聴くのが好きらしくて、好きなアーティストがわりとかぶってんの。
だから話が合うんだよね。

にこにこしながら俺の話聞いてくれるとことか、いいなあって思うし。
なんつーか、聞き上手?話しやすいんだよね。
それに、俺が見たかった歌番をうっかり録画し損ねて騒いでたら、「私とってるから貸そうか?」って貸してくれたこともある。
ちょういいコじゃない!?

そんなふうにけっこう仲良しになったつもりだったんだけど、阿部のこと好きだったなんてぜんぜん気づかなかった。
中学んときからずっとスキだったのかなあ。



「はいありがと、そこまで」

先生がそう言って、阿部が席に着く。
じーっと見てると阿部はほおづえをついて小さくあくびをした。
さんはあくびどころか、なんかやけにコチコチになって教科書とおでこをくっつけてるのに。



うーん、なんかカワイソウだなあ……。

……でも阿部だもんなあ。
しょうがないよねえ。
阿部ってぜーったいオンナゴコロとかわかってないよな。

さっき話あるとか言ってたけど、大丈夫なのかなー。
阿部って口悪いもんなー。
女子と話すときもそうなのかなー。そうなんだろうなー。

阿部が用事あるとき以外で女子と話してんのって、見たことない。
しのーかとだって、部活の話しかしてねーし。
中学のときもこんなカンジだったなら(たぶんそーなんだろうけど)、さんもつらかっただろーなあと思う。

      でも、そもそもなんで阿部のことスキになったんだろ?

怖くなかったのかなあ、阿部のこと。
あーゆーふうにしゃべんなくて、いっつもブアイソな顔してる阿部しか知らないと、特に女子だとコワイとか思っちゃいそーだけど。
それともソコを逆にカッコイイって思っちゃうもんなのかな?

実際俺は、阿部ってかなりカッコイイと思う。
カオとか頭がいいとかそういうところだけじゃなくて、めちゃめちゃ野球好きなところも、スゲー野球がんばってるところも、西浦野球部のことをアイしちゃってるところも。
うん、同じ男ながら、イイ男だって思うよ。

さんがなんで阿部のことを好きになったのかはわからないけど、でもさんも、なんか阿部のいいところを見つけたんだろーなと思う。

それってなんかうれしーな。
さんが聴いてたのが、俺のお気に入りのグループのCDだったのを発見したときと同じ。
こう、仲間を見つけた気分?

さんの顔は相変わらず教科書の陰に隠れて見えないけど、俺は新しい仲間を見守った。
あーなんか俺、きっと顔がにこにこしちゃってるな。

がんばってねさん!
俺ちょー応援してる!







4時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。

鳴ってしまった。
      昼休みが、来てしまった。

こんなにも昼休みが来てほしくないって思ったことって、今までにないと思う。
いつもは3時間目くらいでお腹がすいてしまって、万が一にもお腹が鳴らないようにするのに必死なのに。
今日に限っては、お腹の虫も私といっしょに緊張してるみたいだ。
食欲なんてこれっぽっちも感じてない。



      逃げたい。
げっそりと、私は思った。

もー逃げ出してしまいたい!

阿部くんと話をした休み時間から、何度も何度もそう思った。

3時間目と4時間目の間の休み時間は、トイレに逃げ込んだ。
友達とか、水谷くんとかに根掘り葉掘り質問攻めにされるのは正直いやだったし(ごめんなさい)。
阿部くんが言った「話」っていうのがなんなのか、そればっかり考えて頭のなかがごちゃごちゃだったから。
そしてその授業2コマ分のごちゃごちゃからひとつ浮かび上がってきたのは、これだ。

やっぱり付き合うのやめる、とか、言われるのかな。

だってやっぱりよく考えてみたら、阿部くんが私と付き合ってくれるなんて、ありえないことに思えてきた。
仮に阿部くんがモノズキで、昨日は「付き合ってもいいかな」って思ってくれてたとしても、
今日の朝からずっと、私は話しかけられるたびに阿部くんをいらいらさせてばっかりだった気がする。
やっぱやめよ、と思われたって、ぜんぜん不思議じゃない。

……スゴイなあ。
なんか、成田離婚っぽい(結婚したわけじゃないけど)。
そんなことになるなら昨日、最初っから断ってくれたほうがマシだったんだけど……。





ぎくっとはしたけど、今回はいつ呼ばれるかいつ呼ばれるか身構えてたから、そこまで驚きはしなかった。
来るべきものが来たって感じで。
あきらめのようなものを感じながら顔を上げる。
机の前に阿部くんが立っていて、私の心臓はまだぜんぜん阿部くんに免疫がなくて、急に鼓動のスピードが上がる。

「屋上行くけどいい?」
「……おくじょう?」
「なんか花井がそーしろっつーからさ」

阿部くんがちょっとめんどうそうに言う。

そっか、教室で、同じクラスの人たちの前でふられちゃうよりも、屋上のほうがいいかな……。
花井くんっていい人だな。

「私はどこでも……」
「じゃー先行っといて。あ、お前弁当?」
      え?」
「俺飲みもん買いに行くから。購買ならついでに買ってくけど。なんかいる?」

……この、話題って。
      もしかして、ひょっとしたらお昼ごはんのこと、ですか?

え、ちょっと待って。
「昼休みに」って阿部くんが言ったのは、お昼ごはん食べながら話をするってこと?

それって、あの……。
      阿部くんといっしょにお昼ごはんを食べるってこと!?



大変なことに思い当たって、私は改めて慌てふためいた。

そんな!
阿部くんの前で単語を2つつなげるだけでも精一杯なのに、いっしょにごはん食べるなんて無理だよ!!

落ち着いて考えればそんなことすぐに思い当たったんだろうけど(しかも阿部くん、お弁当箱らしきものをちゃんと持ってるし!)、
でも阿部くんの話の内容ばっかりが気になっててそこまで考えられなかった……!

      どうしよう……!



「おい、聞こえてる?」

目を上げると、阿部くんが私の顔をのぞき込んでいてぎょっとした。

「っは、い!」
「んな考え込むよーな質問してねーだろ?」

阿部くんの顔が、ちょっとだけ怒ってるように見える。
ごめんなさいそのとおりです。
ちゃんと答えなきゃ、ますます嫌われちゃう。

「あ、え、お、お弁当、持ってます……」
「じゃー飲むもんは?なんかいる?」
「だ、だいじょうぶ」
「じゃー先行っといて」

そう言うと、阿部くんは後ろのドアのところで待っていた水谷くんと花井くんといっしょに教室を出て行った。
(水谷くんがにこにこと手を振ってくれた。)

      阿部くんと、お昼ごはん……

阿部くんに話しかける、よりもさらに難易度が高くなった課題に、私は本気でめまいを覚えた。