真実の口
「なー、栄口」
昼休みのことだった。
弁当を食べ終えてだらだらと雑談しているところに、クラスメイトが二人連れでやってきたのだ。
こういう声で呼ばれる栄口の名前は、同じクラス同じ部活にいるとわりとよく聞く。
そのあとに続くのは、昨日のアレ見たー、とかいう、テレビや漫画の軽い話題だったりするし、
現国のノート見せてくんね、とかいう、ちょっとした頼みごとだったりする。
「ん。なにー?」
そのたびに栄口は、今みたいに柔らかな表情で返事をする。
ものすごい人気者でもないし目立つわけでもないけれどクラスみんなから好かれる、
というやつがいることを、巣山はたぶん、初めて知った。
「ちょっと聞きたいんだけどさー」
一人がそう言ったが、語尾に何となく迷いが残っている。
付き添いらしいもう一人は何やらにやにやしているから深刻な話ではないようだが、
大声で話す類の「聞きたいこと」でもないらしい。
栄口もそれを感じ取ったらしく、「うんいーよ。なに?」と促しの言葉を口にした。
そのやんわりとした調子に励まされたようで、クラスメイトは「あのさ」と切り出した。
「4組のさ、さんっているじゃん。栄口と仲いー感じの」
という苗字に覚えはなかったけれど、栄口と仲のいい女の子、というヒントで巣山には答えがわかった。
栄口の幼なじみだというあの女の子
確かといったっけ、どうやらという苗字らしい。
前に一度栄口のところに教科書を借りに来たことがあったし、教室の移動中や掃除時間に何回かすれ違って、
必ず二言三言言葉を交わす2人を端から見ていたので、巣山も顔は覚えていた。
ちらりと栄口の表情をうかがったが、「あー。いるね」とすんなりうなずいた栄口の様子はいたって自然だった。
自然、というのは、いかにも「あー。いるね」という簡単な答えが似合う表情ということだ。
「2人、付き合ってたりすんの?」
そう聞いた顔はちょっと緊張気味だったけれど、念のため確認、みたいな口調だった。
栄口が苦笑いを浮かべる。
「しないしない。家が近くでさ、ちっさいころから仲いいってだけ」
栄口の答えにはよどみがなかった。
きっと似たような受け答えを今までにもしたことがあるんだろうと思わせる、物慣れた感じさえあった。
そんな印象を裏付けるように、「よく勘違いされるんだけどねー」と栄口は付け足した。
「あ、そーなんだ。じゃさ、今付き合ってるやついんのかとか知らない?」
「いないと思うよー。俺の知る限りではだけど」
「やったじゃん」
付き添いのほうがあからさまに言った。
照れているのか「あーとりあえず」とぶっきらぼうに答えるクラスメイトに対して、栄口がからかうように笑った。
「なに、彼氏立候補ー?」
「いや、ていうか、俺委員会がさんといっしょでさ」
「あ、そーなん?何委員だっけ?」
「なんだっけ、環境?美化?とかそんな系」
「自分の委員くらい覚えとけよ」
「いやまあともかく、そこで恋が芽生えちゃったんだってさ、一方的にだけど」
「恋言うな、気持ちワリー」
「だって恋じゃんよ」
「あはは、芽生えちゃったんだー」
2人の掛け合いのあいだに挟まれた栄口の笑い声はあくまでも和やかだった。
このあとメアド知りたいとか紹介してとかいう展開になったらどうなるんだろ、と巣山が考えていると、
「まーあの子、アレで結構めんどくさいトコあるけどがんばんなよ」と栄口が先手を打つように言った。
巣山は軽く「おお」と思った。
この場合の「がんばんなよ」はどういった意味になるんだろう、と思って。
「え、めんどくさいの?」
「んー。融通利かないってーかへそ曲がりってゆーか」
「へそ曲がり?」
「例えばこーゆー場合に俺があいだに入ったりしたらアウト。なんで本人が直接言わないのって怒る」
「え。まさか前例あり?」
「うん、あり」
うわそーなんだ、と、付き添いのほうが声を高める。
「やっぱもてるんだ。かわいいもんなー」
「そーみたいだね。見慣れてるから俺はあんまわかんないんだけど」
「ゼータクだな栄口」
「ていうか、あんまりほめると身内自慢みたいな気がしてむずがゆいんだって」
「そーゆーもんなんだあ」
感心したような相槌に、栄口は笑って「そーゆーもんなんです」と答えていた。
どこを引っくり返したって正負の正、陰陽の陽の要素しか出てこなさそうな、いつもと変わらない栄口だった。
下駄箱のところで、放課後の喧騒のなか「勇ちゃん」という声が聞こえて、
おおなんという偶然、といちばん上の段にある自分の靴箱に上履きをしまいながら巣山は思った。
巣山の左隣の列、一番下の靴箱からスニーカーを取り出しかけていた栄口は、しゃがみ込んだままの姿勢でついと顔を上げた。
その視線の先にはもちろんがいる。
ふたつに結んだ長い髪、肩に提げているトートバックについた小さなくまのマスコット、細い足の先のローファー。
それは絵に描いたような「女子高生」、それも「かわいい女子高生」の様子で、
こりゃあ確かに探りを入れられもするわ、と思う。
けれども「巣山くんこんにちはー」と言った愛嬌のある笑顔と、
「今から部活?」と栄口に尋ねるときの顔つきが微妙に違うことくらい、もうすでに気づいてもいた。
信頼感とか安心感とか、栄口の口にした「身内」独特の親近感の有無とかではなくて。
クラスメイトの立候補が徒労に終わりそうな予測も、だからついていた。
問題は栄口のほうなのだ。
「そーだよ」
「ほんと毎日なんだねえ」
がんばってね、と言って、は立ち去るつもりだったのだろう。
外でを待っているらしい女の子たちのところに戻りかけたように見えたのだけれど、
「ていうかさ」という栄口の言葉に、は「ん?」と立ち止まった。
「なんで美化委員なの?」
「へ?」
「自分の机の引き出しのなかだってきちっと整頓できないくせにさあ」
はきょとんとして、座って靴を履き替えている栄口を見つめた。
「え?なに?なんで急に委員会の話?」
「クラスのやつが、同じ委員会にかわいー子がいるって言うからさ」
気になって聞いてみたらなんだもんねー。
栄口はいかにも残念というような、けれどからかいを込めた口調で言った。
巣山は昼休みの会話をざっと思い返してみた。
部分部分は正しい。
だけど順序が違うぞ、栄口。
胸のうちでそんなふうに指摘してみる。
委員会にかわいい子がいてそれがだった、のではなく、
委員会にがいてそれがかわいい、という話ではなかったか。
「よかったじゃん、かわいいってほめられてー」
そう言う栄口の声には、絶対に悪意なんてなかったと断言できる。
それなのに、栄口が言葉を重ねるごとにの表情がみるみる曇っていくのもまた見て取れて、巣山は慌ててしまった。
泣き出すんじゃないかと思ったのだ。
それに気づいているのかいないのか、靴ひもを結び直している栄口の表情は見えない。
「……別にうれしくない」
がふいとそっぽを向いた。
「そんなぜんっぜん知らない人にかわいいなんて言われたって、ぜんっぜんうれしくないよ」
低い平坦な声だった。
やばいこれ絶対怒ってるって、と巣山は焦った。
その瞬間がぱっと巣山のほうに顔を向けたので思わず身構えたけれど、
は笑って「巣山くんじゃあねー」と手を振るときびすを返した。
拍子抜けしてあいさつを返し損ね、ぽかんとその背中を見送った。
友人たちと合流したのうしろ姿はしだいに見えなくなり、宙ぶらりんになった視線を栄口のほうに移す。
「……アレ、怒ってんだよな?」
「そだね」
「笑顔が怖かったんだけど」
「あははは、外面いいからねえあの子」
巣山に怒ったわけじゃないから気にしないで、と立ち上がった栄口は軽く笑った。
自分が怒らせたわけじゃないのなんて百も承知だ。
だから巣山は聞いてみた。
「いーの?」
「何が?」
「怒らせたのは栄口だろ?」
「そーだね」
栄口は平然とうなずいて歩き出した。
つられて歩き始め、並んで玄関口をくぐりながら栄口の横顔を観察する。
「……怒らせたかったの?」
恐る恐るみたいな口調になってしまった。
栄口は考えるように視線を中空に向けて「んー」とうなり、それから小さく笑った。
「そーかも」
やけに素直な表情と声だった。
肩透かしを食らったような気分になる。
煙に巻こうとする意図も、はぐらかそうとする気配も感じられなかったからだ。
「ふーん」
思わず納得したかのような相槌をうってしまう。
結局のところ、栄口が幼なじみの女の子をどう思っているのやら、彼女とどうなりたいのやらもよく呑み込めないままなのに。
ただひとつわかったことがある。
「栄口ってさ」
「ん?」
「すっげー平然と嘘つけるタイプなのかと思ったんだけど」
「何それ」
人聞き悪いなあ、と栄口が文句を言ったが、巣山はかまわず「でもそーじゃなくて」と続けた。
「嘘は言わねーのな」
たぶん、昼休みのクラスでの会話でも、とのやりとりでも、そして今さっきの巣山の質問の答えでも、栄口の言葉に、本当でないことはひとつもなかったんだと思う。
ただ、もっと本当のことも言わないだけで。
栄口はいぶかしげな顔をして聞いていたが、巣山が言葉を切ると苦笑いを浮かべた。
「巣山さあ、黙っていろいろ観察すんのやめてよ」
「いや、いろいろ聞いたらマズイのかと思ってたから」
「大丈夫っすよー。聞かれてマズイことには答えないから」
「やっぱ答えねーんじゃん」
そうつっこんでおいてから、じゃあ一応聞くけどさ、と言った。
「栄口って、好きな子には意地悪しちゃうほう?」
遠回しにはしたけれど、きっと聞かれてマズイ質問なのだろうと思いながら口にした。
案の定栄口は一瞬表情を止めて、「いきなりヤなこと聞くよねえ」と横目で嫌そうに巣山を見た。
「答えたくないならいーよ」
「んー、大丈夫。ていうか、別にそーゆーわけじゃないんだよ、さっきのは」
そーゆーわけじゃないというのはどっちに対してだろう。
好きな子ってところか、それとも意地悪ってところか。
やっぱり嘘も本当のところも言わない。
ぜんぜん大丈夫じゃないじゃん、と巣山が口には出さずに考えていると、
栄口が「はねえ」と言ったので「お」と思った。
「もーちょい、俺離れしてくんないと困るとは思ってんだけど」
なんだか溜め息交じりの声だった。
「……けど?」
「んー」
ためらうような、時間稼ぎのようなうなり声のあと、それでも栄口が何か言おうと口を開きかけたのに、
そこでうしろから緊張感のかけらもない「ちーっす!」という声が割り込んできた。
顔は見ずとも声の持ち主なんて巣山にはわかっていたけれど、
とりあえず軽い殺意を覚えながら振り向かずにはいられなかった。
「え?なに?なんで巣山怒ってんの?」
よっぽど本心が目の色に出てしまったらしく、視線の先の水谷はおびえた顔でうろたえた。
(隣にいた花井までちょっと頬を引きつらせた、阿部はただきょとんとしただけだったけれど。)
「俺なんか悪いことした?」
「いや、もう……なんてーか存在自体が」
「えええっ!?何それいきなりひどいっ!」
「巣山、そこまでホントのこと言うとさすがにひどいよ」
栄口のフォローにならないようなフォローに水谷がまた「ひどい」とか「イジメだ」とかわめいた。
「うそうそ、ごめんごめん」
(巣山からすれば)うざい泣き真似をする水谷の頭を、栄口が笑いながら軽くたたいている。
栄口が口にすることなんだから、どっちも嘘でどっちも本当なんだろう、と思った。
なんだかクルタ人は嘘つきだ、みたいな話でちょっと混乱してきた頭を、そう考えて納得させる。
結局(水谷のせいで)のことはよくわからなかったけど、
本当のことを言いよどむ栄口、というのが答えのような気も、した。
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